見出し画像

足を運ぶ理由と意義があるはず 〜親の移住と、家族の記録#10〜

物件探しをしながら、今の生活も楽しむ。夢と現実のあいだでバランスをとりながら、両親は日々を過ごしていた。
「移住物件探しだけに時間と心を使わないように」というのは以前から家族で話していたことで、両親もそれを心がけていたようだ。毎日のウォーキングを続け、買い物に行き、たまにドライブにでかける。ネットで物件情報をチェックし、移住希望先の地元ニュースに目を通す。行政の移住サポート制度に登録してからは、新しい物件情報を知らせてもらえるようになり、待つことにも少しずつ慣れていったようだった。

ある時、こんなことがあった。
移住サポート制度を担当する「いなかぐらし課」のSさんから母に、「地元集落のお祭りがあるので来ませんか」とお誘いのメールが届いた。規模はそれほど大きくないが、地元で捕れた魚介を焼いてふるまったり、地元の人が育てた野菜が売られたりと、毎年なかなか賑わうという。お祭りがあるのは三週間ほど先で、当日はSさんもスタッフとして現地にいるとのことだった。

これまで現地には何度も通っているが、そういった地域の行事に参加したことはなかったので、母は気後れしたようだ。まだ物件も決まっていないのに、地元の人に混ざっていいものか。迷った母は私に相談の電話をかけてきた。地域色の強いイベントにお邪魔していいものか、図々しいと思われないか、でもちょっと行ってみたい気もするし・・・と、煮え切らない様子。

母:「地元の人ばかりのところに行っていいもんかしら」
私:「平気だよ、行ってきなよ」
母:「図々しいと思われないかちょっと心配で」
私:「そんなことないよ、せっかく誘ってもらったんだから行っておいでよ」
母:「そうよね、でも、本当に大丈夫かしら・・・」
私:「大丈夫だよ、Sさんが誘ってくれてるんだから!」
母:「でもまだ住む家も決まってないのに・・・」
私:「いいから行ってこい! 絶対に行けっっっ!」



つい言葉がキツくなる。でも、ここで行かないなんてあり得ないと思った。

物件情報のやりとりだけならメールや電話でできる今だからこそ、現地に行く意味がある。どれくらい本気で移住したいと思っているか、この地域で暮らすことをどれほど楽しみにしているか、その本気度を見せることも時には大切で、今回がそのいい機会になるはずだ。両親の熱意がSさんに伝われば、今後もしっかりサポートしてもらえるだろうし、地域の皆さんにも、移住希望者がいると知ってもらうことができる。それに、移住したら実際に暮らすことになる集落の雰囲気を先に体験できるなんて、なかなかないチャンスだ。もしかしたらすごく閉鎖的で、居心地の悪い想いをするかもしれないけれど、それもまた現実だ。いいことも悪いことも、情報はひとつでも多いほうがいい。

といったようなことを、私は母に熱弁した。日常を大切にすることは大賛成だが、この日だけは何よりも現地行きを最優先すべきだ、お願いだから行ってくれ、と伝えた。けっこう必死だったのを覚えている。私の勢いに母はちょっと引いていて、でも気持ちもわかってくれて、父とも相談すると言って電話は終わった。

結局、両親はそのお祭りに行った。
Sさんとも久しぶりに会うことができ、いろいろな人たちに紹介もしてもらえたという。いつもは寡黙な父が、地元の人に話しかけられてがんばって愛想よく会話していたと聞き、なぜか私は涙が出そうになった。ああ、父よ。

お祭りには集落以外からも人が来ていたので、それほど悪目立ちすることもなかったそうだ。サザエの壺焼きが美味しかったとか、贔屓にしている食堂の女将さんと話したとか、朝採れ野菜をたくさん買ってきたとか、勧められた浅漬けが絶品だったとか、楽しそうに報告する電話口の母の声は弾んでいた。私は相づちを打ちながら、母の横で静かに晩酌しているであろう父の姿を想像し、「よかったね」と心から言った。

大好きな町で、またひとつ新しい経験をした父と母。今までとは違う「行き方」を知ったことが、今回の収穫だった。

現地へ行かなくても物件情報は得られる。でも、現地へ行かないと得られないものもある。
デジタルとアナログ。夢と日常。その境界線を行ったり来たりする日々をできるだけ前向きに楽しみながら、それでもどこか落ち着かない気持ちで、父と母の移住物件探しは続いた。

次回は、その物件探しの日々について書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?