ポエマー誕生。
生まれてから、カタコトの日本語を少しづつ話し出す頃。
私の"歌好き"は早めに開花した。
テーブルの上に立って、スプーンをマイクにし、母とお兄ちゃんを観客にして、ほとんど聞き取れないレベルの言葉で気持ちよく歌う。そんな子供だったらしい。
聞いた話によると、私が3歳の時に両親が離婚。お兄ちゃんは当時5歳。その時母は26歳。
親になった今、その年齢で2人の子供を育てるということがどれだけ大変だったか。
わかりすぎて、本当に感謝しか出てこない。
そして、そりゃあその若さで幼い子供2人相手にしてたら、毎日ピリピリしてイライラして、機嫌悪くもなるよな…とも思う。そもそも若い時って気が短いし、無理もない。
母はいつもピリピリしていて、私は、幼いながらにとても気を使って過ごしていた。兄は周りのことなんてお構い無しのタイプだったから、ピリピリしてる母とワガママ放題の兄と生活する中で、自然と"家庭全体の調和"をとるようになっていたな、と今ならわかる。
話したいこと、聞いて欲しいことがあっても、まず母の顔色を伺って、機嫌が良さそうだなと確信が持てないと話すことをやめていた。
結果的にその癖は、35歳になった今でも抜けない。母にも、友達にも、夫にも。自分の思いをぶつけるのが苦手だ。
だから、と言えるかわからないけれど、私は小学生くらいから、詩を書くようになった。人に伝えきれない思いを詩に乗せたかったんだと思う。
学校の子に見られた時には「ポエマーかよ!」ってよく言われてたけど、吐き出せる場所は詩の中だけだったんだよな。書道をやっていたこともあって、それを作品のように書き溜めいくことで、消化していった。
でもいつも、私の詩を見た友達は、「なんか暗いたね」「ちょっとよくわからないな」「いつもこういうこと考えてんの?」って、ほとんど否定的なことばかり言われた。
19歳で統合失調症を発病して主治医に話をされた時に母は、「昔から変わってる子だったので、病気だったのかーと逆に腑に落ちました」と言っていて、あーやっぱり私って変わってたんだ、と。なんというか、やっと認められたというか、私って変でもおかしくなかったんだ、病気なんだもんね、みたいな気持ちになったのを覚えている。
次の記事では、
私の小学校時代に受けたいじめや、周りとの違いに対する違和感、よく頭に浮かんできた不思議な風景の話を書いていきたいなと思います🌻
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