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【目印を見つけるノート】1394. 今立っている場所に、誰かが戻ろうと思ったかもしれない

石器が頭のなかをぐるぐる回っています。アックスボンバー……。

日曜日に伺った公開セミナー。

さて、きのうは分かったような分かっていないようなことを書きました(石器さん、すみません😣)。実は、日曜日に行った公開セミナー、詳細なレジュメがありましたが、現地でひたすらメモを取って、メモをもとにnoteを書きました(多少照らし合わせてはいます)。私の場合、レジュメを見てばかりだと文字を追うだけになってしまいますし、後で書くときにレジュメ丸写しになってしまいます。それは論外ですので、分かっていないのも引っくるめて、メモから書き出しました。そしてレジュメで補強。
ということで、
気をつけたつもりですが、間違えていたらごめんなさい。すでに数ヶ所直しました😣

今日はいったん切り離しつつ、自分の補足を書きます。私見ですが、誤りがありましたらそっとご教示くださいますと幸いです。

日曜日のセミナーでは、基調報告として東京と神奈川と埼玉の遺跡のお話を伺いました。南関東西部と表現されていましたが、自分の感覚でいえば、そのエリアはほぼ『武蔵野』です。
ということで、
基調報告で取り上げられていた旧石器時代から縄文時代草創期(19,000~11,000年前)にあたる遺跡を抜き出してみます。

セミナー全体で注目されていたのが、東京の『前田耕地遺跡』(あきる野市)です。多摩川支流の秋川と平井川に挟まれた台地の東端に位置しています。東京西部には遺跡が多いですが、前田耕地は特に大規模で、縄文時代の草創期から後期、平安時代、江戸時代の遺稿や遺物が出土しています。

そこを筆頭に、武蔵野台地にあるいくつかの遺跡が挙げられました。テーマに合致する時期のものは小金井市の野川中洲北遺跡、中野区の松が丘遺跡、あとは新宿区の百人町三丁目西遺跡でしたか。あと瑞穂町、多摩ニュータウンの複数の遺跡、府中市、西東京市、三鷹市にもこの時期と同じか、前後した年代の出土品があるようです。もちろん武蔵野台地にだけ人が住んでいたわけではないですが、東京の東側は江戸期の埋め立てなどで地層が保たれていないという事情もあるようです。

そういえばモース博士は車窓から、電車の線路を通すために開削された崖を見て古代の地層ー貝塚を発見したのでした(ナウマン、ハインリッヒ・シーボルト博士が先行していたといわれています)。

続いて神奈川では、旧石器時代の遺跡は相模川に沿って形成された相模野台地に多く見られるとのこと。テーマ年代の古い順で綾瀬市の吉岡遺跡、伊勢原市の西富岡・長竹遺跡、相模原市の当麻遺跡、秦野市の菖蒲平台遺跡、清川村の宮ケ瀬遺跡、川崎市の万福寺遺跡、大和市の月見野上野遺跡、藤沢市の慶應義塾藤沢キャンパス内遺跡、横浜市の花見山遺跡などです。神奈川の報告をされた公益財団法人かながわ考古学財団の脇幸生氏は相模野台地と周辺における出土物の時系列を12段階(編年)に分類される方法で説明されていました。今回のセミナーで取り扱うのはそのうちの9期から12期に該当するということでした。まだまだ「昔」があるのです。

現代的にいえば、小田急線の沿線が多い印象です。秦野は水がおいしいところですね。また、相模川を下る流路にも該当します。とはいえ、地殻変動や噴火があって当時とは地形が大分変わっているでしょう。海岸線も今より南に出ていたそうです。
以前に、
関東大震災時に旧相模川付近の土地が隆起したという話を小説で書いたことがあります。それによって、鎌倉時代に稲毛重成が築かせた相模川大橋の橋脚が現れたのです(それの落成記念の帰り源頼朝は病に倒れたのでした)。
古代といわず、鎌倉時代からも地形は変わっているのです。ただ、地殻変動で遺構がぐぐぐっと姿を現すというのはあまりないのかもしれません(だから書いたのですが)。

脇氏がおっしゃられていましたが、「開発がないと発掘もないので、開発されるのも遺跡発見には有用」ということでした。確かに地面を掘り起こす機会が多ければ見つかりやすくなりますね。あちらこちら、まだ掘り起こす余地はあるのでしょう。都会の遺構ですとまたいろいろ発掘調査をするのが難しそうですが。

万福寺の方は多摩エリア(武蔵)かしら、などと思いつつ続く埼玉のお話を伺いました。

ここはくっきり、利根川という目安があります。利根川も今の流路ではないので古利根川と区分しています。古利根川以西の入間台地、以東の大宮台地を中心に今回のテーマに該当する期間で年長の遺跡があるようです。以西では鶴ヶ島市の横田遺跡、新山遺跡、柳戸遺跡になるそうです。これらは圏央道の工事の際に発掘されたのかなと思ったのですが(鶴ヶ島インターで連想)、そのようです。古利根川以東では宮代町逆井遺跡や深谷市の白草遺跡が挙げられていました。白草について言及された一文の中に、ここを拠点にして戻ってくるものだったという趣旨のくだりがあって、それが移動(遊動)から定住への過渡的行動なのかなと思いました。
「戻る」という言葉がちょっと心に沁みました。

定住をしていなかった頃、人々はよい場所を探して移動を続けていたと考えられています。川から近く、食糧の調達もしやすいのが「よい場所」といえるのでしょうけれど、そのとき戻ろうと思った人の目には何が映っていたのかな。

もちろん、まだ掘り返されていない地面はたくさんあるでしょうから、今後の調査が進んでいけば当時の人々の行動・生活がより鮮明に浮かび上がるのだと思います。チェックしたいです。

私は「武蔵野とは?」というテーマで、てくてく歩いてものを書いてもいますが、今回は思い切り時を遡って、のちにそう呼ばれるエリアの人々の暮らしをちょっとだけイメージすることができました。今回の1都2県は武蔵野を包摂していますし、周辺の地形も把握できます。「武蔵野考」に古代というアプローチがあるのもよいのかと個人的には考えています。これはマガジン『夕暮れ野川は武蔵野の果て?』に入れておきますね。
これまでの記事で使った写真をいくつか。

夕暮れ野川(世田谷区)
等々力溪谷(世田谷区)。
武蔵野台地の文字が(杉並区)。
善福寺池(杉並区)。
石神井城の案内板(練馬区)。
多摩川(大田区)。
去年行った玉川台公園(大田区)。

すべて、武蔵野台地にあるのです。
今年も武蔵野探訪をするぞ~❤️

今日のnoteでは1都2県の(時期を限定した)遺跡の場所を羅列しましたけれど、お近くにお住まいだったり行ったことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私は今回初めて聞く遺跡ばかりで本当に新鮮でしたし、近辺を歩いた際にはしばしタイムトリップしたいなと思いました。石器の見本を手に持って😅

人の営みがずっと続いているのだと確かめるように。

そのような意味でも、今回のセミナーはたいへん有益でした。愚者の見聞もいいところですが、時代区分と石器についてはさらにおさらいしたいと思いますし、行ける場所は行ってみたいです。また記事でも取り上げさせてください。素敵な機会をありがとうございました。

今回のセミナーで、『聞き書きノート』が1冊終わりました。

最後のページには国立博物館のはにわスタンプ(去年押していました)。


去年夏、本橋成一さんと奈良美智さんの対談から始まり、今回の石器・縄文初期で終わる、私の冒険の1冊です。乱筆ですので人様に見せられるものではありませんが、皆さんのお話の詰まった宝石箱💎大事にとっておこうと思います。
ありがとうね✨はにわくんのフィニッシュマーク😄

今日の曲
Elvis Costello『No Action』

コステロさんの追加公演は浅草公会堂とのこと。本公演はトリフォニーホールだし🤔もしかして、隅田川がお好きなのかな(いや、たまたまだと思う)。ライブに行きたい熱が否応にも高まりますが、はっちゃけるのはもう少し我慢して、今はスピードを上げるタイミングをみはからっていよう。

それでは、お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

追伸 がんばれー……って届くかな🗿💧

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