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自分を前に進めてくれるもの

振り返ってみればいつだって人生を前に前にとすすめてくれたものは、すきという気持ちや憧れという感情だったように思う。それを感じられる心をなくした時、希望も持てなくなった。

わたしの社会人としての原体験は、新卒入社で入った田舎の老舗印刷会社で、上司が連れていってくれたジャズライブ。町の使われなくなった建物を再利用して、酒屋さんはドリンク、居酒屋さんは唐揚げなどおつまみを用意したりして、いい大人が楽しそうに出入りしていた。月が綺麗で、ほの明るくて、きらきらしていて、情景が心にしっかり残っている。
ステージに立つのは、市役所に勤めたり製紙工場をしていたり、音楽とは全く関係のない仕事をしているメンバー。でも本当に音楽を愛している人ばかりだということはすぐに分かった。連れていってくれた上司は営業マン(今は議員さん)で、それこそ色んな人と繋いでくれた。彼は町の和太鼓チームに所属していて、わたしも経験があったこともあり和太鼓を再開するようになった。

仕事や和太鼓を通じて、仕事とあそびの境目のないエネルギッシュな大人をみて、憧れた。仕事のご褒美は、かっこいい大人との出会いだったし、とにかく自分もそこまで行きたくて、はやく30代を迎えたいと思っていた。

やっと30を迎えた年に子どもを産んで、仕事を変えたりセーブしたり、葛藤しながらいいバランスを探している矢先に離婚や度重なる事故、病気、最愛の母の死。幸せから一気に転落、思ったような30代ではなかったけれど(いやまだ終わってもないぞ!)前よりずっと自分の人生が愛おしくて、いろいろあるけれど、わたしは大丈夫と思えるようになってきた。ご縁と環境のおかげさま。本当にありがたいねぇ。

一生懸命やるから悔しいし、うれしい。「こんなもんでしょ」は振る舞いにも、つくったものにも出る。飲み会はすきではないけれど、打ち上げはすき。考え方のちがう赤の他人と、対話して思いを通わせ合いながらつくりあげるからくせになる。やっぱりかっこいい大人はかっこいい!また会いたい。もっと一緒にいたい。そういう憧れの気持ちがわたしを前に前にと突き動かす。

少しずつ元気になる過程で、絶妙なタイミングでそういう出会いがあると、「あ、わたしは今神さまに応援されている!これでいいんだな」と思える。
いっぱいいっぱいいっぱい壁が見えるんだけど、その時その時にぴったりなお手本や次元が一つ上の解き方を見せてもらえる。

昨日、仕事で社外のコンサルの方と壁打ちミーティングがあって頭がパンパンになった。「私入ったばかりのペーペーだし」とか「時短で働いてるのに無理だよ」「全部やったことないのに難しい」とか無意識に逃げの思考がわいた。
その後クッキー納品という口実のもと、まいちゃんとみっちーさんとお茶をした。ただそれだけで、思考がまるきり変わった。帰り道の車でさんざん泣いて、やっぱりやるしかないんだなって心が静かになる。シングルでも母でも、どんな環境に置かれても、誰にも自分という役割があってただただそれをまっとうするだけなんだな。

あの時も今も、憧れる気持ちがぐいぐい自分をひっぱる。

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