見出し画像

あの夏、今でも。

夏になると再会したくなる名作が、ふたつある。

「夏のぬけがら」真島昌利  
「蝉しぐれ」藤沢周平

夏という季節のウキウキ感や解放感に世間が浮き足立っている七月のうちは、まだ早い。うだるような暑さや寝苦しさにうんざりしてくる八月、夏の終わりが少し見えはじめてくるお盆の頃に味わうのがちょうどいい。

と思っていたのだが、今年は猛暑日続きで、すでにぐったり夏バテ気味。八月を待てずに、早々に棚から引っぱり出してきた。

この一枚と一冊がくれるもの。それは、これまで通ってきた幾つもの夏に想いを馳せる時間だ。作品自体の素晴らしさはもちろんのこと、その向こうに、遠い日の自分を振り返りたくなる、そんな何かがある。
特に今年は、「有刺鉄線を乗りこえ」という詩が、記憶のスイッチを強く押した。

幼い日のビニールプール、きょうだいとの虫とり、友達との小さな冒険。
初めての花火デート、突然の夕立ちと雨宿り、鼻についたソフトクリーム。
自分の薄情さに気づいた駐車場、相手の気持ちがもうここに無いと確信した銀座線、あったかもしれない別の人生。

まだ無邪気な子どもだった頃から、少しずつ成長し、若さや青春を謳歌し、傷つき、自分ひとりの力ではどうにもできない運命のようなものがあると知り、それを受け入れ、どうにか生きてきた今日まで。
懐かしさと切なさが入り交じったさまざまな記憶と感情が、やさしく、鋭く、自分の内側から自分の胸を刺してくるような感覚に、毎年身をさらす。
聴きながら、読みながら、もう二度と戻れない「あの夏」を甘い痛みとともに思い返す、そんな時間を、今年も味わっている。


とても長くつきあった恋人の心が、少しだけよそ見をしていると気づいたのも、暑い夏の日だった。
重ねてきた時間を信じたい気持ちと、これくらいのことで動じちゃいけないという意地から、私は気づかないふりをした。騒がず、慌てず、理解と余裕のある彼女でいることで、二人の関係を守ろうとした。
少し距離をとって静かに待っていたら、ほどなくしてよそ見はおさまったが、気づけば距離の戻し方がわからなくなっていた。
お互い素直になれず、再び歩み寄るきっかけを探しながらも見つけられないまま時間だけが過ぎ、そのうち相手の心が見えにくくなってきた。そして私たちは、寄り添い直すタイミングを永遠に失った。

本当は不安だったこと。すぐにでも飛んで行って引き留めたかったこと。どうしても離れたくなかったこと。伝えられなかった言葉ばかりが、今でも時々、後悔とともに浮かんでくる。
別れを受け入れられず何年も引きずったのも、一緒に過ごしたのと同じくらいの時間をかけないと立ち直れなかったのも、きっと、それらの言葉が澱のように積み重なって心をふさいでいたからなのだろう。


思えば、ずっと昔から、言えなかった言葉だらけだ。
おさがりの仮面ライダーのTシャツを着たくなかったこと。それを着ている日に運悪く迷子になってしまい、男の子と間違えられてすごく恥ずかしかったこと。大切な本をクラスメートに貸したくなかったこと。経済的な事情が許せば行きたい大学があったこと。順序をちゃんとしてからアプローチしてほしかったこと。どうにもならないとわかっていても、そばにいたかったこと。
言わずに飲みこんできた言葉の、なんと多いことか。そのひとつひとつが今の私をつくっているのだとしたら、私の人生は、言えなかった言葉たちの集合体だ。

「蝉しぐれ」の余韻を味わいながら、今年はそんなことを考えた。
言葉にしなかった、できなかったことの多い人生、それがいいのか悪いのかは突きつめず、ただ考えている状態の自分と作品世界との曖昧な境界で、しばらくじっと、ぼんやりしていた。
主人公が言えなかった言葉、選べなかった道。それを思うと、どうにもやるせなくて胸が痛い。最終ページ、馬を走らせる彼の胸の内を想像するだけで、たまらなくなる。時代が許さなかったとはいえ、あまりにも切ない。そしてその切なさが、美しすぎるのだ。


夕方になって散歩に出る。暑さはちっともおさまっておらず、しつこくまとわりついてくる。日陰を求めて緑道に入ると、さんざめくように降ってくる蝉の声に包まれた。
うるさいほどのその響きを、全身で浴びる。一瞬、世界が無音になって、「あの夏」の断片が見えた気がした。


この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?