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死体を見て喜ぶのに人が死ぬと悲しくて泣く

意識して見ると社会も人間も矛盾だらけ、というより筋がピッタリ通ってる方が少ない。

僕は戦争が起きて欲しい。良くも悪くも今の社会が崩れるから。長いこと多くの生きづらさを強く感じている。だからいっそぐちゃぐちゃになった方が気が楽。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」思考である。もし自分の右手が無くなったとして、1番心を許す友人も同じように右手(左手でもいい)が無くなったら虚しさが薄れて絆が深まるだろう。そういう観点と、ただ刺激が欲しいという下世話な気持ちからそう思うのだ。

でも同じくらいに日本が、世界が平和になって欲しいとも思う。いじめも誹謗中傷も虐待も精神病も障害も無くなって欲しい。家族も友人も(基本的に)他人も好きだから不幸な材料は少ない方がいい。人通りの多い場所で、自分も含めみんなが自然と良い表情で歩いている、そんな世界が出来たら良いなと。


この2つの願いは真逆過ぎるが、不思議と気分によって行き来する。
平和の対義語はあやふやだが、調べると「暴力・戦争・混沌」らへんが挙げられている。

しかしなにかに暴力をふるう時、人間は快楽物質のドーパミンが出て「快い」状態がその場その時限りであれど作られる。ならば一切暴力要素のない「平和」は必ずしも「最大限の幸福」に繋がらない人が実の所それなりに居そうだ。だからといって世紀末な社会ではストレスが押し寄せて暴力のような「負の快楽」では補えないくらいになってしまう。

それならば本当に僕らが求めているのは平和でも暴力・戦争・混沌でもなく「その間」なのではないか?何においても極端過ぎると良くない効果が生じがちだ。

世界で見るとスケールがデカすぎる。今の日本はどうだ?戦争はしていない。けれどインターネットでは誹謗中傷雨あられ。昔から結局いじめ、ハラスメント、犯罪は生きていたら1度は遭遇するくらいには起きている。これはわりかし良い塩梅ではないか?

また僕はないものねだりをしていたということである。自分だけか分からないが、何故こんなにも存在・所有していない物に魅力を感じるのだろう。

「Aをやりたいからやりました。でも満足して今はBの方がやりたい。ということで良いタイミングでBをやることにしました。でも満足して今はCの方がーー」

この繰り返し。馬鹿か?人間の欲には底が無いから、例えるなら「人生史上最高の椅子にゆったりもたれ掛かり、死ぬのを待つだけの安らぎ」が無い。努力、運が叶われ給料が25万に上がったら今度は「30万にしたい」と思う。30万になってそれなりに満足はしようが「もっと欲しい」という思いは絶対に生まれる。アルコール度数3%のチューハイを飲み続けたら「5%が飲みたい」とやがて思う。実際に5%を飲んだら満足する。しかしその内「7%もあるよな」と目線が動く。「今」の良さを体感することなど一瞬で、僕達はすぐさま「次」を探そうとする。




時の執着はほとんど「過去」か「未来」である。昔の被害経験や失敗、思い出からこの先の経験を不安視する。これはネガティブな面だけでなくポジティブな面も同じである。たった今の状況で僕達は今には存在しない過去と未来の事を考えて期待や失望ばかりする。変な話だ。

僕に関しては最近は後先を本当に考えなくなってきて、10年後、20年後、なんなら3年後でも、先のことを真面目に話している人を見ると違和感を覚えてしまう。ゲームの世界の話を現実のようにしている事とそんなに差はない。「もしも」の話はポジティブならば全然良いと思うが、なんにせよ「誰にも分からないのに仮定でそんな具体的に考えて何かあるのか?」と思ってしまう時がある。

薬をやりまくって心拍数がほぼ常におかしくて、いつ死んでも良い心構えを用意しているから価値観がズレてるのだろう。言ってしまえば自分が「間違った・普通じゃない考え方側」だから流石にその時は気持ちを奥底にしまい込む。


ともかく、「今」というのはハブられがちということだ。助けられた数時間後になって有り難さのサイズを理解したり、離れ離れになった時に「一緒の時にどんな部分がどれくらい自分を埋めてくれていたか」が時間差で分かる。ASD傾向のある僕は特に。


ただ前述の通り、最近自分は拍車をかけて「過去・未来」の執着が減り、「今が良ければいい」思考寄りになっている。と言うより内実は「今さえどうでもいい」かもしれない。家庭や社会的立場のような守るべきものはないし、深いギブアンドテイクの関係を築いている人も居ない。そうなると大事に"できる"のは自分だけで、唯一のそれを大事にできないのだからそりゃどうでもよくはなる。

「○○は全部諦めてるんだよ」「人生どうにかなる。諦めんな」と言っていたとある友人のことを思い出す。なんというか、彼女とは形ある考え方や趣向ではなく、"雰囲気"が同じ人間という感覚を勝手に持っている。僕のことを僕よりも理解できていた珍しい不思議な人である。元気してるかな。

今日は少ない休みだがやはり退屈だ。友達が高熱を出して遊べなくなったので、1人でダラダラしながらこんなしょうもない事を考える時間ができてしまう。仕事中になったらこの「しょうもない時間」を何よりも欲する癖に。結局自分が全くもって今を大事にできていない。


なんならそもそも自分が大事にできている事柄の方が少なそうだ。違法薬物をやらない気持ち、他人にネガティブを与えない気持ち、音楽、常識を持っているように見せかける意識、親と関わること……こんなもんか。


母親の実家に行った。途中で大きなホームセンターがあるのでそこで花を結構買った。桜が一番好きだけど青とピンクが混ざった紫陽花も中々良い。



実家には兄と姪っ子が居たのだが、こちらを見て笑うのが愛らしくてつい無愛想な自分でも笑みが溢れた。

母親は多肉植物の方がめっぽう好きでとことん植物の趣味が合わない。綺麗な色の花が咲かない植物に魅力なんて感じない。

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