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光る君へ de 古典入門

NHK大河ドラマ「光る君へ」で平安文学を好きになる人が増えてほしいなあ

紫式部に近づきたい〜弟・惟規、越後で死す

 〈『俊頼髄脳』には、惟規の臨終の時のエピソードもあるけれど、どうだろ、「光る君へ」でやるかな?〉なんて以前の投稿で書きましたが、第39回で、みんなに愛された惟規が、越後国でお父さんの為時に看取られて、死んでしまいましたね。グスン(涙)。  『俊頼髄脳』のエピソードを紹介します。 越後国へ 紫式部と惟規の父、藤原為時は1011(寛弘八)年、越後守となって赴任しました。 惟規は当時は六位の蔵人。通常、清涼殿にのぼることができるのは五位以上ですが、六位の蔵人は特例として昇殿

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紫式部に近づきたい ~紫式部の弟、藤原惟規

紫式部の周りをぐるっと 大ベストセラー作家、紫式部さんはどんな人?2024年の大河ドラマ「光る君へ」ではどのように描かれるのかな?平安時代が立体的に再現されるので、とても楽しみです。 史実と違う!と怒り出す人もきっとあらわれるでしょうが、ほほう、アレをそう解釈しますかなどと思いながら観るのも楽しいはず。 そこでいろいろなアレコレを、できるだけ紫式部に近い時代に書かれた本によって、紹介していこうと思います。 今回は紫式部の弟の藤原惟規について、まとめました。 紫式部の

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『光る君へ』と百人一首の人たち~清少納言

よに逢坂の関はゆるさじ 『枕草子』の中の、いわゆる「日記的章段」には、清少納言がお仕えする定子さまの一族、藤原道隆、伊周、隆家のほか、藤原公任、藤原斉信、藤原行成も登場します。そうです、光る君への「F4」メンバー。 『枕草子』を読むと、百人一首に入っている清少納言の歌、 夜をこめて鳥のそら音にはかるとも よに逢坂の関はゆるさじ は藤原行成とのやりとりの中で、詠まれたことがわかります。 ドラマ(現在は第7話)では、行成はおとなしく、一歩引いた感じのキャラですが、「鳥の

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『光る君へ』と百人一首の人たち~儀同三司母

「忘れないよ」 忘れじの行く末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな ーー「忘れないよ」というあなたの言葉が、この先ずっと変わらないことは難しいので、あなたがそのお言葉をくださった今日、最高に幸せな気持ちのまま、わたしは死んでしまいたい。 「忘れじ」は、そのまま訳すと「忘れないよ」となるのだけど、恋愛の場面で〈忘れる〉〈忘れない〉とは、どういうことでしょうか。 百人一首に「忘らるる身をば思はず 誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」(あなたに忘れられる私のことはいいの。あ

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紫式部に近づきたい

いろいろな方向から紫式部と『源氏物語』に近づいてみます。ぜひ、ご一緒に。

紫式部に近づきたい〜弟・惟規、越後で死す

 〈『俊頼髄脳』には、惟規の臨終の時のエピソードもあるけれど、どうだろ、「光る君へ」でやるかな?〉なんて以前の投稿で書きましたが、第39回で、みんなに愛された惟規が、越後国でお父さんの為時に看取られて、死んでしまいましたね。グスン(涙)。  『俊頼髄脳』のエピソードを紹介します。 越後国へ 紫式部と惟規の父、藤原為時は1011(寛弘八)年、越後守となって赴任しました。 惟規は当時は六位の蔵人。通常、清涼殿にのぼることができるのは五位以上ですが、六位の蔵人は特例として昇殿

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光る君へ de『源氏物語』~帝の悲しみ

一条天皇と皇后定子と『枕草子』 大河ドラマ「光る君へ」も、いよいよ後半に入ります。『枕草子』が誕生する場面、素敵でしたね。何度も録画を見直してしまいます。そして、皇后定子が亡くなった後に、光り輝いていた定子の姿(日記的章段と言われる部分)を書き継いだというのが、「光る君へ」が採用した解釈でした。 鎌倉時代初期に書かれた最古の文芸評論『無名草子』も、「定子さまがすばらしく最も輝いていて、帝のご寵愛を受けていらっしゃったことだけを、驚くほど見事に書きあらわして、関白殿〈道隆〉

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光る君へ de『源氏物語』~源氏の君と若紫

ディベートを楽しむ女房たち 「光る君へ」第35回、中宮彰子さまの前で、女房たちが『源氏物語』の源氏の君と若紫について、あれこれ論じ合っていました。平安時代も、現代の読書会のようなことをおこなっていて、その雰囲気が伝わってきます。 『枕草子』79段には、『宇津保物語』に登場する、仲忠と涼の優劣を、中宮定子の前で女房たちが議論したと記されています。仲忠が、子どものころに母と木の洞(うつほ)で暮らしていたことを批判する人たちがいました。同210段には「仲忠の子ども時代のことを侮

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紫式部に近づきたい〜弟・惟規、賀茂斎院でピンチ

大河ドラマ「光る君へ」は期待を上回る、おもしろさ。系図をみたら「光る君へ」の俳優の顔が浮かんでくるようになりました。平安時代が身近に感じられて、楽しい! さて、第34回を見ていると、まひろ(紫式部)の弟、惟規が「神の斎垣を越えるかも、俺」なんて言ってましたね。 え、歌学書の、あのエピソードやるの? それじゃあ、去年(2023年)の6月に、惟規が蔵人になるところまで書いた、その続きを書きますっ。 歌よみの惟規 『俊頼髄脳』という歌学書があります。著者は源俊頼。関白藤原

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紫式部に近づきたい~紫式部集をよむ

紫式部集を読みやすく現代語訳し、歌にまつわるエピソードを紹介します。紫式部が読んだ歌にふれることで、紫式部に直に近づいてみましょう。

紫式部に近づきたい~宮仕え(1)

初出仕は12月29日  「光る君へ」(第32回)で、まひろがいよいよ宮中へ。 『紫式部集』の和歌を読んで、初出仕前後の紫式部の本音を探ってみましょう。 *詞書と和歌を現代語に訳しました。和歌の現代語訳の上の▼は紫式部が詠んだ歌、▽は紫式部以外の人が詠んだ歌です。 (五四・五五) ーーわが身をこんなはずではなかったと嘆くことが、だんだん普通になり、ひたすらそのことばかりを思った 数ならぬ心に身をばまかせねど 身にしたがふは心なりけり ▼取るに足りない私の心のままに

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紫式部に近づきたい~死別

避らぬ別れ 古文では、人が避けることができない別れ、つまり死別を「避らぬ別れ」と言うことがあります。「世の中に避らぬ別れの無くもがな」(この世の中で死による別れなど無くなってほしい)と詠んだのは、在原業平。 仲良くけんかしていた、紫式部と藤原宣孝ですが[結婚(1)、結婚(2)]、二人が結婚した1年後(1000年)に娘[大弐三位]が誕生、その翌年(1001年)の4月25日に、宣孝が亡くなります。 (四〇・四一) ーー去年から薄鈍色の喪服を着ている人に、女院(東三条院詮

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紫式部に近づきたい 越前へ

紫式部は、越前守に任じられた父、為時とともに越前国に行きました。はじめて京を離れて旅する、紫式部の歌を詠んでみましょう。為時が越前守になったのは長徳二(996)年のことです。 紫式部の歌碑 調べて見ると、紫式部の歌碑が、琵琶湖の周り(滋賀県)にも越前国(福井県)にも、たくさん建っています。 実際に歌碑のある場所を訪れてから、投稿するつもりでした。いろいろ調べて、行く気まんまんだったけど、大河ドラマ『光る君へ』では、次回(第25回)まひろ(紫式部)が京に戻ってきてしまう。

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紫式部に近づきたい 結婚(3)紫式部と宣孝

藤原宣孝の御嶽詣ーー『枕草子』 平安文学ファンの人々にとって、藤原宣孝といえば、紫式部の夫、そして、紫、白、山吹色、派手な装束で御嶽詣をした人。 御嶽詣とは、修験道の霊地である吉野の金峯山に詣でることです。参詣の前には、御嶽精進といって、50日から100日間、部屋に籠もって仏道修行をします。精進を怠ると蔵王権現から厳しく罰せられると恐れられていました。(参考『国史大事典』御嶽精進の項) また、『枕草子』によると、どんなに身分が高くても、わざと粗末な身なりで参詣していたよ

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列車とバスで気ままな旅

列車とバスで旅をするのが好き、気ままなひとり旅が好き、突然古典について語り始める、わたしの旅の記録です。

京の夏の旅~下鴨神社から上賀茂神社へ

暑いよ!暑いよ! スタートは、京阪電車の出町柳駅。改札口のある地下から、〈下鴨神社はあちら〉という看板を目印に進み、地上に出て、道路を渡ると、糺の森の入口です。木々のあいだをすすむと、ほどなく賀茂御祖神社の碑。 木々の緑を見ると、不思議と暑さが和らぐような気がしますが、京都の気温37度! 今回の旅行の目的が3つあって、一つめがこれ。御手洗池に足をつける神事。毎年、土用の丑の日の前後10日間おこなわれます。 参道を進むと、かつて鴨長明のお父さんが禰宜をつとめていたという

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初めての こんぴら歌舞伎&お練り 

念願のこんぴら歌舞伎 行きたいところがあっても、コロナが流行する前は「まぁそのうち」なんて思っていたけど、去年あたりから「行きたいから、行くで」と前のめりモードです。 今年の1月にJTBで席を予約してから、ずっと楽しみにしていた、初めてのこんぴら歌舞伎。正式名称は、第三十七回 四国こんぴら歌舞伎大芝居。初日の4月5日の席がとれたので、4月4日のお練りから行く?(行くで!)となりました。 2024年4月4日 JR琴平駅到着、桜も満開。 今日の目的は、お練り(今風に言え

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高雄の神護寺に文覚を訪ねて

猿之助氏怪僧を怪演 怪僧文覚。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK 2022年)で、市川猿之助さんが演じていた胡散臭いお坊さんです。鎌倉と京を行き来し、最終回でも幽霊になって登場しました。その文覚ゆかりの寺、高雄の神護寺に行ってきました。 ※「猿之助氏怪僧を怪演」は私の創作早口言葉だよ。 神護寺と文覚  あの高雄に神護寺という山寺がある。昔、称徳天皇のときに和気清麻呂が建立した伽藍である。長い間修理してなかったので、春は霞にたちこめられ、秋は霧につつまれ、扉は、風で倒

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平家物語の「舞台」を巡る旅① ~一ノ谷合戦~

「この人たちはなにをコーフンしてるのかな」ときっと思われているとおもうけど、「平家物語」の文章が心に浮かぶと、ただの景色がただものではない景色に変わって、きゃーきゃーと心が騒がしい。というわけで、行ってきました!平家物語の舞台となった場所を巡る旅。ぐるっとご案内します。 待ち合わせたのは山陽新幹線の新神戸駅。神戸と言えば、大輪田泊に福原京、経ケ島、行きたい場所はたくさんあれど、2泊3日で一ノ谷から壇ノ浦まで巡るので、それらはまた別の機会に。 A 平家物語の「坂落」の舞台~

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『平家物語』は生きている

『平家物語』は群像劇。そこに描かれてるたくさんの人物からあふれだすエネルギー、感情をとりあげていきます。『平家物語』を原文で語る、俳優金子あいの仕事を応援しています。

『平家物語』をさらっと読んでみましょう 倶利伽羅落(巻7)

ーーーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。 ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。 話を小分けにして、小見出しをつけました。 倶利伽羅落義仲、時間を稼ぐ そうするうちに、源平両方が対陣する。陣の間隔をわずか300メート

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『平家物語』をさらっと読んでみましょう 木曾最期(巻9)

ーーーーーーーーーーーー 『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。 ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。 会話が続くときは、〇〇:「   」のように整えました。 話を小分けにして、小見出しをつけました。 木曾最期巴 義仲は信濃から、巴、山吹と

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高雄の神護寺に文覚を訪ねて

猿之助氏怪僧を怪演 怪僧文覚。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK 2022年)で、市川猿之助さんが演じていた胡散臭いお坊さんです。鎌倉と京を行き来し、最終回でも幽霊になって登場しました。その文覚ゆかりの寺、高雄の神護寺に行ってきました。 ※「猿之助氏怪僧を怪演」は私の創作早口言葉だよ。 神護寺と文覚  あの高雄に神護寺という山寺がある。昔、称徳天皇のときに和気清麻呂が建立した伽藍である。長い間修理してなかったので、春は霞にたちこめられ、秋は霧につつまれ、扉は、風で倒

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平家物語~坂落 

坂落 源平の最後の三つの戦い、一ノ谷、屋島、壇ノ浦合戦。都まで一、二日で行ける摂津国に城郭を作ったのに、あわてて屋島に逃げ帰ることになってしまったのは、義経の「坂落」作戦が成功したから。平家一門の人々も大勢討ち死にしました。 平家は都落ちしてから半年ほどの間に、勢力を回復して摂津国に戻り、生田の森から一ノ谷の広い範囲に城郭を構えていました。源氏との戦いに勝って都に戻るんだと、意気盛んです。寿永三年(1184)二月七日、夜明けともに一ノ谷の合戦と呼ばれる戦いがはじまりました

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