まさかの呪い

「これが毘沙門天の呪いだったのか……」
 ため息のようにそんな言葉を漏らした晋作は、最早その場に立ち尽くすことしかできなかった。

 廣瀬晋作は北関東では有名な不良グループのメンバーだった。中学生になった頃からそのグループに入り浸るようになった晋作は、中学卒業後の進路として何気なく見た映画に影響を受け、一度はバックパッカーになって日本中を旅しようかとも考えたが、元来小心者な晋作にそこまで思い切ったことなどできるはずもなく、周りに流されるままに名前さえかければ合格できるともっぱら噂の、私立大岩根工業高校に進学した。
 晋作の所属していた不良グループの中には喧嘩や窃盗などで補導される者や、中には少年院に送致される者もいたが、晋作自身はその性格もあって派手な悪さをすることはなく、せいぜい夜遅くにコンビニ前に集まっては近隣住民から煙たがられるのが関の山だった。
 元々晋作自身大きな夢があったわけでもなく、ただ親が敷いたレールの上を走るのが嫌だからという理由だけで不良をしていたため、その程度のことで満足していたのだった。
 そんな日々をなんだかんだで満喫していた晋作だったが、高校に入学してから半年ほどが経った頃、彼の人生にとって大きな転機が訪れるのだった。

 秋、大岩根高校も他の高校と変わらず、修学旅行のシーズンを迎えていた。
 修学旅行といえば京都に奈良、沖縄や北海道、学校によっては海外なんてところもある。しかし大岩根高校では、一年生の修学旅行先は山形、というのが通例だった。

 この高校の創立者である大岩根一朗太は山形出身、お世辞にも恵まれた環境とは言い難い家庭に生まれた。しかしそのような境遇にも決して負けることなく努力を続け、若くして金属加工の会社を立ち上げた。
 それからも持ち前のタフさとその社交性で会社を大きくし、最後には高校を創立するほどまでに上り詰めたという。
 そのため、この大岩根高校に入学したからには大岩根一朗太のルーツを学ぶことが義務付けられていた。つまり大岩根高校の修学旅行は文字通り、学業を修める旅行だったのだ。
 その証拠の一つとして、この修学旅行終わりには「大岩根一朗太の史跡を巡って」というテーマの作文を書かされるのが伝統となっており、この作文を提出することが不良だらけで一見自由なこの高校における唯一のルールだった。
 なんでもこの作文を提出しなかったがために退学処分になった奴がいたという都市伝説もあり、県内でも一二を争う底辺高校をそんな理由で退学になっては仲間からもバカにされかねないと、みんながしっかりと書くのだった。もちろん小心者の晋作も例外ではなかった。

 大岩根一朗太に関する史跡を巡る三泊四日の修学旅行も三日目は班ごとによる自由行動が認められていた。誰が言い出したのか米沢牛を食べようということになり、晋作たちは町中を歩き回ったが、もちろん高校生が入れる価格帯の店などあるはずもなく、早々に暇を持て余すことになった。
 目的もなくぶらぶら歩いていると、晋作たちは上杉神社という神社を見つけた。
「おい、そこのコンビニでジュースでも買って、ここでちょっと休もうぜ。」
 リーダー格の小柴は不敵な笑みを浮かべながらそう言った。

 コンビニの袋からジュースを取り出しながら小柴は話し始めた。
「よし、じゃあじゃんけんで負けたやつがあそこの像にジュースをかけて、マジックで自分の名前を書こうぜ。」
 そういうと小柴は筆箱から油性のマジックペンを取り出した。
「えー、やめようぜ。」
 そういう晋作に対し、周りはビビってんじゃねえよ、と煽るばかり。
「別にビビっちゃいねえけど。」
「じゃあじゃんけんするぞ。じゃんけんぽい!」
 晋作の一発負け。
「ビビッてっからそうなんだよ。」
 小柴は笑いながらそう言った。
「ビビッてねえよ!」
 そう強がってみせたが、ただでさえ小心者な上に、霊的なことに関しては人一倍怖がりな晋作は内心とても動揺していた。
「よし、じゃあこのジュースをかけて、名前を書いて来い。」
 コンビニ袋を晋作に渡すと、小柴はスマホを使って録画を始めた。
「じゃあ、行くよ。」
 行け行け!、と煽る小柴たちの言葉を背に、像の元に向かう。像に近づくと、その像の近くにある説明書きが読めるようになった。
「おいこれ、上杉謙信像って書いてあるぞ。」
 晋作がそう言うと、小柴たちがわちゃわちゃ騒ぎ出した。
「上杉ケンゾー?誰だそれ。」
「誰だよ、ケンゾーって。上杉謙信だろ?」
「上杉ケンシン?どっちにしろ知らねえわ。」
「戦国武将だろ?信長とか秀吉みてえな。」
「お前よくそんなこと知ってんな。」
「なんか親父がやってたゲームで聞いたことあったんだわ。」
「へえ、そうなんだ。てか、んなことどうでもいいから早くしろよ!」
祖父が時代劇好きだったこともあり、晋作は上杉謙信を知っていた。彼が生前、七福神の一人であり武神としても知られる、毘沙門天の生まれ変わりと言われていた事も。妙に信心深いところのある晋作は一層怖くなったが、小柴たちがせかしてくるので腹をくくることにした。
 像に近づくと口に含んだジュースを吹きかけ、今度は像の後ろに回ってマジックで自分の名前を書いた。
「ナイスー!」
「いったれいったれ!」
 その騒ぎを聞きつけた神主たちが走ってくる姿を見つけた一行は走ってその場を逃げ去るのだった。
 宿に戻ってからもその話は続き、やれ神主の大声が面白かっただ、坊主頭で真っ赤な顔だからゆでだこみたいだっただで、ひとしきり盛り上がり、その頃には晋作もあの時の恐怖心はどこへやら、みんなと一緒になって盛り上がっていた。

 その夜、晋作は不思議な夢を見た。
 真っ白な空間に突然怒りの形相を浮かべた仏像が現れた。
「我が名は毘沙門天。先ほどの貴様の不敬、しかと見届けた。貴様には呪いをかけた。然る時が来ればその呪いが実り、貴様に罰が与えられるだろう。」
 次の瞬間、目が覚めた晋作は、尋常じゃない寝汗をかいていた。
 これはまずい、そう考えた晋作はまだ夜明け前にもかかわらず宿を抜け出し、途中のコンビニでスポンジと水を買うと上杉神社に向かった。
 例の上杉謙信像の前につくと、心なしか怒った表情を浮かべているように見え、晋作は必死に掃除をした。

 それから晋作はすっかり心を入れ替えることにした。不良グループを抜け、授業を真面目に受けるようになり、もちろん、「大岩根一朗太の史跡を巡って」というテーマの作文にも人一倍真面目に取り組んだ。
 初めは小柴たちもそんな晋作たちにちょっかいを出し、時には校舎裏でリンチされることもあったが、そのうちに飽きが来たのか、全く手を出さなくなった。
 晋作は大学入学を目指して受験勉強を始め、決して名門大学ではなかったがそこそこの大学に進学した。大学に進学してからも努力を怠らず、フットサルのサークルに入って普通の大学生らしい生活も謳歌しながら、なかなかの大手企業に就職を決めた。
 そこで知り合ったのが同期入社の長谷川小町だった。お互い大学時代はフットサルのサークルに入っていたというところから仲を深め、すぐに交際がスタート。それから五年ほどの交際期間を経て、二人は結婚した。そして三十路を迎えてすぐの頃、待望の娘を授かった。
その頃になると晋作は上杉神社でのあの出来事に対し、恐怖どころかむしろ感謝すらしていた。あの出来事があったおかげで自分は更生することができ、今の幸せな日々がある、と。
そして娘には、上杉謙信の初名である長尾景虎にあやかって、千景(ちかげ)と名付けた。仕事も充実し、家族にも恵まれ、そんな幸せな毎日がずっと続くと思っていた。しかし、悲劇が訪れた。
四歳になった娘の千景が、高熱を出して倒れてしまったのだ。
精密検査を進めると世界でもあまり症例のない難病だということが判明。医者から病気についての話を受けたが晋作の耳には全く入らなかった。そう、晋作はあの夜の毘沙門天の言葉を思い出していたのだ。
『貴様には呪いをかけた。然る時が来ればその呪いが実り、貴様に罰が与えられるだろう。』
医者が話している間も、あの言葉だけが頭の中でループしていた。
娘の病室に赴いたがまともに顔を見ることができず、ちょっと飲み物を買ってくる、と病室を後にした。
「これが毘沙門天の呪いだったのか……」
 ため息のようにそんな言葉を漏らした晋作は、最早その場に立ち尽くすことしかできなかった。
しかし、晋作はまだ諦めていなかった。
「上杉神社に行こう。」

 実に二十年弱ぶりの上杉神社。晋作は再びあの上杉謙信像の前に立っていた。
「若気の至りとはいえ、あのようなことをしてしまい申し訳ございませんでした。考えてみれば、あの朝は恐怖心に駆られて掃除をしただけで、謝罪すらしていませんでした。本当に申し訳ございませんでした。どうか、どうか娘の千景を助けてください!」
 すると、自分のポケットから着信音が聞こえてきた。小町からの着信だ。晋作は、震える手で電話を取った。
「もしもし?」
「千景が、快方に向かってるって。」
 小町は涙ながらにそう言った。

「現代医学では考えられません。はっきり言って奇跡としか言い表せない。」
 千景の主治医は心底驚いた表情を浮かべながらそう言った。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」
 いつぶりだろう、更生するのが気に食わないからとリンチをされた時だって、念願の大学に合格した時だって、小町と結婚した時だって、千景が生まれた時だって涙一つこぼれなかったのに、今の晋作は涙を止めることができなかった。

 それからの晋作は、さらに心を入れ替え、人への感謝を惜しまない人間になった。
 仕事にもより一層真面目に取り組み、休みの日には子供と遊ぶだけでなく、家族一丸となってボランティア活動に精を出したり、難病の子供たちへ寄付したりもするようになった。

 あれから数年、今日は久しぶりに家族でのお出かけだ。有名な粟ぜんざいのお店に行きたい、という小町の希望で三人で神楽坂へ向かった。粟ぜんざいを食べ、近くの善国寺に向かうことにした。もちろん、お参りをするためにだ。鳥居の下ををくぐると、なぜかあの時の夢と同じ真っ白な空間に立っていた。
「え、なんだ?」
 すると目の前に、あの夢に現れたのと同じ怒りの形相を浮かべた仏像が現れた。
「やっと貴様に罰を与える時が来た。」
 毘沙門天は淡々とそう言った。
「罰?罰って、僕は既に受けました!」
「何を言っている。」
「僕の娘が難病にかかって、だから上杉神社に謝りに行ったんです。そしたら娘の病気が治って、だからてっきり。」
「我が輩は貴様に呪いをかけたのだ。貴様の娘のことなど知らん。」
「じゃああれは、本当に奇跡だったんですか?」
「だから知らぬといっておろう。」
「でもなんで、なんで今何ですか?」
「貴様がここに来たからだ。ここは我が輩が祀られている場所。ここでこそ真の力を発揮できるというものだ。」
「僕は、僕はどうなるんですか?」
 その言葉がスイッチだったかのように一瞬あたりが真っ暗になったかと思うと、目の前には神楽坂特有のあの長い坂とそれを囲む店々が現れた。しかし、人の気配はない。
「今からこの神楽坂で、人間の貴様にとっては悠久とも思える時間を過ごしてもらう。寝る必要も食べる必要もなく、年を取ることすらない。」
 どこからか毘沙門天の声が聞こえてきた。
「気が狂うこともできず、ずっと正気のまま貴様はこの神楽坂で生き続けるのだ。これが気様への、罰だ。」
「なんでこんな罰なんですか!もっとほかにもあるじゃないですか!人間にとって悠久と思える時間って、どれだけここで過ごさなきゃいけないんですか!」
 しかし返事が返ってくることはなく、毘沙門天が既にここにいないことを察した。
「千景のことは、あれは呪いなんかじゃなかったんだ。本当に奇跡だったんだ。」
 晋作は安堵すると同時に、この上ない絶望感にさいなまれていた。
「これが毘沙門天の呪いだったのか……」
 ため息のようにそんな言葉を漏らした晋作は、最早その場に立ち尽くすことしかできなかった。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,258件

#この街がすき

43,597件