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ケアとかフェミとか

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記事一覧

母と娘のわかりあえなさ_100日後にZINEをつくる、85日目

村井理子『家族』を読む。 よその家族の「普通」は外から覗けばたいてい奇妙で、普通の家族なんてどこにもないということがわかる。 「母」という存在はひたすらに娘を圧倒する。 母は「母」「妻」「女」として振舞うことができるが、子どもから見える景色は全て「母」である。 それが娘にとっては時にどれほど残酷なことか。ということを嫌というほど突きつけられる。 我が母は長女を「ママの天使」と呼び、レースやフリルなど女の子らしい服を着させたがった。わたしはレースやフリルやタイツがチクチクし

映画『バービー』とフェミニズムへの悪口_100日後にZINEをつくる、84日目

映画『バービー』を子どもと一緒に観る。 フェミニズム作品として観ていない子どもたちは、バービーランドの残酷さも、ケンの愚かさも、マテル社のポンコツおじさんたちも、コメディとして素直り受け取り、げらげら笑って楽しむ。 フェミニズム作品として受容したわたしは、「この主張は何?」「これはエンパワメント?皮肉??」「バービーランドのマイノリティとは」と眉間にしわが寄ってしまい、作品と対峙している気分になる。 「この部分、すごくいいと感じるけど、でもこれが反転であるとすれば、わたしが

平成の妻と令和の妻と、令和の娘_100日後にZINEをつくる、62日目

日曜のクリスマスイブ。午後中かけて日ごろのストレス発散とばかりにひたすらに作る。グラタン、ローストビーフ、ジャーマンポテト、リンゴのサラダ、ガーリックトースト、ガトーショコラ、フルーツヨーグルトクリーム。夫の友人とわたしの母を招いて、ホームアローンを観ながらたべる、みんなお腹いっぱいで幸せな時間。完成形の撮影はいつも通り忘れる。 食器を洗ってくれていた母と次女の会話が面白い。 「パパはなんにもしないくせにいばってて嫌だ。」 ー でも、パパが仕事してくれてるからみんな生活で

女の子でよかった_100日後にZINEをつくる、57日目

次女が突然言う。 「私男子じゃなくて、女子でよかったー!ってホント思う」 思わず、え?なんで?って聞き返す。 男子の方が得じゃん!って反射で返すわたしに、長女が横から「ママのそーゆー考え方もどうかと思うよ」って指摘。 いつも冷静に母の老害を指摘してくれる人が傍にいてくれて、ほんとに腹立つ幸せ。 次女の話にはいつも羽が生えているので、言葉を捕まえて中身を検分することが非常に困難なのだが、要するにこうゆうことらしい。 男子の友達づきあいは大変そう 私は何でも似合うから、お

毒とケアと甘やかし_100日後にZINEをつくる、53日目

次回最終回の「心のケア入門」の講義動画を視聴する。 今回のテーマは「よいケア(お世話)と悪いケア(おせっかい)について」。 対家族、対友人、対恋人など、ケア職であるかどうかに関わらず誰しも直面する問いであったので、いつもより前のめりできく。 この補助線が1本引けるようになったことは、わたしにとって非常に大きい。 子どもたちに対してよかれと思っての行動が、感謝となる場合と、逆ギレされる場合の境界がいまいち理解できていなかった。 学校で嫌な思いをした話をきく。 わたしは「自

利己と利他、どちらがよりしあわせか_100日後にZINEをつくる、51日目

気のおけない友人と「結局、嫌われる勇気を発動して自分の幸福を追求することが一番幸せになれるのかもね」という話をしていた。 しかし自分にとって大切な存在ができたときに「自分だけが幸福を追求すること」は果たして幸せなんだろうか。という問いを抱えたまま夜の家事タイムに突入。 食器を洗いながらぼやぼや長女に尋ねてみる。 ねえねえ、「自分の幸せを100にすることに集中する家族」と「みんなが妥協したり譲歩しあって50の幸せを保つ家族」どっちが幸せ? うーん、と悩んだのち彼女の答え

ふつうのつながり_100日後にZINEをつくる、50日目

午前中から立て続けに2本打ち合わせが入り、気がつけば腹ペコで午後になっている。 合間に精神科の公衆電話から電話が入る。 こんなやりとりを何回くりかえしているだろうか。 絶望の淵にたっている人をすくい上げることなんて、誰にもできないことを日々痛感する。その人が、自分で這い上がってくるのをまわりは待つことしかできない。 明日急に駆け上がってくるかもしれないし、一生淵にたたずんでるかもしれない。 それをただ一緒に待つしかできない。 身近な人が突然絶望の穴に落ちてしまったと

映画『Coda』は美しい愛の物語なのか_100日後にZINEをつくる、48日目

ヤングケアラーの授業の一環で『Coda あいのうた』を観た。 第94回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞の3部門を受賞した作品なのでご存じの方も多いはず。 「海の町で暮らす17歳のルビーは家族の中でたった一人の健聴者であり、耳が聞こえない家族の通訳として家業を手伝っている。『ろう者でありながらも陽気で明るい家族』のケアを背負わされながらも、自分の才能を開花させて夢に向かって歩きはじめる」 このユーモアがちりばめられ、美しい歌声に彩られた映画を好きにならない人がいるのだ

ジェンダーバイアス_100日後にZINEをつくる、29日目

フェミニストのなかにある「らしさ」の呪い ここ数年、フェミニズムを学び始めてからメディアの発信や他者の発言に対して、そのまま鵜呑みにしない基礎体力はなんとなくついてきた自覚がある。 娘と息子を育てるにあたっても、「〇〇らしさ」の呪いをかけないように意識してきたし、子どもたちにも「性別に関係なく、自分でいることにエネルギーを使ってください」と伝えてきた。 ところがどっこい。 この前登山をしたときのこと。息子が姉に対して「ここの石すべるから気をつけて!」とか「(ぼくが)

かぞくをたのしむ_100日後にZINEをつくる、27日目

みんなが自分のやりたいことを我慢せず、みんなが自分のやりたくないことをちゃんと言って、みんなが少しずつ誰かのために我慢すれば、「全員が楽しい」ができるんだってわかった日。 家族でいるより1人の方がずっと楽しいって思ってたけど、ただ単純にわたしは家族の中で自分でいることをしていなかったみたい。 結婚して15年、わたしは家族を優先してきたんじゃなくて、ただ家族という集団の中で自分でいることを怠ってきたんだ。 そんでもっておそらく、この癖は結婚する前からのものだってこともうっす

じぶんの中のマルチタスクとシングルタスク_100日後にZINEをつくる、20日目

母であるわたしの苛々の着火点 睡魔に負けて書ききれなかった一昨日の記事を大幅加筆修正していたら、自分のことで一つ大きな気づきがあった。 寛容でありたいと常々思っている割に心の狭いわたしが、家族といるときにどうしても苛々してしまうことがある。 「誰かにメールを書いている時に話しかけられる」 「本を読んでいる時に話しかけられる」 「note書いてる時に話しかけられる」 「集中してラジオを聴いている時に話しかけられる」 ママに話しかけたい子どもは悪くないし、聴いてあげたい

「夫婦」と「家族」についてかんがえる_100日後にZINEをつくる、18日目_

「男女の脳には違いがあるんだから、夫婦はそれをお互い受け入れて、理解し合い、許すことが大事」 という話を真剣に話してくれた人がいて、私も真剣に「その物言いで得してるのはだれだ」って思ってた。 「夫婦はお互いを受け入れよう」の罠 「お互い」という言葉にどうしたって「妻が」のニュアンスを嗅ぎ取ってしまう、根性がねじくれているわたし。 コミュニケーションが絶対的に必要なスキルである<家庭>という空間において、本来「苦手だから大目に見てね」は通用しませんよ。 大目になんか見てや

家族へのケアについて考える_100日後にZINEをつくる、14日目

まいにちまいにち「ZINEをつくる」という題名で、とりとめもなくいろんなことを綴ることが、「ZINEをつくる」=「ZINEをつくる過程の自分も含まれる」に意識を変更したら妙な義務感による苦しさがなくなってきた。 こうやって自分のなかの意識ひとつで認識は変化するから、やっぱり世界は自分の中にあるって真実だなあ。(マトリックスとも再度きちんと向き合いたい) 家族へのケアについてかんがえる 今日は『ケア』について考えてた。 「家族へのケア」という言葉から連想するのはどうした