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さよなら家族の家 〜親の移住と、家族の記録#17〜

引っ越し前の断捨離が済み、いよいよ家そのものの処分に向けて動く段階になった。

移住先と自宅との二拠点生活をしばらく楽しんではいたが、両親の希望はあくまでも完全移住。自宅を手放すことは決めていて、子どもたちも異存はなかった。

築数十年の二階建て一軒家。狭すぎず、かといってすごく広いわけでもなく、駐車スペースと気持ち程度の庭がある。静かな住宅街だがおしゃれなパン屋やカフェは無い。駅から離れていて、バスの本数も控えめ。どう考えても高く売れる気がしない。むしろ、何を決め手に購入したのか今更ながら聞いてみたくなる。

とはいえ長年お世話になった家だ、思い出はたくさんある。ここで家族みんなで生活し、育ててもらい、世の中に送り出してもらった。
父が仕事から早く帰ってくるとうれしくて玄関まで走って出たこと、きょうだいの鼻の穴に雛祭りのあられを詰めて泣かせたこと、思い返すと恥ずかしくて気絶しそうになる思春期の日々。どの私もここに居た。
いつのまにか私は自分のことに精一杯になり、家の外ばかりに目が向くようになっていたけれど、家族の暮らしはいつもここにあった。

あれは社会人になって一年目か二年目の頃。残業で遅くなりへとへとで帰宅すると、母が起きて待っていてくれて、熱々のドリアを出してくれた。当時の私は、自分だけが忙しくて大変な気になって、親に対して横柄な態度をとってしまうことが度々あった。その日も、疲れと空腹でやや不機嫌なのを隠すこともせず黙々と食べ、母はそれを静かに見ていた。

食べているうちに心が少し落ち着いて、緊張がほどけてほっとした気持ちになったのをよく覚えている。

「おいしかった、ありがと」
ボソッと言う私に、母は返した。
「お母さんは、ご飯つくってあげるくらいしかできないから」
そして、「きれいに食べてくれてありがとう」と言ってお皿を下げた。

あの時の美味しさを、今でも時々思い出す。
私が一生で食べるうちで、きっとあれが最高のドリアだろう。


家を売却するにあたり、いくつかの不動産会社に査定を依頼した。
購入したのは今よりずっと景気がよかった頃、不動産価格が上がりきったタイミングだったので、当然、当時から価格が下がっていることは予想していた。しかし、出てきた額は予想をはるかに下回っていて、そのあまりの低さに両親は絶句した。購入した時の半分以下、いや、半分の半分に届くかも怪しいくらいの、想像を超えた低さだった。
大変な想いをして手に入れ、夫婦ふたりでがんばってローンを返した家を「ほとんど価値が無い」と言われたようなもので、覚悟していたとはいえショックだっただろう。母は悔しくて涙が出たそうだ。

しかし現実は受け止めなくてはいけない。この家を売って、移住先で新しい生活を始めるのだ。借金の無い状態で引っ越せるだけでも幸運だと思わなくては。売却する不動産屋を決め、両親は淡々と手続きを進めた。

古い建物自体にもう価値はなく、査定金額はほとんど土地に対して付いた数字だった。家自体が古いので当然このままでは売れないし、リフォームしたところで元の構造が古いので難しいという。とはいえ解体して更地にするにも費用がかかる。
この家にもう手間と費用をかけないと決めていた両親は、「古い家付きの土地」として不動産会社に買い取ってもらうことを選んだ。新しい買い主を見つけて仲介してもらう方法もあったが、それだと手続き完了まで時間がかかってしまい、引っ越しも先に延びてしまう。あまりメリットが無かった。

手続きが進み、引っ越しまでのスケジュールが具体的になってきた。この家で過ごす時間はもうあと少し。父の退職を待って、いよいよあの町へ移住する。

次回へ続きます。



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