ちひろ

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最近の記事

自分を前に進めてくれるもの

振り返ってみればいつだって人生を前に前にとすすめてくれたものは、すきという気持ちや憧れという感情だったように思う。それを感じられる心をなくした時、希望も持てなくなった。 わたしの社会人としての原体験は、新卒入社で入った田舎の老舗印刷会社で、上司が連れていってくれたジャズライブ。町の使われなくなった建物を再利用して、酒屋さんはドリンク、居酒屋さんは唐揚げなどおつまみを用意したりして、いい大人が楽しそうに出入りしていた。月が綺麗で、ほの明るくて、きらきらしていて、情景が心にしっ

    • 自分でいること

      「できるかな…でもやってみるしかない」 って思って勇気を出してふみだす大切な一歩、そしてまた一歩。 あんなに、「とりあえず最初の一歩。まずは動くんだ」って思ったチャレンジも、やり始めると欲がでてきたり、やたらと難癖つけてくる自分がやってくる。 あんなに、「えらいなわたし。頑張ってるよ!すごいよ」って励ましながら一歩踏み出したのに、「ここが、足りてない」「こんなのを出して恥ずかしくないの?」って辛口なわたし。 そうそう。そうやって勝手に荷物背負って嫌な気分になっていくんだ

      • 灯火

        今日から九月。 とてもうれしいことがあった。コツコツ、よろよろしながら、ちゃんと積んでこれてたんだなって思えて自信になった。次の打ち手を考える。こんなスピードで実現していくなんて、嬉しさはんぶん怖さはんぶん。 迷って決めて、迷って決めて、選択、選択、選択。 誰だって「初めて」からスタートしてるんだ。たくさん相談して、たくさん本読んだり調べて。ほんとうはもっと人に会ってとことん話したいと思うけれど。本当に。とことん喋って過程もたのしみたい。。はやく普通に人に会いたいなぁ。

        • 言葉とか論理からはいると、気持ちのよい既存の何かにコンパクトにおさめてしまって、はみ出した何かが気になって気になって気になり結局またゴソゴソひらいておさめ直すということをやってしまうタイプなので、ファーストインプレッションは言葉にできなくても、頭で理解できなくても「なんとなくちがう」「なんとなく気になる」という印象そのままとっておく。 時間が経つと、消化されて頭というより自然と「こういう事だったのか」と肚におちるかんじがする。 いつも、明晰さが欲しいと思っている。 ちいさ

        自分を前に進めてくれるもの

          エメラルドプラクティシズ

          浄化の雨という目線でみると、大浄化、生まれ変わるくらいの雨。もしくは地球のなみだ。 目が覚めて雨がすごくて眠れなくなったのでnote。 (ほんとはオードリータンの本が読みたいんだけど、子どもがいるから明かりがつけられない…) もしくは、明日がボランティアの初ミーティングだから緊張しているのかも。 少し前にたまたま聞いた「エメラルドプラクティシズ」というポッドキャストから、気候変動にまつわる情報を追うようになった。もっと前にたまたまSNSで流れてきたショッキングな映像をみて

          エメラルドプラクティシズ

          生きる

          初盆。 意識してというわけでも、見れないわけでもないのだけれど、母が亡くなってから母の写真は遺影しかみていなかった。8月12日、iPhoneの機能がさりげなく、母がまだ母らしい姿だった時の写真を見せてくれて、気づいた。 今日会社でiAPCという言葉を知った。 「もしも、今日余命半年といわれたら」といったようなシーンを想定して、自分の生きるうえでの価値観を自分に問うもの。そして家族や身近な人とそれを共有する時間をつくること。 ー 我が家は、明言化されていないものの「自分

          生きる

          おかえり、わたし

          実際のところはわからないけれど、今わたしから見た世界は久しぶりに上を向いている。 コロナとか経済とか地球環境のこととか、もしくは個人的な心と体、一番は頭のなかで縛りあげていた「人生は生きるほどにハードモード。いったん乗ったら降りられない」みたいなスイッチが完全に切り替わったこと。 大変なこと、悲しいことはこれからも必ず起こる。失敗もする。でも、今なら「大丈夫」って思える。何が起きても、大丈夫。さんたはとにかく可愛いし、昨日のんだスムージーはとてつもなく美味しかったし、空の

          おかえり、わたし

          出会いを必然と思うこと。

          大学の時に所属していたボート部。 あの日あの時の出会いはすべて、必然。 今のわたしの基礎はあそこでできた。 大学生のくせに、平日も合宿朝練して、360日くらいは仲間と顔をあわせ、インカレ目指して人生でいちばんの青春を過ごした。倒れるまで追い込む性分が災いして故障し途中から選手はできなくなったけれど、まだできることはあると、コーチ側になった。 素人の地方弱小チームだったけれど、信は固かった。 本気で勝つ気でいた。 それは、楽しいという感情を超えて 「このチームで勝ちたい

          出会いを必然と思うこと。

          幸せってやつ

          読書会からあらためて、よい習慣が自分の人生をつくることで大切だなと思い、ちびちびチャレンジ中。 まず、何より時間の主導権を取り戻すためにSNSの通知を切った。フォルダに入れて画面も一番最後の目につかないところに入れた。 (オードリータンの真似っこ) ちょっとした隙間時間は、大好きな読書にかえた。寝る前の時間は、さんたに絵本だけじゃなくてオリジナル創作のお話をする時間もとれるようになった。本当にうれしい。 スーパー朝型に戻した。 わたしの体質と環境にはこのリズムがやっぱり

          幸せってやつ

          それでも時間はとまらない

          ワクチン打った日に、クッキーおわらなくて夜更かししてしまった。 子どものこと邪険にもしたくないし、間違いなく、今の時間は何よりもかけがえのない時間。ほんと時間の優先順位考えたら、アクセル踏む二の足ふんでしまう。 若い時のなんにも知らない勢いで、神さまでも自分でもすきなひとでも何でもいい。頭でなく、根拠なくなにかをスカッと信じたい。(年寄りな発言してるのは自覚してる…)

          それでも時間はとまらない

          人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇

          夕方、涼しいと思ってねこと外でちょっとあそんだら蚊に刺されまくった。体にやさしいやつで効果てきめんな虫除けはないのか( ;∀;) ー お寺にいった。 小さいけれど、思うように進まないことが続いて(お母さんあるある)いらいらしていて、いただいた接心は「感謝」だった。 (ですよね苦笑) 般若心経のなかに「六不の譬え」というのがあり、かたよった考え方から離れなさいというのを読んだばかりだった。この世のありとあらゆるものは縁の集合体で、だからこそ常に変化するもの。その中で、こだ

          人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇

          体験

          やり掛けのお仕事が多くて溺れている。 どうも、句読点を打ったりけじめをつけるのが苦手。何でもそう。完成形まで見せたくないわるい癖をもっていて、途中経過を中途半端、と捉えてしまう。 過程もあじわえるようになりたい。 ー 職場のオーブンが、一気にグレードアップすることになった。社長ありがとう( ;∀;)歓喜! ー よくわからないモヤリが通奏低音のようにずーっとズーッとあって、原因不明だったのだけれど、今日は久しぶりに夢のなかで泣いて目が覚めた。 「どうせ、生きても母はい

          ぴえん

          時間だけじゃなくて、もはや天気の移り変わりもはやくなっている。 昨日は晴れていたのにいきなり雷雨。 綺麗だったなー。雷鳴がこわいと思わなかったのははじめてじゃないかしら。夏を感じた。 ああ、また今年もあっという間に通り抜けていくのでしょうか。 植木の葉のしずく。 落ちていく寸前、ふるえ、揺れている。 雨あがり、陽がすけた葉っぱの裏と、玉のしずくが綺麗。 ー 最近の悩みは、エコなパッケージ。 余分なものをつくりたくない消費したくないというのはそもそもあったけれど、気候変

          ユーモアと。

          考えすぎてうごけなくなる癖をやめたい。 やめてみる。 「深刻ではなく真剣に」 軽やかに。

          ユーモアと。

          人生の4割は習慣でできているらしい

          さんたからもらう風邪は毎度耳が痛い。耳と喉。 つらたん。 ー 今日は朝3時からアイシングして、7時から朝活読書会参加して(ほぼ飛ばし読みしかできてない…)、日中もずっとアイシングして、ご飯もソーメンチャンプルーとか、焼きそば。お母ちゃん失格な土曜日だった。 でも、またまためちゃんこ可愛いクッキーBOXがつくれて達成感。写真撮らずに袋詰めしてしもた… やっぱり全体のバランス大事だな。 大きさと色味、袋の詰めかた。 色味も、事前にかなり細やかに決めて忠実にしてその通りに

          人生の4割は習慣でできているらしい

          魔法のクッキー

          母が去年、チャリティーお茶会のためにつくった寄せ植えは、今薬局の前の植え込みにうつされている。 わたしのだいすきなこの眺めにいつのまにかご一緒させてもらっていた。 ここが、よかったのね。 やっぱり気が合うね。 お茶会が11月7日、亡くなったのが30日。文字通り命をかけてつくったさいごの寄せ植え。 そこで働くわたし。 ほんと、先がわからないのが人生なんだな。 今の職場があまりにもぴったり過ぎて、話が出来過ぎている。このぴったり感はどこからくるのでしょう。 わたしは不安

          魔法のクッキー