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妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回Ⅻ-突然やってきた私のマタニティブルー-

前回までのお話
1 私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2 突然現実化した私の結婚
3 結婚は点ではなく,線である
4 私にとっての「結婚式」
5 そろそろ本題へ…子どもどうする問題
6 突然現実化した私の妊娠
7 どうする産婦人科問題
8  こんなに辛いなんて聞いてない
9  世間一般的な「妊婦像」との乖離
10 私が「母親」になった日
11 もうずっと一緒と誓った日

12 突然やってきた私のマタニティブルー

マタニティブルーって,子どもが産まれてくるのは嬉しいけど夫婦2人の時間がなくなるのはちょっと寂しい…みたいな,そんな幸せだけどちょっと憂鬱だな,みたい「贅沢な悩み」みたいなものを想像していた。

そう,実際に自分が経験するまでは。

2020年3月27日に私は「母親」になったわけだが,なんとその翌日に,突然やってきたのだ。まさかのマタニティブルーが。

3月27日にやっと産婦人科を受診することができて,赤ちゃんが無事に成長してくれていることも確認できて,ホッとした矢先の出来事だった。夜中にトイレに行ったところ,潰瘍性大腸炎の調子がどうやら良くなさそうなのだ。それで,ドッと落ち込んで,不安が溢れ出してきた。

そうすると,もう私の不安は止まることを知らず,次から次へと溢れ出す一方だ。

そのとき,産婦人科で看護師さんから妊婦健診の説明を受けたことを思い出した。これまでに受けたことのない血液検査が列挙されていたことを。

あれ…もし,これらの検査で引っかかったらどうなるの?

私のせいで赤ちゃんが病気になってしまったら?

そもそも,重大な病気であることが判明して赤ちゃんは諦めなきゃとか言われたら?

妊娠するまではもちろん,妊娠が判明してからも一度も不安になったことがなかった妊婦健診の血液検査。よく考えたらHIVとか,肝炎とか重大な病気の検査も含まれている。

夫も私も青春を勉強に捧げたタイプで,感染症を心配すべき過去はなかった。
でも,難病なんて私の人生に関係のないものだったのに,1年前には突然難病という不幸に絡めとられているわけだし,滅多にないことだからって,自分に起こらないとは限らないのだ。これまで一度も検査をしていない以上,大丈夫だなんて言えないじゃん…と,もう私の中で根拠のない不安がどんどんどんどん大きくなっていった。

きっと,その頃の私は,ようやく「母親」になれたことで,その幸せが奪われるのではないか,と不安になっていたのだと思う。これまでの人生,なんだか報われないことが多くって,自分は幸せになれない,なってはいけない人間なんじゃないかと思っていた。夫と結婚して幸せだなって感じはじめた矢先に,潰瘍性大腸炎になって,一時は死ぬかと思ったし,そのときだって,あぁ,やっぱり私は幸せになれないんだな,と思わされたし。これまでの経験から,私は,手放しで幸せを享受できなくなってしまっていたのだ。だから,今度は,妊婦健診に引っかかるに違いない…という妄想にも似た不安に取り憑かれたのだと思う。

夫に話したら,はじめは,夫は「そんなことあるわけないじゃん」って大笑いしていた。客観的に考えたら夫の言うとおりだし,私だって,夫が突然そんなこと言い出したら大笑いするだろう。分かっているのだ,自分でもおかしな心配をしていることは。でも,その不安がどうしても止められないのだ。

その頃,つわりはまだ続いていたものの,日によっては,短時間仕事をしたり,夫とテレビを見たり,と寝たきり生活からはだいぶ解放されてきていた。でも,何をしていても,ふとドッと不安が押し寄せてきて,涙が止まらなくなる。私自身,おかしくなってしまったのではないかと思ったほどだった。自分で不安や感情をコントロールすることができず,どうして良いのか分からなかった。
そんなただならぬ様子を隣で見ていた夫が「マタニティブルーじゃない?」と聞いてきた。インターネットでいろいろ調べたところ,私の状況がマタニティブルーに当てはまっていると気付いたようだ。さっそく私もマタニティブルーについて調べてみると,まさしく私の症状にピッタリだったのだ。

ホルモンの仕業だったのか…。

原因が分かっただけでも少しホッとした。つわりに,マタニティブルーに,妊娠って知らないことだらけだ。自分の体が作り変えられていくようで,面白いような,怖いような。キラキラお花畑のイメージは幻想だったのだと気付かされ,人一人を産み出すことの大変さを思い知る。

それから,マタニティブルーなんだと気付いてからも,容赦なく不安は私を襲ってきた。夫が起きている間は夫にすぐに話せたからまだ良かった。夫は私が不安に襲われると「不安は暴走族と一緒だよ。自分の存在をアピールしたくて,**ちゃん(私)に相手にしてほしくてやってくるの。でも,相手にするとどんどんやってくるようになるからとことん無視することだよ。」と言って聞かせてくれた。そう,夫はいつだって最高のカウンセラーだ。

しかし,不安もタイミングを見計らってやってくるのだ。私が一番ダメージを受けるであろう時間帯を狙ってくる。夫が寝たあと,私が寝ようとしているときに急に不安が押し寄せてきて,涙が溢れ出すことも何度もあった。いてもたってもいられなくて,どんどんどんどん悪いことばかり思い浮かんできて,恐怖と不安に支配されてしまっていた。

このままではいけない。こんな精神状態では赤ちゃんにも悪影響を及ぼすのではないか,そう考えると,ますます不安になってしまって悪循環だった。

妊娠が判明して,つわりがはじまって,つわりとともに精神的にもものすごく辛い日々を過ごしてきて,ようやく少し落ち着いてきたかな,と思った矢先に,今度はマタニティブルー。夫はいつだって隣で支えてくれたのに,それでも,自分という牢獄に閉じ込められたような孤独感も感じた。この辛さは自分しか感じることができないし,そして,自分はこの辛さから逃れることができないのだ。

そんな私がどうやってマタニティブルーを乗り越えたのか。もちろん,夫の存在なしでは乗り越えることはできなかったのだが,私を支え続けてくれたのは夫だけではなかった。

偶然にも妊娠判明の少し前から同居している私の両親もそうだが,夫よりも両親よりも近くで私を支え続けてくれたのは,お腹の中の赤ちゃんだった。ある夜,夫が寝たあとに不安に押しつぶされそうになっていた私は,お腹に手を当てて「赤ちゃん,ごめんね。こんなに不安定なママで。」と,心の中で,赤ちゃんに謝っていたのだが,そのとき「大丈夫だよ,ママ。」と言われた気がしたのだ。
これだけ読むといよいよ精神状態がやばいのでは…と思われそうだし,ただ私が自問自答していただけなのかもしれない。
それでも,私はこの赤ちゃんとの対話で驚くほど落ち着きを取り戻したのだ。お腹に手を当てているだけでこれまでに感じたことのない安堵感を感じ,パニックになりそうなほどの不安がスッと遠のいていくのを感じたのだ。
それからというもの,毎晩,寝る前にはお腹に手を当てて赤ちゃんと心の中で対話をするようになった。それはマタニティブルーが終わってからもずっと今でも続けていることだ。
私は,どっちが親だか分からないなぁと思いつつも,私なんかより赤ちゃんの方がずっと強いような気がして,それはきっと私がつわりやらマタニティブルーやらで弱っていても,赤ちゃんはそんなダメな母親のお腹の中でたくましく育ってくれているからなんだと思う。
私はこれまでの人生で,結局,人は1人で生きているのだ,と思っていた。もちろん,両親が育ててくれたし,たくさんの人たちに支えられ,今では何をするにも一緒の夫だっている。でも,潰瘍性大腸炎になったときも,つわりになったときも,身体的な苦しみや精神的な苦しみは1人で味わうしかないし,苦悩だって1人で抱えるしかないものがあるし,なんたって,自分は自分でしかないのだ。そう思ってきたのに,妊娠している今,紛れもなく私の中に私ではない人がいて,自分という牢獄の中で1人じゃないという心強さがあって,私のことを赤ちゃんが支えてくれているという実感があるのだと思う。
産まれる前から頼ってばっかりでごめんね,ママももっと強くならなきゃね,そう何度も思いつつも,今日もそっとお腹に手を当てて,赤ちゃんに励まされている。

それから,私を支えてくれた目に見えないものもあった。

まず,妊娠が判明してつわりで寝たきり状態だった妊娠初期に見た不思議な夢。
1つは,私が夫とオープンカーで山道を走っていると,これまでに見たことのないような色鮮やかな美しく神々しい大きな鳥が車の上に飛んできて,助手席に乗っていた私の足元に雛鳥を落としていくという夢。その夢を見たことを夫に話したら「もしかしてそれって鳳凰じゃない?」と聞いてきて,まさかと思いつつもインターネットで調べてみると,私の夢に出てきた鳥をそのまま絵にしたような画像がたくさん出てきたのだ。夫と,もしかしたらお腹の中の赤ちゃんは鳳凰の子どもなのかもね,なんてことを話した。私も夫も,赤ちゃんに何かあったらどうしようと不安になる度に,鳳凰の子どもだから大丈夫と話すようになったし,私も不安に苛まれたときに,きっと大丈夫,とこの夢を思い出して心の支えにしていた。
2つめは,亡くなった祖父母や叔父,叔母が夢に出てきてくれたこと。私は,祖父母や叔父,叔母に,子どもの頃から今でも毎日,見守っていてねと心の中でお願いしているほど,祖父母らは私の心の支えだ。これまでに何度も,夢の中でも良いから会いたいなぁと思ってきたけれど,夢に出てくることはほとんどなかった。それなのに,妊娠初期に,亡くなった祖父母,叔父,叔母の全員が夢に出てきてくれたのだ。誰とも話すことはできなかったのだが,何気ない生活の中に祖父母らがいるという夢。この夢も夫に話したら,夫が,きっとみんな心配してくれているんだよ,と言ってくれた。この夢を見た頃はつわりがピークのときで心身ともに辛かったときだったから,きっとそうなんだと思った。それから,赤ちゃんを送り届けてくれたような,そんな気もした。不安でたまらないときにこの夢を思い出して,みんな見守ってくれてるから大丈夫,そう思えたことも私にとってものすごく心の支えになった。

それから,日にちのこと。
赤ちゃんがお腹に来てくれたのが私と夫が付き合いはじめてちょうど2年後あたり。なんと妊娠が判明した日は,私と夫が付き合って初めてデートして結婚しようと決めた日と同じ日。
妊娠が判明した日,初めてエコーで赤ちゃんを見て「母親」になれた日,(後述するが)妊娠初期の検査や赤ちゃんのスクリーニング検査の結果が問題ないと分かった日の全てが27日。
初めて大学病院に行ったときの受付が,4月11日11時11分。私と夫が出会った日が2017年11月11日で,1111というのは私たちのラッキーナンバーなのだ。
単なる偶然と言われればそれまでだが,でも,この偶然さえも,不安でたまらなかった私にとっては十分に心の支えになり得たのだ。

こうして,2020年3月27日に初めて産婦人科に行った次の日に突然やってきたマタニティブルーだったわけだが,2020年4月11日に初めて大学病院に行ったときに医師に相談したところ「適応障害かもしれないなぁ。まだはじまって時間が経ってないから2週間後の健診のときにも続いているようならカウンセリング受けよっか。」と言われていた。続けて医師に「普通はあまり心配しないのだけど,あなたの場合は潰瘍性大腸炎のこともあるからね。」と言われた。
確かにそうだ。潰瘍性大腸炎を経験していなければここまで不安に苛まれることもなかったと思うし,もっと楽観的でいられたと思う。でも,一度思いもよらぬ不幸に襲われると,また何かあるのではないか,と恐れずにはいられないのだ。自分の体については全く信用ができなくなってしまっていた。私は潰瘍性大腸炎になったことは乗り越えられていると思っていたのだが,このときに初めて私の中で根深いトラウマとなっていたことに気付かされた。

それから,私は,夫や両親,赤ちゃん,目に見えないものたちに支えられ,2週間後の健診の頃にはだいぶ落ち着いてきていた。
それでも,健診が近づくにつれて,妊娠初期の検査結果が怖くて怖くて,健診の日はほとんど寝ることができなかった。
夫は「健診が終わったらニコニコで帰ってるよ。」と励ましてくれたし,これまで夫が「大丈夫。」と言ったらいつだって大丈夫だったから今回も大丈夫と自分に言い聞かせた。そして,健診の日は2020年4月27日。27日は妊娠が判明した日と私が「母親」になれた日。だからきっと大丈夫と自分に言い聞かせたりもした。大学病院の受付日時が私と夫のラッキーナンバーだったこともきっと大丈夫と思わせてくれた。

そうして,迎えた健診。
その日は赤ちゃんのスクリーニング検査もあったのだが,先生がエコーをじっと見つめて沈黙をしている時間が永遠のように感じられた。私は半泣きで祈るような気持ちでエコーが映し出されている画面と先生の顔を交互に見ていた。それから,先生が感心するような声で言ってくれた「元気だね〜!」という言葉を聞いて涙が溢れ出した。
「赤ちゃん,ありがとう」
私は心の中でそっとつぶやいた。
それから私の妊娠初期の検査結果も問題はなかった。おそらく,妊娠初期の検査はほとんどの人が問題がないものだ。たぶん検査結果を恐れている人なんてほとんどいないと思う。それでも,私にとっては奇跡のように嬉しかった。今度は思いもよらぬ不幸に絡めとられずにすんだのだ。
こうして,不安の種もなくなったことから,私のマタニティブルーは突然いなくなった。約1ヶ月,大いに私を悩ませてくれたが,マタニティブルーのおかげで赤ちゃんとの絆は深まった気がする。一緒に乗り越えた,というより,赤ちゃんが一番近くで支えてくれたおかげで乗り越えられたのだから。

マタニティブルーですら,きっと無駄なことではなかったのだ。そう,夫が昔言ったように「人生無駄なことなんてない」のだ。

つづく

最終話はこちら⇒妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回-完-

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