出会いを必然と思うこと。
大学の時に所属していたボート部。
あの日あの時の出会いはすべて、必然。
今のわたしの基礎はあそこでできた。
大学生のくせに、平日も合宿朝練して、360日くらいは仲間と顔をあわせ、インカレ目指して人生でいちばんの青春を過ごした。倒れるまで追い込む性分が災いして故障し途中から選手はできなくなったけれど、まだできることはあると、コーチ側になった。
素人の地方弱小チームだったけれど、信は固かった。
本気で勝つ気でいた。
それは、楽しいという感情を超えて
「このチームで勝ちたい。このチームだからこそ意味がある」って。本気だから、笑ってるばかりではない。ガチンコ。本気で泣くし、本気で怒ったりもした。
三十過ぎて体力も落ちたけれど、わたしはやっぱりまっすぐやるのがすきだ。結婚して、子どもを産んで、なんだかレールに乗ってしまったなぁ、社会って学校で習ってきたことと真逆の仕組みだなぁ、と小利口に適応してきたけれど、幸いなこと、幻はすべて崩れおちた。それは文字にすればあっけないけれど、かなりのタフメンタルを自負するわたしでもまいった。
特に「愛別離苦」という体験は、母によって強くあたたかく確かな土台として築かれてきたわたしの世界をひっくり返した。
わたしは、ちいさくまるくなっていく母を、婆ちゃんになる母をみていくつもりだったのに。
たとえるなら、あと30年しかさんたといられないのだということ。それをリアルに受け止めて昨日は夜遅くまで泣きながら可愛い寝顔をみていた。それが、今この瞬間いちばんの優先事項だったの。
ただ、確かだと思っていたいろいろが壊れたことで、だったらわたしはもう一度わたしを真ん中にして生きようと思った。あつくるしくて、ズレていて、ばか正直なまま。
わたしはエンパスの気質をもっているらしい。
ひとに比べて、異様に受け取るところがあるということがわかったから、外の世界との距離感をいっそう気をつけようと思った。やっと自分の声が届くところまできたんだもの。わたしを真ん中におく。
ー
「このチームで勝ちたい」
そう思える人間関係の中で生きる。
そしてそこに執着もしない。
ということを今日あらためて思って、ちょっと記録しようと思っていただけなのに、スラスラ言葉がでてきて寄り道しすぎてしまった。
さて、早速習慣をぶち壊して今夜はオーダークッキーの製作です🍪
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