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妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅺ-もうずっと一緒と誓った日-

前回までのお話
1 私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2 突然現実化した私の結婚
3 結婚は点ではなく,線である
4 私にとっての「結婚式」
5 そろそろ本題へ…子どもどうする問題
6 突然現実化した私の妊娠
7 どうする産婦人科問題
8  こんなに辛いなんて聞いてない
9  世間一般的な「妊婦像」との乖離
10 私が「母親」になった日

11  もうずっと一緒と誓った日

そういうわけで,私はようやく産婦人科という扉を開くことができたのだが,そこで分娩予約完了…とはならなかった。

その産婦人科では,車で片道40分の距離だと何かあったときに早急な対応ができないからとの理由で,近所の産婦人科への転院を勧められてしまったのだ。それでも,その産婦人科で産みたいということであれば受け入れは可能だが,分娩は予め入院したうえでの計画分娩になってしまうとのことだった。

さらに,潰瘍性大腸炎の持病については,落ち着いていれば問題なくその産婦人科で産むことができるし,実際に,潰瘍性大腸炎を患いながら,その産婦人科で出産された妊婦さんもいるとのことだったのだが,妊娠中に症状が出てきたらやはり転院になってしまうとのことだった。

なんということだ…。
どうする産婦人科問題…華麗に振り出しに戻る。

私たちはその場で結論は出せなかったので,次の妊婦健診までに考えておくということになった。そのあと,看護師さんより,母子手帳の申請についてや今後の妊婦健診についての説明を受けた。

その際に,クアトロテストの説明も受けた。看護師さんからは,これは任意なので,説明書を良く読んで,次回までに受けるかどうか話し合っておいてください,と言われた。
しかし,私たちは,妊娠する前から,妊娠したら出生前診断は受けるよね,とすでに話していたし,最近では,受けることが当たり前のように思っていたため,その場でクアトロテストも予約した。
私は妊娠するまで,仮に胎児に遺伝子疾患が見つかったら育てることはできないと思っていた。理由は,批判を恐れず言えば,私自身もまだ目標があって,子育てとキャリアの両立を目指していて,子育てにそこまでの時間と情熱を注げるのか疑問だったし,私たち両親がいなくなった後のことまで考えると果たして産まれてくる子どもも産まれてきたことが良かったと思えるのか分からないし…といった感じだった。
そして,私は,安定期に入るまで何があるか分からないからという理由ももちろんあったのだが,万が一,胎児に遺伝子疾患が見つかったりしたら…という思いもあって,妊娠したことを公にするのは安定期に入って,かつクアトロテストまで終わってからにしようと密かに思っていたのだ。

そうして,私は,次回の妊婦健診の予約とクアトロテストの予約をして,その日は帰った。

自宅に辿り着いてからは,赤ちゃんが無事に元気に育っていたことにホッとして,夫とエコー写真を眺めながら話していた。そして,何気なく,クアトロテストや遺伝子疾患についても調べはじめた。

妊娠するまでは何の迷いもなく出生前診断をしようと思っていたのに,そして,たった数時間前には実際にクアトロテストを申し込んできたのに…なんとも言えない違和感が湧いてきたのだ。

もし,クアトロテストをして,遺伝子疾患の確率が高くて,そのあと羊水検査までして,遺伝子疾患があると言われたら?

そしたら,堕すの?

胎盤にしがみつく赤ちゃんを見て「母親」になったものの,クアトロテストの申し込みをしたときには,「じゃあ,それで遺伝子疾患があるって言われたらどうするの?」というところまで具体的に考え直してはいなかったのだ。

なんとも言えないモヤモヤした気持ちを抱えたまま,安心するためにも受けとくべきかな…などとぐるぐると考えていた。

それから,再来したどうする産婦人科問題については,私は計画分娩ではなく,自然分娩で産みたいと思っていることや潰瘍性大腸炎も完全に寛解しているとは言えない状態で,これからさらにどうなるか分からず,出産が近づいてきてからいきなり転院となるよりは,最初から分娩までできる病院に行くべきだという結論に達し,結局,潰瘍性大腸炎の主治医が最初に勧めてくれた大学病院の方へ紹介状を書いてもらうこととなった。

そうして,大学病院へ初めて行った2020年4月11日。

潰瘍性大腸炎の一件以来,病院嫌いになっていたし,ましてや大学病院…緊張と不安でいっぱいだった。大学病院自体の評判はとても良かったのだが,医師については,たくさんいるため,個人の評判を知る由もないし,大学病院の医師といえば,偉そうな(実際偉い),冷たい,怖い…そういうイメージだった。待合室では緊張からお腹が痛くなったり,つわりで吐き気が襲ってきたり,とにかく具合が悪くて仕方がなかったのだが,さすが大学病院…一向に呼ばれないのだ。私が呼ばれたのは,なんと受付から3時間後だった。さすがに呼ばれる頃には,緊張も不安も通り越して,イライラしていて,付き添いの夫の鼻をつまんだりしていた。ちなみに,その頃,待合室にいたのは私たちだけだった(さすがに,周りに人がいるのに夫の鼻をつまむ程変人ではない)。

そうして,待合室で3時間を過ごした後,ようやく診察室に入ることができた。診察室に入ってから,また緊張と不安が襲ってきた。大学病院の診察室ってだけでなんか怖い。

さすが大学病院だけあって,最初の問診がとても長かった。いつもは声が大きく早口の私も,このときばかりは震えるような小さな声でしか話せなかった。

それから,エコー検査をしたのだが,さすが大学病院。エコー検査も長かった。そして,エコー検査中の先生の沈黙も長かった。先生が黙る度に,何か異変が見つかったのではないかとドキドキさせられた。しかし,先生から伝えられたのは,頭が大きい,手足が長い,問題なく育っているということだった。頭が大きい,手足が長いというのを聞いて,思わず夫と笑ってしまった。私たちは2人とも高身長だし,そして,私は約3700g,夫は約4200gで産まれていて,どちらも頭が大きく難産だったらしく,赤ちゃんもすでに私たちにそっくりだったからだ。ますます愛おしさが込み上げてきた。さらに,前回は胎盤にしがみついていて顔を隠してしまっていた赤ちゃんも今回はばっちり顔を見せてくれた。その顔がまた私にそっくりだったのだ。後から,改めてエコー写真を見た夫が,「これ,**ちゃん(私)じゃん‼︎」と大笑いしたほどだ。

エコー検査も無事に終わったところで,ついにきてしまったのだ。長年,恐れ慄いていたあいつが。そう,内診である。この日,妊娠初期の検査を一気に全部やるということで内診台に乗せられてしまったのだ。
あまりもの恐怖心で,内診台に乗ってから,全身に力を入れまくった。力を入れると余計痛くなるというインターネットで仕入れた情報を思い出し,必死に力を抜こうと深呼吸したりするのだが,全く力が抜けないのである。このときの力の入りようはといえば,帰りにうまく歩けなくなるほどであった。
恐怖心でカチカチになった体に,さらに力を入れまくったおかげで,内診は痛かった…。経膣エコーも痛かった…。
あぁ,こんなんで出産なんてできるのだろうか…と心底情けなくなった。
そして,さすが大学病院…毎回内診があるというのだ…‼︎
これは後日談であるが,私は,先生に内診が怖いなんて言おうものなら,「そんなんで出産できないよ」と怒られると思っていたし,しかも,この年で「怖い」なんてかっこ悪いし,恥ずかしいし…などと思って,この日はなんとか平気な顔を作って内診台へ向かってしまっていたのだが,次の妊婦健診の際に,事前の助産師面談で「実は,内診が苦手で…」と相談したところ,先生に伝えたら配慮してくれるはずだし,怖かったらカーテン開けることもできると思うよ,などとアドバイスをいただき,「でも,先生も困りますよね」と言ったところ,「患者さん第一だから」と言ってもらえたことで調子に乗った私は,それ以降,毎回堂々と「内診が怖い」と伝えている。その結果,痛くないよう配慮してくれて,カーテンを開けたりなんかもしてもらって,すっかり内診恐怖症は克服したのであった。もし,内診恐怖症の方がいらっしゃったら,是非堂々と「内診が怖い」と伝えてみてほしい。

そして,経腹エコー,経膣エコーの両方で,婦人科健診をサボっていた私の子宮も卵巣も問題がないことが判明し,ホッと胸を撫でおろした。

それから,内診台から帰還し,夫を再び診察室へ呼び戻すよう言われたため,診察室前に座っていた夫を呼ぼうと診察室の扉を開けたのだが,扉を開けた瞬間,半泣きで座っている夫の姿が目に飛び込んできた。私はというと,内診は怖くて痛かったのだが,やっと終わったという解放感でいっぱいで,ニコニコと扉を開けたところ,夫は,私を見るなり,「大丈夫だった?」と今にも泣きそうな顔で聞いてきたのだ。以前から,夫にも内診がいかに怖いかを話していたため,内診台で私が泣き叫んでいるのではないかなどと想像して心配していたらしい。いくらなんでも31歳にもなって,泣き叫びはしないよ…。
夫はいつだって自分のことのように,というか自分のこと以上に,私のことを心配してくれるのだ。ごめんね,鼻つまんだりなんかして。

そうして,夫を診察室に呼び戻し,夫と一緒に先生から説明を受けた。最初は緊張と不安から先生に対しても怯えていたのだが,エコー検査や内診が終わってホッとしたところで先生と話してみると,先に述べた大学病院の医師のイメージとは全く異なる先生だった。とても穏やかで,優しく,こちらの質問には丁寧に分かりやすく,かつ論理的に答えてくれて,それでいてボソっと面白いことも言っている。この先生が担当医となり,今後の健診も担当してくれるとのことで心底ホッとした。

それから,私は,先生に,前の産婦人科でクアトロテストを申し込んでいたという話をした。先生は,「今から受けて週数間に合うかな」とつぶやいた後で,堕胎ができるのは21週までだから今からクアトロテストを受けて羊水検査の結果が出るまでの期間を考えたらギリギリだから,クアトロテストをやるのであれば3日以内にまた来るようにと言って,クアトロテストのパンフレットを私に手渡した。

その説明を聞いた私はとっさに夫の方を見て,「もし赤ちゃんに何かあったとしてももう堕したりなんかできません‼︎」と言い,「それでもクアトロテストをやる意味はありますか?」と,先生に聞いた。このとき,夫は何も言わなかったが,夫の表情から私と同意見であることが分かった(そして,後から聞いたらやっぱり同意見だった)。

それを聞いた先生は「じゃあ,やらない‼︎」と言って,私の手からパンフレットを取り戻した。

このとき,診察室の空気がガラリと変わったのを感じた。今更堕ろせないという私の言葉を聞いた先生は明らかに嬉しそうだった。あぁ,この先生は本当に胎児を大切に思ってくれているのだな,ということがひしひしと伝わってきた。とても良い先生に巡り会えたことが嬉しかった。

それから,先生は,エコーでじっくり見たけどエコーで分かる範囲の問題はないし,もし何かあれば,患者さんは知る権利があるから,患者さんに問題は伝えたうえで,クアトロテストを紹介するが,そうでなければ,この大学病院ではクアトロテストは受けない人がほとんどだということも教えてくれた。
私は,クアトロテストはやることが普通だと思っていたことや前の産婦人科でもそんな雰囲気だったということを伝えたところ,先生は,それは医師としては良くないなぁというようなことをボソっと言っていた。

そういうわけで,私たちは,クアトロテストは受けないことにした。
帰り際に,私が今更堕ろせないと言ったことについて,夫が「あれはかっこ良かった」と言った。
私自身もビックリだった。妊娠前には迷いなくすると決めていた出生前診断,もし胎児に何かあれば育てられないとさえ思っていた。そんな私にこんな心境の変化が訪れるなんて。

胎盤にしがみつく赤ちゃん,手足が長くて,頭が大きい赤ちゃん,私にそっくりな赤ちゃん。そして,もう私とは違う命。

今更,この子と離れられるわけがない。

クアトロテストを受けないと決めたことで,これから何があってもずっと一緒だよ,と赤ちゃんに誓った。そして,これからずっと一緒にいられると思うと嬉しくてたまらなくて愛おしさがますます込み上げてきた。

私は決して出生前診断を否定しているわけではない。あくまで私個人の気持ちの話である。
私はやらないと決めたことで,赤ちゃんへの愛情も責任感も増したし,やらないことを大いに喜んでくれた先生に対する信頼感も一気に高まったし,何より,この子とずっと一緒にいられるということで妊娠の喜びがドッと押し寄せてきたのだ。これまで妊娠の喜びよりも不安の方が大きかった分,私にとってはとても意味のあることだった。

赤ちゃん,もうずっと一緒だよ。よろしくね。そう誓ったことで,私はまたさらに「母親」になれた気がした。

つづく

第12話はこちら⇒妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅻ-突然やってきた私のマタニティブルー-


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