見出し画像

妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回-完-

前回までのお話
1 私のこれまでの人生における結婚・出産の意味
2 突然現実化した私の結婚
3 結婚は点ではなく,線である
4 私にとっての「結婚式」
5 そろそろ本題へ…子どもどうする問題
6 突然現実化した私の妊娠
7 どうする産婦人科問題
8  こんなに辛いなんて聞いてない
9  世間一般的な「妊婦像」との乖離
10 私が「母親」になった日
11 もうずっと一緒と誓った日
12 突然やってきた私のマタニティブルー

こうして,つわりやら,マタニティブルーやらを乗り越えた(つわりについては乗り越えたと言ってもこれを書いている現在も完全には治まっていないが)途端に,ようやく私の中で妊娠をしたことの喜びが溢れ出し,多幸感に包まれた。

2020年4月28日,朝目覚めてすぐに,先に仕事をはじめていた夫に「あー幸せです」とLINEを送っている。たしかに,この日の朝のことは今でも鮮明に覚えている。私の中に立ち込めていた真っ黒い雲がいなくなって,目の前に青空が広がっているような感じ。安堵感に包まれると同時に,ワクワクする気持ち。まるで遠足前の子どものような。私はこのとき幸せを全身で感じていたのだ。

私は子どもの頃から,幸せとは,努力の末に何かを成し遂げてはじめて,ようやく掴み取ることができるものだと思っていたし,私にとっての幸せとは,勉強して,良い学校に入って,良い成績を修めて,誰もがなれないような立派な職業に就いて,キャリアを築くこと,つまり,努力の末に成し遂げたものに付随するものだった。
私は未だに大きな目標は達成していないが,それでも大人になってからも,大学を首席で卒業したり,公務員時代には内部試験に最短で合格したり,人事評価で良い評価を得たり…努力の末に手に入れたものもそれなりにあった。しかし,それらを手に入れたところで,努力が報われたという安堵感はあっても,幸せを感じたことは一度もなかった。1つ手に入れたところで,手に入れたものには興味がなくなるし,未だ手にしていないものが欲しくなるだけだ。キャリアなどには終わりがない。いつまで経っても満足なんかできないし,手に入れたことで幸せにはなれなかったのだ。

そんな私が,あの朝,全身で幸せを感じていたのだ。愛する夫がいて,お腹の中には愛おしくてたまらない赤ちゃんがいる。
これまでの人生で初めて私は現状に満足していた。これまで現状に満足したことなんて,一度もなかったのに。いつも何かが足りなかった。だから,いつも焦燥感や不安,むなしさを抱えていた。
たしかに,あの朝だって,私は長年の目標は達成していないし,何かが足りないはずなのだ。でも,焦りや不安はない。あるのは安堵感と多幸感と,満たされた気持ち。

私は,自分の人生は自分でコントロールするんだと意気込んでいたし,そうするべきだと信じていた。毎年元旦に立てているその年の目標も,今年は「自分の人生は自分でコントロールする」だった。当たり前のことだが,去年病気になったことが自分でコントロールできることではなかったから,それが相当悔しかったのだと思う。加えて,去年は不本意ながら続けていた仕事も辞めて,長年の目標に向かって再スタートしていたから,今度こそ自分の人生は自分でコントロールしてやると鼻息を荒くしていたのだと思う。

でも,その目標を立てている頃には着々と私のお腹の中には新しい命が芽生えはじめていたのに,そんなことに気付いてもいなかったし,自分の人生は自分でコントロールしてやる,と意気込んだ矢先に,まさかの妊娠発覚で,酷いつわりで身動きすら取れなくなり,自分の人生を自分でコントロールするどころか,自分の日常すらコントロールできなくなってしまったのだ。

思い返せば,私はいつだって人生における重大な決断は一瞬でしてきた。結婚式や結婚指輪,新婚旅行なんて2年以上決められていないのに。そればかりか,私は超がつくほどの優柔不断で,コンビニでアイス1つ買うのにもものすごく悩む。隣にいる夫には「2つ買えば?」と良く言われるのだが,そういう問題ではないのだ。2つ買うべきかどうか,ということからして問題なのだ。
そんな私が,公務員になったときには,長年目指している目標に向けての勉強でスランプに陥り,漠然と将来に対する不安を抱きはじめたときに,最終合格したものの,内定が出せるという人事からの電話を適当にあしらって保留にし続けていた役所からタイミング良くかかってきた「今すぐ内定出せます。そして,これが最後となります。」という電話に,その場で「じゃあ,行きます。」と答えてしまったことから公務員になってしまった。電話を切ってから「とりあえず公務員やることにした。」という私の言葉を聞いた両親もびっくりしていた。というか,自分でもびっくりの急展開だった。
それから夫との結婚を決めたとき。そのときだって,付き合いはじめたその日に夫から「付き合うって結婚を前提って意味だよ?」と言われて快諾していたものの,内心そこまで結婚を意識していたわけではなかった。それなのに,その2週間後の初めてのデートで「この人と結婚する‼︎」と決めたのだ。これまた両親もびっくり,というか自分ですらびっくりな急展開。
そして,妊娠にいたっては,決断すらしていない。むしろ,私は妊娠が判明するたった数週間前にまだ子どもは生めないな,と思ったばかり。

そう,思い返せば,いつだって私は自分の人生をコントロールなんてできていないのだ。でも,一瞬でした決断や決断すらしなかった人生の重大なことは果たして私にとって悪いことだったのか。

公務員になったことについては,なるべきじゃなかったな,あの電話のときに断っていたら今頃は目標を達成していたんじゃないか,などと後悔したことは数えきれないくらいあった。
それでも,公務員をやったことで得られたものもたくさんあったし,やってみなければ分からないこともたくさんあった。そして,公務員時代に得た知識と経験は今の仕事にダイレクトに生かされている。決して無駄な経験ではなかったし,やっておいて良かったな,と今では思う。夫の言った「人生無駄なことはない」という,まさにそのとおりだ。

それから,夫と結婚したことについては,後悔したことは一度もないし,それどころか,私は,人生で最良の決断をしたとさえ思っている。

それじゃあ,決断すらしていない妊娠についてはどうか。
あの朝,夫にわざわざ「あー幸せです」とLINEを送るほどの幸せを感じたのだが,その日以来,私はこれまでに感じたことのない幸せを毎日のように感じていた。全身から幸せが湧き上がってくるような,腹の底からの幸せ。私の中にこんな感情が眠っていたのかと驚くほどだった。
小さな足でお腹を蹴られるその感覚,もごもごと私ではないものがお腹の中を移動する感触,私が寝返りをうつと一緒にお腹の中で体勢を変えているような動き,トントンとお腹を優しく叩くと返ってくる小さな衝撃,お腹に耳を当てて「ポコポコ聴こえる」と満面の笑みを浮かべる夫,そんな出来事の全てが,まるで夢でも見ているかのような,私の人生で実際に起こっている出来事には思えないほどの幸せをもたらしてくれた。心が満ち足りて,穏やかで優しい気持ちに包まれるような,そんな幸せ。間違いなく言えるのは,これまでの人生で一番幸せだということ。
妊娠したことは私にとっては予期せぬ出来事で,コントロールなんてこれっぽっちもできなかった。努力の末に勝ち取ったものでもない。
でも,そんな妊娠は,私にとって悪いことどころか,私はこれまでの人生で一番の幸せさえも感じているほど,私の人生で間違いなく最良の出来事なのだ。

私はようやくハッと気付いたのだ。
今になって思えば,夫と結婚したあたりから薄々気付いていたような気もするが確信はなかった。それが妊娠を機に確信に変わったのだ。

人生はコントロールなんてできないし,コントロールなんてしなくて良いのだ,と。

私はこれまで,幸せとはこういうものだと決めつけて,自分で設計した幸せな人生を実現すべく努力もしてきた。結婚や妊娠の先に幸せがあるなんて全く思ってもみなかったし,そんなところに幸せを設定している女子たちを心の中で見下してさえいたように思う。
しかし,少なくともこれまで私が生きてきた30年ちょっとの人生の中で最も幸せを感じたのは,夫との結婚,この子の妊娠なのだ。結婚も妊娠も,私の努力によって勝ち得たものではない。言うならば,与えられたものだ。その与えられたものによって,私は最も幸せを感じている。
さらに,結婚や妊娠は特別なことではない。人間として,いや生物として,至極当然のことだ。そんな言ってしまえば人生における当たり前の出来事に私は最も幸せを感じているのだ。
これは子どもの頃から人生を小難しく考えてきた私にとっては衝撃的なことだった。もし,子どもの頃の私がこの文章を読んだら卒倒するかもしれない。「こんな平凡な人生になってしまうのか」と絶望しさえするかもしれない。

結局,私は,自分がどんなことに幸せを感じるのかということすら,自分自身で知りもしなかったのだ。自分の人生どころか,幸せですらコントロールなんてできやしない。でも,そのおかげで私は思いもよらぬ幸せを享受することができたのだ。だから,コントロールなんてできやしなくて良いのだ。

それから,私がこんなに幸せを感じているのは,愛する夫との子どもがお腹の中にいるからではなく,『この子』がお腹の中にいるからだ。夫と私の子なら誰でも良いわけじゃない。この子じゃなきゃいけないのだ。つわりで苦しんで,精神的にも辛くてたまらなくて,健診にすらなかなか行ってあげられなくて,マタニティブルーにまでなって,こんなダメダメな母親の中でも,大きく元気に育ってくれて,手足が長くて,正面から見たら私に,横から見たら夫に似ていて,私が落ち込んでいたりすると励ますようにお腹をキックしてくれて,そんなあなただからこそ,あなたがお腹にいるからこそ幸せなのだ。
そんなこの子は,あのとき,妊娠していなかったら出会えなかった。私が新卒就職などを目指さずに長年の目標を追いかけて勉強を続けていたことも,公務員をしていたことも,潰瘍性大腸炎になったことも,不本意だと思っていた人生の出来事のどれか1つでも欠けていたら,この子とは出会えなかったのだ。
そう思うと,私の人生の全ての出来事がこの子と出会うためだったのだと思えてきて,私のこれまでの人生がまるごと肯定されたような気さえする。夫の言うとおり「人生無駄なことはない」のだ。
夫との結婚やこの子の妊娠それ自体は,自分でコントロールして努力の末に掴み取ったものではなく,与えられたものであるとしても,私が夫と結婚できたのもこの子を妊娠できたのも,私のこれまでの人生の全てがあったからで,何かがほんのちょっとでも違ったら,私はこんな幸せを味わうことなんてできなかっただろう。私は,まだ何者にもなれていないけれど,それでも,これまでの人生,愚直に精一杯生きてきて,何事にも全力で取り組んできたと胸を張って言えるし,そうやって生きてきた私のこれまでの人生があったからこそ,夫と結婚ができて,この子を妊娠することができて,これほどの幸せを感じることができているのだ。

私はようやく気付いたのだ。人生は,努力の末に何か目標を達成することでしか幸せを得られないなんてことはなく,ただ,愚直に精一杯,毎日を全力で生きていれば,結婚や妊娠といった人生のごくありふれたことの中に幸せがそっと訪れてくれるということに。愛する人と,美味しいものを食べて,美しい景色を見て,何気ないことで笑い合って,愛する人との間で新しい命が芽生えて,私のお腹の中で私ではない小さな命が一生懸命生きていて,幸せとはそういうシンプルなもので,何気ない毎日が人生そのもので,人生は手段ではなく,目的そのものなんだと。

こうして,私は妊娠を機に,私がこれまで信じて疑わなかった,人生とはこうあるべきだ,幸せとはこういうものだ,という私的人生哲学が180度覆されたのだ。

人生はコントロールなんてできないし,むしろ,コントロールなんてしなくて良い。ただ,愚直に精一杯,毎日を全力で生きていれば,何気ない日常の中にきっと幸せが訪れる。生きていることそれ自体が人生の目的なのだから。

そう,これが妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回である。

私の妊娠はまだまだ続くし,さらにそれから出産子育てと続いていく。その過程で,私の中でまたコペルニクス的転回が起こるかもしれない。
そうやって,夫とこの子と歩んでいくこれからの人生の中で,また新たな発見をしていけたら,それだけでも人生は素晴らしいと,今の私なら断言できる。

人生をコントロールしようとするのではなく,目の前のことに全力で向き合って,毎日を一生懸命生きていこう。愛する人たちとともに。

妊娠を機に起こった私のコペルニクス的転回-完-

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?