見出し画像

妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅳ-私にとっての「結婚式」-

前回までのお話
1  私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2  突然現実化した私の結婚
3  結婚は点ではなく,線である

4  私にとっての「結婚式」

そういうわけで,私たち夫婦は結婚3年目にして未だ結婚指輪も結婚式も新婚旅行も「検討中」であるのだが,私がこれらの結婚に伴う儀式に対してやる気がないことについてはもう1つの理由がある。

結婚して1年目,私は相変わらず仕事を続けていたし,結婚を機に初めて実家を出て(高校時代に寮生活を送っていたが一人暮らしは結局しなかった),仕事に,家事に,新しい土地での生活に…突然,「大人」になってしまったような気がした。

平日は朝7時に家を出て帰ってくるのは早くても夜8時過ぎで,夕食(ありがたいことに,夫は自宅の下に事務所をかまえて仕事をしているため夕食はほとんど夫が作ってくれていた)を食べて,お風呂に入ったら寝る時間。そんなホッとする時間もないような慌ただしい毎日に加え,仕事でも次から次に理不尽なことやどうしても納得いかないことが起こり続け,心身共にヘトヘトだった。

そして,私は頻繁に体調を崩すようになった。高熱が下がらなくなる,腎盂腎炎になる,など。毎日,強めの栄養ドリンクを飲まないと座ってることすらしんどくて,胃薬や痛み止めも手放せなかった。それでも,持ち前の負けず嫌いでなんとか日々を過ごしていた。まぁ,死にはしないさと軽い気持ちで。

そんなある日,下痢が止まらなくなった。元々,胃腸の調子が悪くなることは良くあったし,病院でも胃腸風邪と診断されたし,最初はなんとも思っていなかった。でも,いくら薬を飲んでも一向に治らない。おかしいな…と思いつつも,何日か下痢が続いたある日,休めない仕事があったため下痢止めを飲んで死ぬ気で出勤した。出勤してすぐに行ったトイレで,便器を見て私は固まった。と,同時にやっぱりという気持ちもあった。このときにはすでに,ただの胃腸風邪じゃない,そんな嫌な予感がしていたからだ。

これまで見たことのないような赤い色が目に飛び込んできたのだ。

そう,血便がはじまってしまったのだ。その日はどうしても外せない仕事があったので,とりあえず仕事に戻らなきゃ,と自分を鼓舞してトイレから出た。なんとか午前中は仕事をしたが,やっぱり放心状態で,午後から早退し,病院へ向かった。胃腸風邪だと言った医師から,大きい病院へ行くよう告げられた。

それから病名が判明するまでの約2週間。病院で出された薬を飲んでも日々酷くなる血便。食べることも飲むこともできなくなり,10キロくらい痩せて,起き上がるだけでフラフラになった。そして,最後は血便ですらなく,もはやただの血だった。インターネットで検索すれば出てくるのは恐ろしい病名ばかり。

人生は当たり前のように続いていくものだと思っていた。いや,そもそも,人生が続くかどうかなんて考えもしなかった。未来は当たり前のように私の目の前に広がっていたから。子どもの頃から努力して愚直に生きてきたつもりだったし,それなのに,まだ何も成し遂げていないし,何者にもなれていないのに,そして,私は結婚したばかりなのに。当たり前の毎日がどれだけ幸せな毎日だったのか。生きている,ただそれだけでどれだけ幸せなことなのか。30歳にして,このときに初めて人生の尊さが分かった気がした。

そして,このときに一番願ったことは「夫と一緒に生きていきたい」ということだった。長年追いかけていて未だ成し遂げていない目標のことなんてどうでも良かった。ただただ,夫と共に生きていきたい,夫と歳を取っていきたい,夫との未来が見たい。

このとき,初めて,自分が夫をどれだけ愛しているのかを知った。
今でも毎日のように夫を愛していると実感するが,このとき,心の底から全身で夫を愛していることを感じたのだ。うまく表す言葉が見つからないほどに。

だから,私にとっての「結婚式」はこのときだった。おそらく一般的な意味での結婚式をしたところで,このときを超える愛を感じることはできないと思う。

これが私が結婚式をすることにさほど乗り気になれないもう1つの理由である。

ちなみに,病名は…潰瘍性大腸炎という難病だった。難病だけど,死にはしない。病名が判明したとき,夫と抱き合って,私は「生き延びた」とつぶやいて喜んだ。また,夫との人生が再開したのだ。

つづく

第5話はこちら⇒ 妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅴ-そろそろ本題へ…子どもどうする問題-

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?