見出し画像

人生のショートカットか?死なない為のマニュアルか?スマイル☺️が、貰えなくなったら終わりなのか?

最近、福祉の仕事をされている(又は目指している)若い方と、グループワークをする機会が度々あります。

もちろん、新鮮な気分で楽しいのですが、意外なところで、若い方たちと意見が衝突したりします💦

例えば、グループワークの例文にない危険視するべき事案(危険予測)を、私が語ったりすると、タイトル画面の、あのちゃんさんのように「何言ってんの?」という雰囲気が若い方の中に流れます。一番酷かった時には、「そんなこと、例文に書いてない…」と、ネトッとした目で睨まれた経験さえあります💦融通の利かない真面目な方に、そんな傾向が強い様に感じます。

あのちゃんさんは、不思議キャラ的な立ち位置で、存在感のあるタレントさんですが、私のグループワークでは、若者に混じってしまったオジサン(私)が、きっと不思議キャラ的な立ち位置になるのでしょうか?

いや、若い方たちが悪いとは言っておりません。私もかつて介護福祉の専門学校生だった頃(若者だった頃)、学び直しに来ていたオジサンと仲は悪かったですからね💧しかも、そのオジサンは一流企業の管理職から、介護福祉の専門学校に来るという異色の方でした。

さっしの良い方なら、お分かりいただけているかもしれませんが、私も当時のグループワークで若者として、彼と衝突しています。でも、30年近く昔の介護福祉学校のグループワークですから、それ程難しい内容ではありませんが、なかなかの白熱したバトルであったと記憶しております。ただ面白いことに、その例文は全く覚えていない…💧

でも、今から思うと、それは私の若さ故の無知だったのだろうと思います。例え議論(グループワーク)という机上で勝った(綺麗な理屈として周囲に認めらた)としても、それは周囲の全員が無知だったという結果なだけで、本当は虚しい結果だったのです。

何故なら、自分が彼の歳になってみると、実はそんな事例は類似を含めて、職種は違えど、ある程度一流と呼ばれる企業に勤めていたような「できる大人」は、既に経験済みだからです。

だから、思考が例文を自動的に越えて、危険な可能性を発見してしまう。もっと言うならば、例文の模範解答を教科書以上に現実の社会の中で適応した形に変換させて、提示することができる。(教科書的に言うと、その解答は、もちろんバツです)。

もっとハッキリ言ってしまうと、理想の様な、お花畑や夢の世界として現実を見ない習慣が出来ているのです。それは、万に近い何千時間という(或いは万を越えた)時間を、仕事という泥臭い実践の現場で培った経験という、学びの結晶なのかもしれません。

しかも、その学びの結晶は、残念ながらどれだけ教科書を隅々まで読もうとも、手に入らないし、或いはそもそも教科書に書き込むことも出来ない内容もあるのです。

教科書や模範解答とは違う、オジサンの意見に、経験の浅い若者が、理解出来ないのは、仕方のないことで、何より、オジサンの意見は、時に無責任、或いは危険思想としてさえ、若者には映るでしょう。(それがより現実的な解答であればある程)。

しかし、実践の場では、往々にして教科書や模範解答が、全く通用しないという現実に直面します。たぶんそこで、頭を抱えて悩み、苦しみ、葛藤して、それが経験となって、若者の学びになるのかも知れません。

オジサンは、そんな悩みや苦しみがないように、その部分(辛い経験)をショートカットできるように、または、職場や人生で、誰かに後ろからやられない為、死なない為のマニュアルとして、老婆心ながら迂闊にも喋ってしまうのです。

やはり「何言ってんの?」という感じでしょうか?ちなみに、私とグループワークでバトルした当時のオジサンは、その後、挨拶程度はしてくださるものの、全く笑顔(スマイル☺️)を私に見せてくださることは、ありませんでした💧

若い私には、きっと彼から学ぶことは沢山あったハズです💦或いは、もっと器用に、もっと楽に人生を生きられるコツ(スキル)を手に入れることが、できたかもしれません?本当に勿体ないことをしたと思います。

なんとなく、そんな古いことを思い出しながら、グループワーク後に、最近この動画を観ています👇

実は凄く深い、今の若者から社会へのメッセージ性を秘めた動画だと思っています☺️


終わり🎵



この記事が参加している募集