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アドラー心理学「嫌われる勇気」あなたが不幸なのはあなたの選択だから

2013年12月一冊の本が話題になった。

タイトルは「嫌われる勇気」岸見一郎 古賀史健 
対話式のアドラー心理学の本だ。

当時も気にはなっていたが、
ゆっくり読む機会がなくそのまま忘れていた。

2023年は自分にとってスピリチュアルな事に
とても関心が高まった一年だった。

メンタルを病んで長いこと「考える」ことを
意図的に手放して生きてきた。
でも本当はずっと自分の内的な理由を
心理的原因を探していたのだと思う。

自分の事が分からなくて本当の自分を知りたかったのだ。

そんな自分が2023年は読書が出来るようになった。
色々読んだがその中から一冊ご紹介したいと思う。

アドラー心理学とは一体どういったものなのか。

人は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、
自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。

嫌われる勇気

世の中が複雑で生きづらいと思ってる人、そう自分の事だ。
いつも周りに馴染もうと努力したし
他人とも協調して頑張ってきたと思っている。
しかしそれは「あなた」が世界を複雑にしているからだと言う。

ちょっと待って、良く分からない。

アドラー心理学における考え方の基本は
過去の「原因」ではなく、今の「目的」を考える。

例えば「外出できない」という事例で考えると
原因は過去のトラウマの記憶などとされるが、
目的として考えた場合、
出たくないから今不安という感情を作り出しているとなる。

んー、なるほど。
現在の状態が目的であった場合、
そうしなくていいような状況を
自分で作っていると言うことなのかな。

人は自らの定めた目的に向かって動いていく。
よって今のあなたが不幸なのは自らの手で
「不幸であること」を選んだからだ。

嫌われる勇気

人生における思考や行動の傾向(性格や世界観など)は、
選びなおすことも可能である。
「足りないのは勇気」

嫌われる勇気

あなたが変われないでいるのは、
自らに対して「変わらない」と決意しているから。
何故なら「このままの私」が楽で安心だから。
新しい自分への不安、将来の見通しが出来ず、
何がどうなるのか分からない。

嫌われる勇気

アドラーの目的論は、
コレまでの人生に何があったとしても
今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない、
自分の人生を決めるのは
「今、ここ」に生きるあなたなのだと言っている。

自分が読んできた心理学の本などによれば、
過去の経験やトラウマ、親子関係や承認欲求などなど
人格形成において重要な要因だとされるものだが、
アドラーは否定しているのだ。

これにはとても驚いた。
過去の心理要因など関係ないと言い切っている。


我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく
「主観的な解釈」(勝手な思い込み)である。
そして、すべての悩みは「対人関係」の悩みである。

嫌われる勇気

「優越性の追求」とは、他者を蹴落として
上に上ろうとするのではなく平らな道をそれぞれが進んでいる。
前もいれば後ろも、早いも遅いも違いはあれど平らな平地である。
自らの足を一歩前に踏み出す意思であって
他者より上を目指す競争の意思ではない。

嫌われる勇気

健全な劣等感とは他者との比較ではなく
「理想の自分」との比較から生まれる。
人との「違い」は善悪や優劣を絡めてはいけない。
すべての人は対等。
今の自分よりも前に進もうとすることに価値がある。

嫌われる勇気

まずは劣等感が勝手な思い込みだという事に
そんな馬鹿なと思ったのだが、
読んでいるうちに確かに自分の中で勝手に決め込んで
思ってただけかも知れないと思った。
誰にそう言われたわけでもないのに自己完結して
苦手と決めつけてたようなところあった。

子供の頃から競争したり優劣付けたり、学歴や就職先、
役職、給料とずっと走らされて上らされて育った来た。
それに、ヘトヘトになっているのが今の自分だ。
でもアドラーは平らな平地だという。
優劣は他者との比較ではなく理想の自分との比較だと。


「課題の分離」とは、自分の課題と他者の課題を分けて考えること。
その選択によってもたらされる結末を
最終的に引き受けるのは誰か?自分か他者か。
他者の課題には踏み込まないこと。
見守ること、本人の意思に沿って援助すること。
自分の課題は、自分を変えることが出来るのは自分しかいない。
自分の信じる最善の道を選ぶこと。
(他者がどんな評価をするのかは他者の課題)

嫌われる勇気


自分が一番分かっていなかったのはこの「課題の分離」だと思う。
よく人の話を親身になって聞くというと聞こえはいいが、
自分の場合、本当に他人の苦しみとかに感化されてしまって
自分の事でもないのに悩んで滅入ってしまった事がしばしばある。
見守るだけでよかったのか。


他者の視線、評価が気になる=他者から承認されたいと思っている。
しかし他者が望むような人になる必要はない。
自分に嘘をつき、
周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方になってしまう。
「誰からも嫌われたくない」と思っているから。

嫌われる勇気

対人関係における自由のコストとは「他者から嫌われること」だ。
幸せになる勇気には「嫌われる勇気」も含まれる。

嫌われる勇気

他者への承認欲求については、
幼い頃から親に対し先生に対し友だちに対し、
大人になってもずっとあると思う。
少なくともそういう社会で育ってきたから。
他者から評価されることが自分の価値やモチベーション
だと思い疑ったこともなかった。
だから自分が望まぬ事も無理してやってきたのだ。
アドラーは「自分で決めろ」「他人は気にする価値もない」
とコレまでの価値観が壊れるような話しをする。
そんな風に生きてもいいのだろうか。

〈共同体感覚)
他者を仲間だと見なしそこに「自分の居場所」があると感じること。
主人公は私だが「わたし」は世界に君臨しているのではない。
あくまで共同体の一員であり、全体の一部である。
横の関係=同じではないけど対等である。
誰かの役に立っている。
自らの主観によって「私は他者に貢献できている」と思える。
自らの価値を実感する。
存在しているだけですでに他者の役に立っているので価値がある。

嫌われる勇気

この共同体感覚はちょっと自分にはハードルが高い。
今はまだ社会との繋がりが持てないでいる。
アドラーに言わせればこんな自分でいるのは
「それを望んだ自分」のせいなのだろう。
「外出出来ない」のは、しないことを目的とした理由
「体調が悪い」「天気がよくない」だから出かけないと
自分が決意してるからだと言うだろう。
一理あるな、ここは居心地がいいから。
そしてわかっているなら早く自分で一歩を踏み出しなさいと
イライラしてるかも知れない。


自己受容 「出来ない自分」をありのまま受け入れ、
      出来るようになるべく前へ進む
他者信頼 信用はクレジット  信頼は無条件
他者貢献 私が誰かの役に立っている 
     主観的な感覚「貢献感」を持つ

嫌われる勇気


なるほど、自分がnoteを続けているのはこの
「貢献感」のためかも知れない。
外出はあまりしていないが、
共同体といえばnoteもその一部だろう。
自分の書いた物を読んでもらえることは確かに最高の喜びだ。


従来の心理学とは全く違った切り口で大変面白い本だった。
対話式だったのが分かりやすくて良かったと思う。


まるごと理解出来たかというと自分でも分からないが
今まで聞いたこともない新しい考えで斬新だし説得力もある。
ただすべてを鵜呑みには出来そうもない。
色々な本を読んだ上で必要な部分を取り込みたいと思う。

読んでみたくなった方はこちら⇩

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公立図書館などで借りるのもいいですね。


今日も読んでくださった方ありがとうございます。

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