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『平家物語』をさらっと読んでみましょう 倶利伽羅落(巻7)

『平家物語』を、読みやすく現代語に訳しました。原文といっしょに味わうことを目的にしているので、訳文には、説明的なことばをあまり付け足さないようにしました。

ただし、読みやすさを大切にして、次のようなアレンジを加えています。

  • 敬語は、会話文など、敬語を活かした方が良い場合を除いて、普通の言い方にしました。

  • 話を小分けにして、小見出しをつけました。

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倶利伽羅落

義仲、時間を稼ぐ

そうするうちに、源平両方が対陣する。陣の間隔をわずか300メートルぐらいまで詰め寄せた。源氏も進まず、平家も進まず。精鋭の兵を15騎、盾の前面に進ませて、15騎が上矢の鏑を平家の陣に射込む。平家もまた謀と気づかず、15騎を出して15の鏑矢を射返す。源氏が30騎を出して射させれば、平家も30騎を出して30の鏑矢を射返す。50騎を出せば50騎を出して応じ、100騎を出せば100騎を出して応じて、双方100騎ずつ陣の正面に進んだ。相対して勝負をしようと勇み立つが、源氏の方から抑えて勝負をさせない。源氏はこのようにして日を暮らし、平家の大軍勢を倶利伽羅谷へ追い落とそうとだましているのに、すこしも気づかないで、一緒になってあしらわれ、日を暮らすのはあわれなものだ。

日没

次第にあたりが暗くなったので、北南から後方にまわった軍勢1万余騎が、倶利伽羅の御堂のあたりに回り込んで、腰に下げた矢の箱をたたき、鬨の声をどっとあげた。平家が後ろを振り返ると、源氏の白旗が雲のように高々と持ち上げられている。「この山は四方が岩石だと聞いていたので、後ろにはまさか回るまいと思っていたのに、これはどうしたことか」と口々に騒いだ。そのうち義仲が正面から鬨の声を合わせる。松永の柳原、ぐみの木林に1万余騎でひかえていた軍勢も、今井四郎の6000余騎で日宮林にひかえていた軍勢も、同時に 鬨の声をあげた。前後4万騎がさけぶ声は、山も川も一時に崩れるように聞こえた。予想どおり、平家は次第に周りが暗くなる、前後から敵が攻めてくる、「卑怯だぞ、戻れ戻れ」という者どもは多いが、大勢が傾斜地に斜めに立っていると、たやすく引き返すことは難しいので、倶利伽羅谷に我先にと落ちていく。先に進んでいた者が見えないので、『この谷の底に道があるのだろう』と思って、親が落ちれば子も落ち、兄が落ちれば弟も続く。主が落ちれば、家の子郎等も落ちたのだった。馬の上に人、人の上に馬、落ち重なり、落ち重なり、あれほど深い谷ひとつを平家の軍勢7万余騎で埋めたのだった。岩間から湧き出る泉は血を流し、死骸が積み上がった。だからその谷のほとりには、矢の穴、刀の疵が今も残っていると聞く。

地獄谷

平家方では頼りにされていた大将の、上総大夫判官忠綱、飛騨大夫判官景高、河内判官秀国もこの谷に埋もれて亡くなった。備中国住人瀬尾太郎兼康という評判の力持ちも、そこで加賀国住人倉光次郎成澄の手にかかって生け捕りにされた。越前国火打が城で裏切った、平泉寺の長吏斎明威儀師も捕らえられた。義仲が「あまりにも憎いので、その法師を先ず斬れ」と言って斬られてしまった。平氏の大将軍、維盛、通盛はかろうじて命が助かり 加賀国に退却する。7万余騎の中からわずかに2000余騎が逃げおおせたのだった。
 翌12日、奥州の秀衡のもとから義仲に駿馬2頭が 献上された。一頭は黒月毛、もう一頭は連銭葦毛である。そのままこれに鏡鞍をおいて、白山神社に神馬として奉納した。

志保の戦い

義仲が言うには「今となっては心を悩ませることもない。ただし行家殿の志保の戦いが気がかりだ。よし行ってみよう」と言って4万余騎の中から馬や人を選抜して2万余騎で向かった。氷見の湊を渡ろうとするが、ちょうど潮が満ちていて、深さ浅さがわからなかったので、鞍を置いた馬を10頭 ぐらい海に追い込んだ。鞍の前輪と後輪の両端が浸かる ぐらいの深さで、問題なく向こう岸に着いた。「浅かったぞ、渡せ」と言って2万余騎の大軍勢がみな馬を乗り入れて 渡った。案の定、行家は散々に追い立てられ、後退して馬の息を休めていたところで、義仲は「やはりそうだった」と言って新手の軍勢2万余騎と入れ替えて、平家3万騎の中に叫び声をあげながら駆け入り、はげしく揉み合って火が出るほど攻めたのだった。平家の軍勢はしばらくはあらがって防いだが、こらえきれず、そこもとうとう攻め落とされた。

平家方では、大将軍三河守知度が討たれた。これは入道相国清盛の末子である。侍大将たちも多くが命を落とした。義仲は志保の山を越えて、能登の小田中、親王塚の前に陣をとる。 


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