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妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅴ-そろそろ本題へ…子どもどうする問題-

前回までのお話
1  私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2  突然現実化した私の結婚
3  結婚は点ではなく,線である
4  私にとっての「結婚式」

タイトル回収の気配すらない話が続いている。ちょっとタイトル間違えたかなと,自分でも何度も思ったのだが,でも,何度考え直しても,私が残しておきたいことはタイトルどおり。

その話に向かうまでに必要な話が意外にも長かった。書き始めたときは1日で終わると思っていたのだが…。とりあえず,本題を書かないうちに,突如現れたクリエイティブさがなくならないことを願うばかりだ。

5  そろそろ本題へ…子どもどうする問題

さて,結婚して「夫大好き」というただの惚気話かよ,と思われそうな話が続いていたのだが,そろそろ本題,「結婚はしたけど子どもはどうするの?」

夫とはけっこうな年の差婚(夫の方が年上)なこともあって,子どものことを思ったらなるべく早めに産んだ方が良いよね,くらいの軽い気持ちもありながら,でも,付き合ってから結婚までが短かったし1年くらいは2人で過ごしたいよね,なんてことを夫とは話していた。

ただ,私の周りでは不妊治療をしているなんて話も良く聞いたし,欲しいと思ってすぐにできるもんじゃないとは分かっていたし,そもそも,授かりものだし,すぐにできたらできたで良いよね,みたいなスタンスで過ごしていた。

今思えば,なんだったのだろう,このノーテンキさは。結婚したばかりで浮かれていたのか,結婚しても毎日がバタバタでじっくり考える時間も余裕もなかったのか。よく分からないがこうやって文字にすると自分でも驚かざるを得ない考えの浅はかさよ。

しかし,それから妊娠することもなく私が病気になってしまい,とりあえず病気を治す(難病なだけあって,治ることはなく,厳密には寛解というらしいが)ことに専念することとし,いったん子どものことは先延ばしとなった。幸い,私の病気が妊娠や出産に影響することはほとんどないらしく,これまた幸い,私は3ヶ月ほどで寛解した。

私は病気になったことで人生観が変わり,とにかく後悔しないように生きようと強く思うようになった。そして,まずはやりたくない仕事はさっぱり辞めて,長年の目標に向けて再スタートすべきだと思った。きっと,大病した今ですら辞めないのなら,もう辞める機会はないだろうし,夫が言ったように人生無駄なことはないにしても,不本意な仕事に人生の大半を費やしてしまえば,後悔する日がくると思ったのだ。ありがたいことに夫も背中を押してくれた。

そして,私は25歳から6年ちょっと続けた不本意な仕事を辞めた。仕事内容もそうだったが,何より公務員という組織がやっぱり私には耐えられなかった。間違っていることを間違っていると言えないことがどれほど辛いことか。理不尽にも耐え,思ってもないお世辞を言って,右向けと言われればどんなときでも右を向く,そんな人が出世して「偉い人」になって,間違っていることを間違っているとちゃんと言える人はどんなに優秀でも疎まれる…子どもの頃に気付いた,自分は組織に向いていないということをしっかりと身を持って確認する羽目となってしまった(あくまで私のいた組織の話で公務員が全てそうだとは思っていないが)。

私は退職してすぐに夫の下で働きはじめた。
それまでは1時間半以上かけて電車通勤していたのだが,一転,通勤時間が5秒になった。
間違っていることは間違っていると言えるし,自分の意見を堂々と言えて,夫はちゃんと議論してくれる。加えて,夫は私が長年目標としている仕事で開業していて,未だ資格のない私は補助しかできないのだが,長年やりたくてたまらなかった仕事に携わることができる。

まさに塞翁が馬だな,と思った。病気になったことでそれまでの仕事を辞める決断ができ,仕事を辞めて夫の下で働きはじめたことで,これまで抱えていた不満や悩みが消えたうえに,仕事が楽しくて仕方のないものになったのだ。さらに,私が公務員時代に学んだ知識や経験はダイレクトに仕事に活かされた。

かつて,私が惚れた,夫の言った「人生無駄なことはない」という意味がようやく分かった瞬間だった。不本意ながらも精一杯仕事に取り組んでいた日々も,病気になったことも全て無駄なことではなかった。

それから病気はすっかり落ち着き,休みの度にキャンプをしたり,夏休みには10日ほど車中泊旅行をしたり,充実した日々を過ごしていた。
そして,長年の目標に向けた勉強も再開した。

…え?子どもの話はどこへ?という声が聞こえてきそうだが,まさにそんな感じで,私自身,子どものことは完全に後回しになっていた。そろそろ夫と話し合わなきゃなぁと思いつつも,話し合うことすら後回しにしてしまっていたのだ。とりあえず,来年の資格試験の結果を待ってからで良いか…などとも思っていた。この頃は,仕事に,勉強に,遊びに,いつも夫と一緒で,その全てが充実していて,しばらくそんな日々を続けたかったのだと思う。大病をした後で,なにげない毎日が愛おしかったのだ。

そんな日々が続いたある日,夫と日帰り温泉に行った。ちょうど雪が積もった日で,人生初の雪見露天風呂だった。露天風呂に浸かりながら雪景色をボーっと眺めて,そのときなぜか子どもについて真剣に考えたのだ。

物心ついた頃から,どうせいつか死ぬのになぜ生きるのかという疑問を抱えていた。それは私にとっては大きな問題であり,また同時に,死ぬことが震えるほど恐ろしく,そんな恐怖心を抱えながら生きねばならず,それだけでなく,加えて,人生はものすごく大変で,それでも,なお,生まれてきて良かったと言えるのだろうか,と。生まれてきて良かったと言えるのかという問いに対して,まだ答えが見つかっていないのに,子どもを産むことが果たして許されるのだろうか。子どもにも同じ思いをさせてしまうのではないだろうか。そんなことをぐるぐると考えながら,生まれてきて良かったのかどうかの結論が出てから子どものことは考えよう,そう心に決めた。

近いうちに夫にこの話をしよう。そう決心して温泉から出た。

つづく

第6話はこちら⇒ 妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅵ-突然現実化した私の妊娠-

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