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ふつうのつながり_100日後にZINEをつくる、50日目

午前中から立て続けに2本打ち合わせが入り、気がつけば腹ペコで午後になっている。

合間に精神科の公衆電話から電話が入る。

— ぼくに怒って悪口を言ってますか?これは妄想ですか?

わたしはそこにいないので、聞こえたのは妄想ですよ。

— そうですか、よかった、義息子と一緒に怒ってるなんて少し変だなと思ったんです。でも地図を見ていたら自宅が跡形もなく消えちゃったんですよ。どうしよう。

地図から消えても、今ご自宅はちゃんと残ってるから大丈夫ですよ。

— そうですか。しかしぼくはすでに刑務所への拘留と死刑が確定してしまったので。

それも頭の中のできごとなので、不安でしょうけど、現実には起こりませんよ。

— ・・・・そうなのかな。でも怖くて。

こんなやりとりを何回くりかえしているだろうか。

絶望の淵にたっている人をすくい上げることなんて、誰にもできないことを日々痛感する。その人が、自分で這い上がってくるのをまわりは待つことしかできない。
明日急に駆け上がってくるかもしれないし、一生淵にたたずんでるかもしれない。

それをただ一緒に待つしかできない。

歩けているのか、止まっているのか、進んでいるのか、戻っているのか、わからなくなる

身近な人が突然絶望の穴に落ちてしまったとき、周りの人間は困惑するし動揺する。ありとあらゆる原因を考えてみたり、自分が穴に突き落としたのかもしれないと自分を責めたりもする。


同じものを見ていた相手が、隣にいるのに異世界を生きる人になってしまったというショックを受け入れるのには時間がかかる。

それでも人は慣れる。

はじめは上からのぞいていた穴に、梯子をかけて一歩一歩降りて行くことができるようになる。

もちろん、恐怖に駆られて下から足をひっぱられるような日は「さわんないで!!」と手を払ってしまうことがある。

それでも「ここにいるから」を伝えて、ただ一緒に待つ。

夜の川は止まっているように見えるけど、ちゃんと流れてる


医療は身体の生命機能を維持するためにケアをする。
心理士は心の傷をマイナス→0にケアをする。
プロではないわたしたちに、専門職のテクニックは必要とされていない。

支援者でも、家族でもない、ただの他人がつながっていること。
ボランティアでも義務を負っているわけでもない、「ふつうのつながり」にしかできないことがある。

不安や恐怖をつめこんだ頭の中の世界のユニークさに感心しながら、明日も明後日も電話にでる。

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