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毒とケアと甘やかし_100日後にZINEをつくる、53日目

次回最終回の「心のケア入門」の講義動画を視聴する。
今回のテーマは「よいケア(お世話)と悪いケア(おせっかい)について」。
対家族、対友人、対恋人など、ケア職であるかどうかに関わらず誰しも直面する問いであったので、いつもより前のめりできく。

「環境をととのえる」ことがお世話
「個人を変えようとすること」はおせっかい

東畑開人「心のケア入門」第4回


この補助線が1本引けるようになったことは、わたしにとって非常に大きい。

子どもたちに対してよかれと思っての行動が、感謝となる場合と、逆ギレされる場合の境界がいまいち理解できていなかった。

学校で嫌な思いをした話をきく。
わたしは「自分の気持ちを相手に伝えるスキルは練習しないと身につかないから、やってみて!がんばれ!」と励ます。
子どもはしんどい顔をする。

わたしは「耐えるしかないと思ってる世界にいるよりも、自分を大事にする勇気を使う方がいいのに」と、40年分の剛毛が生えた心臓で考える。
しかし思春期の、桃の産毛くらいしかない柔らかいハートは、日々を生きるだけですでに勇気をたくさん消費している。

わたしの励ましはまさしく「おせっかい」だったのだ。

この場合、わたしにできるケアは、子どもの気持ちをきくことと、学校の先生に対してほどほどの塩梅ではたらきかけをすること。
「子どもが自分のネガティブな気持ちを相手に伝えるハードルって大人が想像するよりむずかしいみたいだから、もう少し腰をかがめて見たりきいたりしてくれるとありがたい。でも、大人が一方的に腰をかがめるのもしんどいですよね、毎日子どもと接する先生ってホント大変ですね。」って程度。

こんなちいさなコミュニケーションの積み重ねで子どもたちの環境を変えていくことが、大切にしなきゃいけない「ケア」になる。

おせっかいはプレッシャー、お世話は助かる


阪神大震災直後に現場に派遣された心理士たちに求められたのは、被災地の人の話を聞くことではなくて避難所のトイレ掃除だったという話。
「環境がととのわなければ、人は自分の心に向き合えるようにならない」という最もわかりやすい例だと感じた。

酸素を吸うと二酸化炭素が吐き出されるように、ケアは憎しみを産むものだそう。うーん、身に覚えがありすぎる。
ケアする側にとって重要なことは、憎まないことではなく相手に復讐しないこと、「憎しみ」をちゃんと排出すること。

愚痴を言わない人って清い魂を持つ人のイメージがあるけど、愚痴を言って魂の清さを保つ方法もあるみたい。


ケアの話につきものである、「甘えさせる」ことと「甘やかし」の違い。
これは、掛け軸にしておきたいくらいわたしには貴重な補助線だった。

自分の不安に突き動かされて相手のニードを満たそうとする(ケアする)と、それは悪い甘やかし(おせっかい)になる

東畑開人「心のケア入門」第4回

「相手を心配するあまり、相手に何かをしてあげたくなる」気持ちは、誰でも身に覚えがある。
この「相手を心配している」という状態は、相手の心配事を一緒に抱えている状態であり、これそのものがケアである。

しかし「心配する」という状態はケアする側にとっても心に負担がかかるので、この自分の不安を解消するために相手に手や口やモノを出してしまう。

これは「悪い甘やかし」になり、相手にとっては毒になる。

毒にもクスリにもなる「甘やかし」

ケアすることが自分のケアになってしまっている時は要注意。

小さい子どもはやりなさいと言われなくても「だいじょーぶ?」「よしよし」といったり、お人形相手にお世話する。
「ケアする」ことは人にとって、根源的なよろこびでもある。

だからこそ「ケアする」ことの快感にとらわれると、ケアは容易に「支配」になり暴力へと変化する。

ちなみに、この「甘やかし」は自分に対してもやりがちだなあと思った。

書くことがわたしを満たしているときは、note投稿は自分へのケアだ。
しかし、「100日達成を失敗する自分になりたくない」不安を解消するために毎日note投稿を続けていれば、わたしの心を満たすという目的からは外れている。
わたしの心が必要だとは言っていない「100日チャレンジ達成」バッチを与えようとする、「甘やかし」である。

さて。
わたしは現在自分を満たすために毎日書いているのだろうか。
毎晩寝不足になってまで「甘やかし」をしているだけなのだろうか。

気づかぬうちに書くことに支配されないように、用心しなければいけません。

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