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母と娘のわかりあえなさ_100日後にZINEをつくる、85日目

村井理子『家族』を読む。
よその家族の「普通」は外から覗けばたいてい奇妙で、普通の家族なんてどこにもないということがわかる。

「母」という存在はひたすらに娘を圧倒する。
母は「母」「妻」「女」として振舞うことができるが、子どもから見える景色は全て「母」である。
それが娘にとっては時にどれほど残酷なことか。ということを嫌というほど突きつけられる。

我が母は長女を「ママの天使」と呼び、レースやフリルなど女の子らしい服を着させたがった。わたしはレースやフリルやタイツがチクチクして嫌いだった。肥満児あるあるの股ずれにより、冬は太ももが真っ赤になって痛かった。太ももの肉が邪魔でスカートを履いても足を閉じて座れず、母も徐々に女の子らしい格好をさせることを諦めた。高学年になる頃にはTシャツ&スパッツが定番スタイルになった。

6年生の時のこと。母が「すっごい可愛い服を見つけたの!」と興奮気味にわたしに服を買ってきた。デニムのジャンパースカートと、赤いギンガムチェックのブラウス。ブラウスは襟とボタンラインが2重のフリルになっていた。目にしたとたん「最悪だ」と子ども心に思った。赤もギンガムチェックもフリルもブラウスも全然好きじゃない。わたしは「ジャンパースカートはともかく、こんなブラウス絶対着ない!」と言い張る。しかし母は譲らない。「シンプルなデニムにこのブラウスだから可愛いんじゃない!せっかく買ったんだから一回だけでも着なよ。このセンスの良さをわかんないの、あんただけよ!」

結局押し切られて、翌日は憂うつな気分で登校する。休み時間わたしのところにクラスのお洒落女子たちが集まる。「どーした?イメチェン頑張っちゃった?てかさ、このスカートはいいけど、ブラウスのヒラヒラ!これはないなー!」昭和生まれの小学生女子は陰でコソコソではなく、目の前で笑う。「お母さんが買ってきて、着て行けって言われた」と、言い訳みたいな台詞を言うのが恥ずかしくて、黙ってヘラヘラしていたことを覚えている。
帰宅後、母に自分が何を言ったのか記憶がないが、以後このブラウスは二度と着なかった。この出来事をきっかけに、母の言う「似合う」は絶対信用しないと誓った。

また母は、わたしの髪を短くしたことがない。「女の子は髪が長いほうが可愛い」が口癖で、いつもロングヘアにこだわっていた。「ストレートのさらさらヘア」からほど遠いわたしの髪は、くせ毛で毛量が多く、ヘアバンドで藁のような髪を抑えている姿はたてがみのようであった。中学生になってからはこの厄介な髪を極太の三つ編みに封印して生きてきたが、高校時代に縮毛矯正という技術が爆誕。ライオンのたてがみ人生から解放されたわたしは髪をばっさり切った。

以後、今日に至るまで髪を切るたび母は言う。「なんで髪切っちゃったの?長い方が可愛いのに。」同じ台詞はわたしの娘たちにまで向かう。母の長い髪に対する執着はどこから来るのだろうか。
なぜ中年になった娘や孫に対して、自分の好きな見た目を押し付けようとするのか、わたしには全く理解できない。

自分にとって「クソどうでもいいもの」を「いいものだから」と押し付けてくる人は山ほどいるが、母にされるほど不快感と怒りが湧くことはない。わたしが「いらない」と言っても「絶対美味しいから一口食べてみて」と勧め、勝手に皿に載せられるたびに「この人はこうやって娘の気持ちより、自分のお節介欲を満たして生きてるんだ」としみじみ思う。「自分にとって良いものは娘にも良いものである」と信じて疑わないその姿勢に、言いようのない気持ち悪さを感じる。

わたしが娘だからだろうか。息子であれば、母のお節介を素直に愛情として受け取ることができるのだろうか。
娘から見る母と、息子から見える母の景色はどう違うんだろう。
母とわかりあえている娘はいるのだろうか。

思春期以降、母に対して何度も「私とあんたは別の人間なんだよ」と大きな斧を振り下ろし、見えないへその緒を断ち切ってきた。しかし、そんなことにはへこたれないのが母なのだ。子どもの不快や嫌悪や怒りを、ことごとくなかったことにできる鈍感さや独善力こそ母親の強さである。

母に対しては「わかりあえなさ」をことあるごとに痛感する。
妹にも父にも夫にも「わかりあえている」と実感したことなんてないが、わかりあえなさに苦しんだこともない。

母は違う。なんでこの人はこんな反応をするんだろう。なんでこんなことを娘に言うんだろう。彼女がわたしを「わかっていない」と実感するたびに、わたしは傷つく。自分と母を隔てる壁を、埋めようのない溝を認識するたびに自分が揺らぐ。

外見に対する母からの干渉をあれだけ嫌ってきた自分も今、母になった。
子どもの服装を見てついつい言ってしまう。
「その靴下ヘンだよ」
「その服だったらそれじゃない靴下にすればいいのに」
なぜか、わたしは子どもたちの靴下にばかり目がいく。なぜだ。

子どもと自分はちがう生き物だと日々思い知らされて生きている中で、靴下分くらいまだ、へその緒でつながっていると思いたいのだろうか。

母になったからこそ理解した「母の愛情」はもちろんあるが、母になってみないとわからなかった「母の業の深さ」を痛感させられる毎日である。
「娘にまなざされる母」である自分の異質さを、わたしが自覚できる日はくるのだろうか。


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