のざわちかこ/古典を未来に

タイムマシンがなくても、想像する力があれば、昔の人と共感しあえます。たくさんの人が〈楽…

のざわちかこ/古典を未来に

タイムマシンがなくても、想像する力があれば、昔の人と共感しあえます。たくさんの人が〈楽しいこと=古文を読むこと〉となりますように。ときどき平安後期の和歌の研究者・鳥井千佳子も書きます。

マガジン

  • 『平家物語』は生きている

    『平家物語』は群像劇。そこに描かれてるたくさんの人物からあふれだすエネルギー、感情をとりあげていきます。『平家物語』を原文で語る、俳優金子あいの仕事を応援しています。

  • 紫式部に近づきたい

    いろいろな方向から紫式部と『源氏物語』に近づいてみます。ぜひ、ご一緒に。

  • おうちで読もう百人一首

    2020年コロナで身動きとれないなかでせっせとおうちで作った百人一首のビデオの紹介。ビデオに盛り込めなかった百人一首の歌人たちの話題も紹介します。

  • 列車とバスで気ままな旅

    列車とバスで旅をするのが好き、気ままなひとり旅が好き、突然古典について語り始める、わたしの旅の記録です。

  • 絵で読む『源氏物語』これはどんな場面?

    『源氏物語』を、土佐光吉の工房が製作した色紙絵と現代語訳+原文、深掘り解説とともに読んでみましょう。

記事一覧

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 願書(巻7)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さ…

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 実盛(巻7)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さ…

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 倶利伽羅落(巻7)

ーーーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け…

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 木曾最期(巻9)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さ…

紫式部に近づきたい~死別

避らぬ別れ 古文では、人が避けることができない別れ、つまり死別を「避らぬ別れ」と言うことがあります。「世の中に避らぬ別れの無くもがな」(この世の中で死による別れ…

旅する百人一首~55番 滝の音は絶えて久しく

滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 大納言公任 滝の音は、途絶えてから長い時間がたってしまったけれど、名古曽の滝のすばらしい評判は、今も…

紫式部に近づきたい 越前へ

紫式部は、越前守に任じられた父、為時とともに越前国に行きました。はじめて京を離れて旅する、紫式部の歌を詠んでみましょう。為時が越前守になったのは長徳二(996)年…

旅する百人一首~97番 来ぬ人をまつほの浦の

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ  権中納言定家 きっと来ないと思いながら、それでもあなたを待つ、まつほの浦で、風が止まる夕なぎの頃、塩を…

『光る君へ』を歩いてみた~一条大路コース

京都歴史マニアックツアー、午後は一条大路コースです。  ▶午前の二条大路コースはこちら これが一条大路コースの私家版地図。地下鉄今出川駅からスタートします。今出…

『光る君へ』を歩いてみた~二条大路コース

平安時代の邸宅のサイズ  かれこれ40年ほど前、平泉の中尊寺に行く途中に立ち寄った毛越寺で、『あ、これが、平安時代の貴族の邸宅の広さだ』と実感しました。  そのこ…

初めての こんぴら歌舞伎&お練り 

念願のこんぴら歌舞伎 行きたいところがあっても、コロナが流行する前は「まぁそのうち」なんて思っていたけど、去年あたりから「行きたいから、行くで」と前のめりモード…

『光る君へ』と百人一首の人たち~儀同三司母

「忘れないよ」 忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな ーー「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先ずっと変わらないことは難しいので、あなたが…

『光る君へ』と百人一首の人たち~清少納言

よに逢坂の関はゆるさじ 『枕草子』の中の、いわゆる「日記的章段」には、清少納言がお仕えする定子さまの一族、藤原道隆、伊周、隆家のほか、藤原公任、藤原斉信、藤原行…

『光る君へ』と百人一首の人たち~清原元輔

平安時代テーマパーク 2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』毎週、楽しみに観ております。LOVEの方面はわりとどうでもよくて(スマン)、『大鏡』『枕草子』『栄花物語』など…

紫式部に近づきたい 結婚(3)紫式部と宣孝

藤原宣孝の御嶽詣ーー『枕草子』 平安文学ファンの人々にとって、藤原宣孝といえば、紫式部の夫、そして、紫、白、山吹色、派手な装束で御嶽詣をした人。 御嶽詣とは、修…

紫式部に近づきたい 結婚(2)

結婚(1)では、藤原宣孝からの求婚に、ツンツンしながらも、まめに和歌を返していた紫式部。 その後も手紙のやりとりを続けたらしく、二人がかなりうちとけてきたところ…

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 願書(巻7)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。 ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。 原則として、登場人物の名前は実名にしました。 会話が続くときは、〇〇:「 」のように整えました。 話を小分けにして、小見出しをつけました

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 実盛(巻7)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。 ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。 原則として、登場人物の名前は実名にしました。 会話が続くときは、〇〇:「 」のように整えました。 話を小分けにして、小見出しをつけまし

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 倶利伽羅落(巻7)

ーーーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。 ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。 話を小分けにして、小見出しをつけました。 倶利伽羅落義仲、時間を稼ぐ そうするうちに、源平両方が対陣する。陣の間隔をわずか300メート

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 木曾最期(巻9)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。 ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。 会話が続くときは、〇〇:「 」のように整えました。 話を小分けにして、小見出しをつけました。 木曾最期巴 義仲は信濃から、巴、山吹と

紫式部に近づきたい~死別

避らぬ別れ 古文では、人が避けることができない別れ、つまり死別を「避らぬ別れ」と言うことがあります。「世の中に避らぬ別れの無くもがな」(この世の中で死による別れなど無くなってほしい)と詠んだのは、在原業平。 仲良くけんかしていた、紫式部と藤原宣孝ですが[結婚(1)、結婚(2)]、二人が結婚した1年後(1000年)に娘[大弐三位]が誕生、その翌年(1001年)の4月25日に、宣孝が亡くなります。 (四〇・四一) ーー去年から薄鈍色の喪服を着ている人に、女院(東三条院詮

旅する百人一首~55番 滝の音は絶えて久しく

滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 大納言公任 滝の音は、途絶えてから長い時間がたってしまったけれど、名古曽の滝のすばらしい評判は、今も変わらず、世に広がっているなあ ーーーーーーーーーーーーー 大覚寺は、もとは嵯峨天皇(在位809~823年)の離宮でした。日本最古の庭池「大沢池」も、離宮を造営するときに造られたそうです。その後、嵯峨離宮は876年に寺に改められ、大覚寺と呼ばれます。 今でも、この池に舟を浮かべ、中秋の名月を愛でた嵯峨天皇の昔をし

紫式部に近づきたい 越前へ

紫式部は、越前守に任じられた父、為時とともに越前国に行きました。はじめて京を離れて旅する、紫式部の歌を詠んでみましょう。為時が越前守になったのは長徳二(996)年のことです。 紫式部の歌碑 調べて見ると、紫式部の歌碑が、琵琶湖の周り(滋賀県)にも越前国(福井県)にも、たくさん建っています。 実際に歌碑のある場所を訪れてから、投稿するつもりでした。いろいろ調べて、行く気まんまんだったけど、大河ドラマ『光る君へ』では、次回(第25回)まひろ(紫式部)が京に戻ってきてしまう。

旅する百人一首~97番 来ぬ人をまつほの浦の

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ  権中納言定家 きっと来ないと思いながら、それでもあなたを待つ、まつほの浦で、風が止まる夕なぎの頃、塩を作るために海藻を焼きます。じりじりと焦げていく海藻のように、私自身も、毎日毎日あなたの訪れを待ち焦がれています。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 百人一首の撰者の藤原定家が、自分自身の歌の中から選んだのがこの歌、つまり、定家の自讃歌ですね。恋人の訪れを待つ、女性の立場で詠んでいます。 さて、定家の時代は「本歌取

『光る君へ』を歩いてみた~一条大路コース

京都歴史マニアックツアー、午後は一条大路コースです。  ▶午前の二条大路コースはこちら これが一条大路コースの私家版地図。地下鉄今出川駅からスタートします。今出川通りにある⑥京都市考古資料館にも立ち寄りたいと思います。では、出発! ①一条大路へ ①とらやの角を曲がって、西に進みます。現在は京都御苑で途切れていますが、東の方、京都御苑の中にも一条大路は続いていました。 平安時代、賀茂祭が近づくと人々はウキウキしました。斎院の行列が通る日には、一条大路に、たくさんの見物の

『光る君へ』を歩いてみた~二条大路コース

平安時代の邸宅のサイズ  かれこれ40年ほど前、平泉の中尊寺に行く途中に立ち寄った毛越寺で、『あ、これが、平安時代の貴族の邸宅の広さだ』と実感しました。  そのころ私は大学院生で、ずっと平安時代の和歌を研究していたけれど、和歌を詠んだ人々、歌人たちに和歌を詠む場をあたえた人々が、どんな所に住んでいたのか、意識して考えたことがありませんでした。敷地がこんなに広いとは。そういえば、庭の池に舟を浮かべて、楽を演奏させる場面がいろいろな文学作品に書かれていた!  京都歴史マニアッ

初めての こんぴら歌舞伎&お練り 

念願のこんぴら歌舞伎 行きたいところがあっても、コロナが流行する前は「まぁそのうち」なんて思っていたけど、去年あたりから「行きたいから、行くで」と前のめりモードです。 今年の1月にJTBで席を予約してから、ずっと楽しみにしていた、初めてのこんぴら歌舞伎。正式名称は、第三十七回 四国こんぴら歌舞伎大芝居。初日の4月5日の席がとれたので、4月4日のお練りから行く?(行くで!)となりました。 2024年4月4日 JR琴平駅到着、桜も満開。 今日の目的は、お練り(今風に言え

『光る君へ』と百人一首の人たち~儀同三司母

「忘れないよ」 忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな ーー「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先ずっと変わらないことは難しいので、あなたがそのお言葉をくださった今日、最高に幸せな気持ちのまま、わたしは死んでしまいたい。 「忘れじ」は、そのまま訳すと「忘れないよ」となるのだけど、恋愛の場面で〈忘れる〉〈忘れない〉とは、どういうことでしょうか。 百人一首に「忘らるる身をば思はず 誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(あなたに忘れられる私のことはいいの。あ

『光る君へ』と百人一首の人たち~清少納言

よに逢坂の関はゆるさじ 『枕草子』の中の、いわゆる「日記的章段」には、清少納言がお仕えする定子さまの一族、藤原道隆、伊周、隆家のほか、藤原公任、藤原斉信、藤原行成も登場します。そうです、光る君への「F4」メンバー。 『枕草子』を読むと、百人一首に入っている清少納言の歌、 夜をこめて鳥のそら音にはかるとも よに逢坂の関はゆるさじ は藤原行成とのやりとりの中で、詠まれたことがわかります。 ドラマ(現在は第7話)では、行成はおとなしく、一歩引いた感じのキャラですが、「鳥の

『光る君へ』と百人一首の人たち~清原元輔

平安時代テーマパーク 2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』毎週、楽しみに観ております。LOVEの方面はわりとどうでもよくて(スマン)、『大鏡』『枕草子』『栄花物語』などなど、本の中で親しんでいた人たちが、平安時代の装束を身につけて、寝殿造の建物の中や外、平安京をうごきまわっていることに感動しています。さしずめ平安時代テーマパーク(ほめている)を毎週訪れている気分。 ミッキーの帽子の代わりに、烏帽子かぶりたーい。 清原元輔登場! ドラマの六回目には、清原元輔が娘の清少納

紫式部に近づきたい 結婚(3)紫式部と宣孝

藤原宣孝の御嶽詣ーー『枕草子』 平安文学ファンの人々にとって、藤原宣孝といえば、紫式部の夫、そして、紫、白、山吹色、派手な装束で御嶽詣をした人。 御嶽詣とは、修験道の霊地である吉野の金峯山に詣でることです。参詣の前には、御嶽精進といって、50日から100日間、部屋に籠もって仏道修行をします。精進を怠ると蔵王権現から厳しく罰せられると恐れられていました。(参考『国史大事典』御嶽精進の項) また、『枕草子』によると、どんなに身分が高くても、わざと粗末な身なりで参詣していたよ

紫式部に近づきたい 結婚(2)

結婚(1)では、藤原宣孝からの求婚に、ツンツンしながらも、まめに和歌を返していた紫式部。 その後も手紙のやりとりを続けたらしく、二人がかなりうちとけてきたところで、とつぜん怒っています。ほんとうに怒ると手紙なんて書かずに、使者に口頭で伝えさせるのですね。 (三二) ーー私からの手紙をほかの人たちに見せたと聞いて、「今まで送った手紙を集めて返さなければ、返事は書きません」と使いの者に口上だけで伝えさせたところ、「全部返すよ」と言って、ひどく恨みがましかったので。一月十日ご