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大好きな場所で写真を撮らなくなった理由

地方移住してから数年、両親にある変化があった。
写真をあまり撮らなくなったのだ。

最初の頃は、移住できた喜び爆発という感じで、あちこちへ出かけてはたくさんの写真を撮っていた。春の桜、初夏の新緑、夏のお祭り、秋の紅葉・・・。見るもの全部が新鮮で、そのすべてを残しておきたいと思ったのだろう。同じ景色でも、夫婦一緒に撮り、別々にも撮り、さらに愛車も入れて撮る。長年の夢を叶えたうれしさが、写真の量からも伝わってきた。

その大量の写真を整理するのは、私の役目だった。長期の休みに会いに行くたびに、デジカメやスマホからパソコンへデータを移し、日付やイベントごとにフォルダ分けして保存する。現像して飾りたいというものがあればUSBにデータを入れ、一緒にお店へ行く。パソコンの壁紙も定期的に変えたいようで、毎回リクエスト通りに設定した。
作業としてはたいした手間ではない。父と母の数ヶ月分の記録を見返す時間は、私にとっても楽しいものだった。

移住して三年目か四年目に入った頃、いつものように両親が撮りためた写真を整理をしようとして、あれ?と思った。いつもほど枚数がないのだ。最近はあまり出かけなかったのかと聞いたが、そうではないらしい。ただ、「前ほど一生懸命に撮らなくなった」というのだ。

この地域にもだいぶ慣れ、季節の楽しみ方も板に付いてきたのだろう。
きれいな景色を一緒に見て、ここに住めてよかったねと夫婦で話す。それで十分だと思うようになってきたのだそうだ。
それを聞いて、ああ、父と母はもう「移住者」ではなく、この町の住人になったんだなと思った。移住後しばらくは特別なことに感じた美しい自然も、すっかり生活の一部になったのだろう。その移ろいを日々感じながら暮らしている。それは思い出としてではなく、ふたりの日常として存在しているのだ。

そして、外出先での撮影が減ったぶん、ふだんの食事や庭の様子など、なんでもない日の記録が増えていた。父に続き母もスマホを持ったことで、家族のグループLINEに届く写真がぐんと増えたのが理由だった。散歩中の父の後ろ姿なんて、なかなかアングルもいい。
この町で撮りたいもの、残しておきたいことが、時間をかけて少しずつ変わってきたのだろう。そんな変化もまた、移住がもたらした両親の新しい世界だ。

毎年めぐってくる季節とともに、両親の日常はこれからも続いていく。その繰り返しこそ、ふたりが手に入れたかったものなのかもしれない。特別なことが起こらなくても、父と母は楽しそうだ。ずっと住みたかった場所で暮らしている、それが何よりも特別なことなんだろうと思う。

移住するずっと前、まだ前の家に両親が住んでいた時のこと。久しぶりに顔を見せに行こうと思い立ち、「週末に行くよ」と母に連絡を入れたら、「その日はお父さんとドライブに行く予定だから別の日にして」と断られたことがあった。そうだった、そういう親だった。娘が帰ってくると聞けば喜ぶだろうと決めつけていた自分の思い上がりを、私は反省したのだった。

あの頃からずいぶんと時間が経ち、両親は地方へ移住した。遠く離れてしまった今では、訪ねて行く私をいつも大歓迎してくれる。こちらも完全にお客様気分なので、堂々とのんびりできるのがいい。
この連休も、私は両親に会いに行く。のんびり過ごしながら、父と母の写真をたくさん撮ろうと思う。移住の夢を叶えてふたりが手に入れたなんでもない時間を、できるだけ残しておきたいと思っている。

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