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家族へのケアについて考える_100日後にZINEをつくる、14日目

まいにちまいにち「ZINEをつくる」という題名で、とりとめもなくいろんなことを綴ることが、「ZINEをつくる」=「ZINEをつくる過程の自分も含まれる」に意識を変更したら妙な義務感による苦しさがなくなってきた。

こうやって自分のなかの意識ひとつで認識は変化するから、やっぱり世界は自分の中にあるって真実だなあ。(マトリックスとも再度きちんと向き合いたい)


家族へのケアについてかんがえる

今日は『ケア』について考えてた。

「家族へのケア」という言葉から連想するのはどうしたって母であり、多くの母がその役割を担わされてきたという事実は認識してる。
実際、わたしもその認識で過ごしていて、夫に比べて自分の家庭で担う役割の不公平さに腹が立ち、「こんなに家事も育児もしないあなたは老後1人になって後悔すればいい。(仕事も家事も育児も全てこなせるわたしの方が強い)」って思ってた。

最近、夫に対して「自分の弱さと向き合えず、他者へのマウントでしか自分の存在価値を示せないって思い込んでるこの人は、なんて孤独なんだろう」と思うことがあった。
「その『孤独』の大部分は、彼がそうやって生きざるを得なかった環境にあるなって思った(からわたしも接し方を改める)」と友人に話をしたところ、
「そうかもしれないけど、もう大人である夫に対してのケアまで妻の役目なのかな?
との返答。

この問いに対してわたしは「うーん、???」と心の中で腕組みしてしまった。
「夫に対してのケア」は妻が1人である以上、その役を負わされるのは妻だけど、わたしはこの言葉にちっともピンとこない。

「夫へのケア」ってなんだろう


私にとって夫は、「わたしの夫」というより彼個人であり、たまたま「家族」であるという感覚。今の彼だけではどうしようもできない問題があるな、と気づいたからわたしも協力してなんとかしたいと思った、というだけの話。

なので、この「心に寄り添う」とか「相手の状態に配慮した振る舞い」は、わたしが彼にすると「夫へのケア」になるのか!と気づいてモヤモヤ。
「夫へのケア」という言葉の響きに、献身的で従順な妻の姿がチラついて、わたしの中のフェミニズムが「家父長制に加担するのか?」って軽蔑の眼差しを向けてくる。

わたしは「夫への、子どもへの、家族へのケアは妻であり母であり嫁の仕事です」という意見にはずっと中指を立てながら生きてきたけど、わたしがここでイメージする『ケア』は、自分が望む望まないに関係なく、家族の快適のために押し付けられた『仕事』。

だから、自発的な思いやりとか、(幸いわたしは満たされているので)相手が自己生成できない分の愛情を補おう、と思うことなども『ケア』になるのであれば「夫へのケアだけしないって選択はただ意地悪してるみたいで、そんな自分を育てるのは嫌だなあ」って思う。
『こうありたい自分』が『夫をケアする妻』と外から見えるだけなら、夫へのケアも全然するよ!って思った。

ただし、これはわたしが彼にしたいと思ったことであって、妻だから夫にしなきゃとか、彼が夫だからするとか、彼だからしたい、わけではない。(ここがわたしにはとても重要)

こころのケア=ふつうの思いやり?

そして、もしこの『ふつうの思いやり』が『ケア』になるのであれば、母としての自分はもちろん、妻としての自分もケアされてきたのかもしれない。
(物理的な負担はもちろん圧倒的に妻や母が負担してる。)

つまり、『こころのケア』に限って言えば、「誰かの仕事」ではなく、お互いがお互いをケアし合いながらここまで「家族」をやってきた。

わたし自身は子どもたちから日々思いやりをもらっているし、子どもたちをケアする立場でありながらも八つ当たりしてしまったり、でもそれを許してもらったり、子どもからはわたしがもらっているものの方が圧倒的に多い。

夫に対しては残念ながらわたしが「共働きでありながらワンオペ生活をさせる恨み」を長年抱いてきたので、「夫からのケアなんてない」って信じてきたけど、今振り返れば、夫は夫なりの思いやりをわたしに示していたな、とも思う。
その「行動が伴っていない思いやり」をわたしは『妻を都合よくコントロールするためのもの』としか見ていなかったのだけど、人の『振る舞い』と『想い』は違うものだってことこそ見えていなかった。

こころのケアは目に見えない

そして、思いやりが目には見えない以上、夫も妻からのこころのケアを受け取ってない可能性がある、と書いていて気づいた。
なんてこった!

「これだけ相手に対して与えてきたのに」という、与えてばっかりでもらえていないという思いは、わたしだけでなく夫も感じているかもしれないってことか。

こころのケアは双方向であり目に見えないものであるとわかった以上、今後は夫に遠慮なくケアを要求できるし、受け取ったよ!のサインもなるべくわかりやすく示そうと思った。(ありがとう。とか嬉しい!とか)

問いをくれる友人は最高

さいごに改めて「夫へのケアって妻の役目なの?」って問いを投げてくれた友人に感謝。

批判でもなく、同意でもなく、「問いを投げる」という選択をしてくれる友人はわたしにはとても貴重な存在。

自分の世界の外から投げ込まれた問いは、必ずこうしてわたしの世界に波紋を広げる。

彼女とはずっと対話ができる関係でいたいものです。

明日へつづく

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