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【目印を見つけるノート】23.カンディードの庭

きのうは救急車の音が4回聞こえました。

きのうは文字通りのお籠り日、今日の食料分はキープしていますが、明日は買いに行かなければならないでしょう。端もの野菜で一品増やすようになりました。ニンジンのきんぴらとか、ブロッコリーの茎の炒め物とか、そういったものです。
これが生活というものだなと感じているところです。

⚫カンディードの庭

自分の書くエッセイにははっきりとした傾向やターゲットというものがないなあとはよく思いますが、芯になっているものはあるようです。
お風呂に入っているときにぼんやりと浮かんだのは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『人間について』(新潮文庫)というエッセイ集の中にある、『カンディードの庭』という一編です。中学生の頃に読んだもので、実物がもう手元にありません。ですのでタイトルも趣旨も合っているか自信がありません。ご容赦ください。

次から次へと、自分の所有物あるいは名声を得ようとする欲求が、返ってその人の人生の目的を見えなくしてしまうのではないか。その最たる例であるアレクサンドロス大王を出しつつ、結局人間は自分が耕せるだけの庭を持つことしかできないーーと書かれていたと記憶しています。『カンディードの庭』というのはヴォルテールの小説『カンディード、あるいは楽天主義説』から取っています。ボーヴォワールの書いた趣旨とも重なる内容の小説ですが、あらすじは書かないでおきましょう。

それ以降、自分の人生もそのようにとらえています。ですので書く内容も自分の庭(喩えです)で、あるいはそこから見えるものになるのだと思います。
加えて、カンディード、あるいはカンディドというのは英語のcandidに通じるのかなとも思います。「率直に、正直に、裏表なく」という意味です。小説はフィクションなので別ですが、エッセイを書くときはそのようにしています。そうでないと、自分で気持ち悪く感じるのです。

そのエッセイからは離れますが、ボーヴォワールの生き方にも私は共感を持っています。フェミニズム? それよりもっと根本的なことです。彼女は続けていました。書くことも、自分の信条も、それを実践することも続けていました。結婚という形を取らないジャン・ポール・サルトルとの関わりも生涯続けました。

「続ける」ことを実践している人は多いと思います。それを1、2、3……年と続けるとなると少し減ってくるかもしれません。10、20、30……年となるとさらに少なくなる。

私はある時点で、趣味は一生続けられると思いました。毎日ではなくても必ずしたくなるからです。音楽や映画などもそうですね、意識しなくても聴きたくなるし見たくなる。音楽を数十年聴いています、というのは自慢にはならないでしょう。大多数の人がそうだと思います。

書くことだけは意識して習慣にしてきました。毎日書くということです。もうどれぐらいになったか……よく覚えていませんが、続けています。

それが私の『カンディードの庭』を耕すことなのでしょう。

⚫お籠りクラフトとバラ

きのうは子どものきょうだい喧嘩の仲裁をしつつ、アクセサリーの方はけっこうやってしまいました。委託販売に出す方のものを少し。

これはアクリルビーズのキレイなものと、ムーンストーンなどを合わせています。そろそろ、パッケージを考えないとという感じです。

あと、ハウライトターコイズ、シェル、アクアマリン、水晶でネックレスを作りました。

ついでにウッドビーズを淡々と通してゴムブレスをいくつか。これもターコイズですね。

しかし、どうしてきょうだい喧嘩というのは、派手な取っ組み合いになるのでしょう。うーん、止めてもすぐに終わらないし、難しいです。

天然石の話をもう少し。
きょうは私のお守り石?であるユーディアライトをお披露目しましょう。部分的に欠けていますが、実はふたつに割れています。それでもまだ持っています。美しい北方(グリーンランド、ロシア、カナダなどが産地)の石で、勇者の血の色だという言い伝えがあるようです。パワーストーンのサイトを見ると女性的な石だと……どっちだろう?
『雪の女王』のゲルダのような石です。
カイを探して困難な旅をする勇気。

それは「愛」とも言えるかもしれません。
みなさまにもその愛を。

バラのほうは花びらがはらはら落ち続けています。そろそろ落ちるにまかせて、乾かしていくことにします。写真は今日で終了します。花びらや葉は乾かしてポプリにします。

15日間、ありがとう。

それではまた、ごひいきに。

おがたさわ
(尾方佐羽)

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