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坂口安吾「堕落論」を読んだ



坂口安吾の「堕落論」をようやく読み終えた。この本は「続・堕落論」「青春論」「恋愛論」を含めたエッセイだ。全100ページほどで短い方なんだけど、中々読む気にならなくて1週間以上かかった。

エッセイみたいな物をたった今書いている身の分際で言わせて貰うが、エッセイはつまらない。絶対的な軸として現実がテーマであり、勿論夢なんてない。その上わざわざエッセイという形にされがちなものはなんだがドロドロしてて、当然全く共感できない所も出てくるので、常に「はあ」という顔をしながら話を聞いている気分になる。

言うなればフィクションの小説は劇場、ノンフィクションのエッセイは講義。同じ文学でも対極レベルの違いがある。

坂口安吾の死生観や「武士道などはくだらないが、時にそれらは人間には必要でいて、その上かっこよくはある」みたいな思想には分かる部分があったのでまだ楽しかった。僕は佐々木小次郎と戦った、くらいしか宮本武蔵の言い伝えなどを知らなかったので、そこを掘り下げてくれたのは知識として良かった。

ただ、現代においてもだが「女性が容姿を重要視している」文化?構造の理由が何となくわかったのはいい発見だ。安吾の仲が良かった女性の小説家は、生活の細々とした1つをテーマにして書くことが多かったようで。「女性は変哲が至って少ない、日常的な1時間を男性より深く、大事にしている」みたいな論を安吾はしていた。

ドーパミン(刺激)重視かオキシトシン(安定)重視かの違いみたいなものだろう。安吾はまあその時代の価値観もあっただろうから、性差をキッパリ、あるのが当然のように語っていた。しかし自分としては今の時代それはだいぶ薄れていると思う。

見た目で言えば女の子みたいなファッションやメイクをする男も居れば、逆も前者ほどではないが、居る。思想や行動で言えばもっとで、「主夫」なんかがわかりやすいだろう。

というのも、僕は可愛いキャラクターが結構好きで、錠剤を流し込んで腕を切ったりしてて、力も無く、「男らしい」という要素が少ないので「いや、まあ性差はあるけどさ……」となってしまう。自分に限らず、大体全体で見たら男らしさと女らしさが混ざりに混ざってる構造が普通なんじゃないかと思ってる。

もう1つ言うなら、「○○だから」みたいな男・女・兄弟・といった大まかな属性から生まれる固定観念的偏見があまり好きじゃない。「マスコミは全員クズだ」「看護師は優しい」「芸能人は普通じゃない」とか。主語が大きすぎて、大抵当てはまってるようで、個人にフォーカスしてみると当てはまっていない。人間ほど複雑な動物の人間性がそんな大まかな判別方法でできるか。それなりにできてしまう分余計タチが悪い。
今回の安吾のジェンダー論で言えば合点がいったし割と正確なのだが、ポイ捨てしてる所を見たような、人の心のない雑さを感じざるを得ない。

坂口安吾の書いた物を読んだのは初めてだけど、人間に期待をしていなくて、どこか自分の人生の暇を潰す"道具"として思っていそうだった。酷く現実的で、"情熱が無いようであるんだ"的なスタンスっぽいけど、いや、冷めてんな〜と。

他に面白い所を挙げるなら、友達の小説家だかに「君は絶対にろくな死に方をしない。車に轢かれたり、階段から落ちたり、脳出血とか〜」と言われていたのだが、安吾は本当に48歳の2月、脳出血で死んだ。運命みたい。文豪らしい綺麗なオチ。


エッセイの話に戻る。僕は人のエッセイを読んだことがほとんどない。気まぐれで読んでもすぐに忘れる。現実の体験・思想の話というのは自分でする分には面白いけど、聴く分にはあんまりなことが多い構築をしている気がする。尖っていたら面白いが疲れる。普遍的過ぎると世間話と何ら変わりない。

単純な話で、現実という土台自体がつまらん。現代は戦争も、テロも、犯罪も体験することなんて中々無いと思う。平和でいいですね。でも個人的には平和の最大のデメリットである「奇想天外の消失」が耐えられない。
安吾は要約すると「戦時中、家が焼けて避難する人々は生き生きとしていた。虚無であったのは戦後だ」みたいなことを書いていた。なんなら自分は戦争を楽しんでいたとも。

不謹慎だな!💢でもその通りなんだ。何も起こらず、緩やかに生活が堕落していく今の日本には面白さが1つもない。
先週だか、友達とドライブをした時政治の話になり「戦争とか起きねえかな。時代が絶対変わるし面白いと思うんだよな」と冗談交じりに言った記憶がある。軽く引かれた。今を生きるほとんどの人は、そもそも国・社会の現状を"面白い""つまらない"とかで見てないのか。

性格が悪いので「メチルフェニデートを配合したエナジードリンクが発売できたら凄いことになりそうだな」とか「ヤバい政党に主導権握らせてぐちゃぐちゃにして欲しいな」とか考えてしまう。

受動的に楽しさを求めるのは怠りだ。だから僕は日々でどんなことでも楽しめるように、色んな観点から「つまらない・嫌・不快・辛い」に属する物の魅力を探すようになった。
前だかに語ったように、駄作にだって新しい発見や本来とは違う楽しみ方がある。面白い事、楽しい事を生み出したり、遭遇するのは難しい。だから逆にそれに「変化させる」ようにした方が楽なのかもしれない。

ストレスで泣きながら笑って「辛いのに楽しい」という矛盾の感情を知ってからこういう良い?マインドができた。地獄も見るものだな〜

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