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西加奈子さんはこうだったけれど、自分だったらどうだろうー『くもをさがす』を読んでー

 エッセイ『くもをさがす』で、西加奈子さんは乳がんを告知されて治療を進めていく中、「自分」の所在に不思議な感覚をもつようになったという。治療でつらいときなど、何かが自分に起こっているとき、そのできごとと自分には、いつもどこか一定の距離があったそうだ。
  
 このことは、私にもわかる。何かつらいことや、現実を受け止めきれないことがあったとき、自分に起こっている出来事をどこかから客観的に見てしまう、防御反応のようなものだ。

 私は大学受験に失敗したとき、先生に先に泣かれてしまい、「先生はなんでそんなに悲しんでいるんだろう」と、急に客観的な視点になってしまって、一緒に悲しむことができなかった。もちろんがんの告知と受験の失敗は全然違うつらさがあるが、そのときの感情は似ている気がする。

 ただ、このエッセイの中で特筆すべきは、自分を客観視してしまって自分がわからなくなってしまった後、自分が自分に戻ってきたときの感覚がユーモアたっぷりに表現されていることだ。

 西加奈子さんは乳がんの手術前、看護師に別人と間違えられた。人によって疾患や術式、使用する薬などすべてが異なるため、もちろん絶対に間違いがあってはならない場面だ。

「あんた、ボニータやんな?」
「私は、ボニータではありません。」
「私はニシカナコです。」
その時、「私」は「自分」になった。

本書より抜粋、途中一部省略


 意外にも、マイナスな状況を打開しようと動いたときに、「自分」が戻ってきたりする。嫌なことをはっきり嫌だと主張できたときに、「自分」は戻ってきたりする。それを言語化できていることに、すごく感動した。

 あと、もう1つ。
 なぜ西加奈子さんが数々のエピソードに友人の固有名詞まで出して、こんなにも丁寧にまとめ上げたのか。根底にあるのは友人(もちろん家族も)への感謝だ。

 私は、つらいことがあったときに無性に文章を書きたくなる。つらい記憶や気持ちを、そのままにしておくことができなくて、書くことで整理したくなる。最近とくにつらかったことは、祖父を私の結婚式の直前に亡くしたことだ。
 でも、祖父のことを文章に書きたいのは、悲しい感情だけが原動力じゃない。小学生の運動会・中高生の体育祭は、仕事で来れない両親に代わって、いつもカメラを片手に駆けつけてくれた。私が大学生や社会人になってから編集した雑誌は、すみずみまで喜んで読んでくれた。私の結婚式を亡くなるまでずっと楽しみにしてくれていた。私の人生のすべてを応援してくれてありがとうという、祖父への感謝があるから書きたいのだと、この本のおかげでポジティブに考えられるようになった。

 西加奈子さんはこうだったけれど、自分だったらどうだろう。そんなふうに随所で考えられるエッセイだった。



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