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余韻と現実の間で。

2022.10.11-----

朝目が覚めると、私は自分の部屋にいることに気づき、あの2日間は夢だったのではないかと余韻と現実の間を彷徨っていました。

鳥のさえずりを聴きながら、白湯を飲みストレッチをし一日が始まります。

休み明けの3日間は外部研修の予定があり、いつもと違う時間に、環境に、足を運びました。

研修後は、休みが続いていたこともあり、仕事が溜まっているのではないか、期日が迫っているものがあるのではないか、と不安に襲われ、会社に向かいました。

この性格が顔を出すと、頭痛を起こし、酷い時には吐き気まで起こります。そんな自分に疲れて、落ち込んで、誰かにこの苦しみを知ってほしいと思ってしまいます。強くなるって決めたのに。

誰かに頼ってもいい、甘えてもいい、もっと自分を大切にした方がいい、楽しんだ方がいい、、
そんな声が私の耳に届きます。

私は充分に人に頼っていると思っています。ただ頼れる人が少ないだけ。母と、大切な人と、、
大切な人はすぐに逢えるような距離に暮らしていないし、、そうなると母に頼りっきり。
友人にもっと頼ることができればいいのかもしれない、そもそも頼ることのできない友人は、友人と呼べないのでは....。いや、私には、私の内部に潜む不安の渦が、恐怖の塊が、言葉にできないから。だから頼ることが、甘えることが、難しいのです。

逃げたくても、逃げることのできない、社会の溝に埋もれた私を、空だけは、ただそこに在り続けていました。この日の空、本当に綺麗でした。電車に乗っていて写真を撮れないことにもどかしさを感じたくらい。空が綺麗だと想える心があれば、きっと私は大丈夫。そう想える瞬間でした。

帰宅途中の私は、平手友梨奈さんの楽曲を聴いていました。彼女の楽曲を聴くときは、僕として存在できるような気がして。社会の溝に埋もれた私を、引き摺り出し、私の代わりに強い炎を湛えているような気がして。

変わり映えのない日常に見えても、私にとっては不安と恐怖と緊張の連続。その中でも、ただ在り続ける何かに寄り添って、私として、僕として、これからも生きていきます。

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