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日本社会は同質性が高い、は本当か?

多様性にかかわる議論において、日本は同質性が高い社会だとの主張がなされます。

たしかに日本は単一民族国家であるため、多民族国家と比べて多様性が低いと見られますが、本当にそう言えるのでしょうか?

この点について考察してみたいと思います。


日本社会は同質性が高いか否か、違いをわけるのは同質性の基準


「日本社会は同質性が高い」という主張の根拠のひとつは、民族や文化の観点によるものです。具体的には、単一民族であるため、大多数の人々が同じ言語や文化を共有しているからだという考えです。

しかし、この主張が成立するためには、"同質性の基準は言語や文化である"という隠れた前提があってのものでしょう。


一方で、「日本社会は多様性にあふれる社会だ」と主張する立場も存在します。その根拠としてあるのは、言語や文化はたしかに同一だが、学歴や職歴、価値観などの要素は多様であるという考えです。

こうした二つの立場を見ると、主張の違いは同質性の基準が異なることによるものだということが分かるでしょう。


日本社会は多様性を持ちつつも、一部の側面では同質性が見られる複雑な構造を持っている


これらの主張の違いを考察する上で、「表層・深層のダイバーシティ」への理解を深めると良いでしょう。

「表層のダイバーシティ」とは、外から見てわかりやすい多様性を指します。たとえば、性別・国籍・年齢・言語といった属性です。

一方で、「深層のダイバーシティ」とは、外からでは識別しづらい多様性を指します。たとえば、専門性・学歴・価値観・経験年数などの属性です。

これらの表層・深層のダイバーシティを踏まえると、同質性の基準の取り方によって、「日本社会は同質性が高い」という主張が必ずしも完全ではないことが見えてきます。

実際、間淵領吾(2002)などの研究によれば、日本人は他国民と比べて、同質的であるとは言えず、むしろ、家族・ジェンダー意識、政府役割観、職業意識は同質性が低い場合もあるとされています。

間淵領吾 2002 「二次分析による日本人同質論の検証」『理論と方法』(17-1:特集 二次分析の新たな展開を求めて):3-21

さらに、女性や外国人に対する閉鎖性、地方と非正規雇用との格差などは多様性からもたらされた問題が指摘されていますが、こうした問題は多様性を起因としたものであるとも言えそうです。なぜなら、多様性がある社会は分断や格差が生まれやすいためです。

以上の議論を踏まえると、「日本社会は同質性が高い」という主張は必ずしも全面的に支持されていないと言えるでしょう。実態としては、日本社会は多様性を持ちながらも、一部の側面で同質性が見られる複雑な構造を持っているというのが妥当だと考えられます。

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