光る君へ de『源氏物語』~帝の悲しみ
一条天皇と皇后定子と『枕草子』
大河ドラマ「光る君へ」も、いよいよ後半に入ります。『枕草子』が誕生する場面、素敵でしたね。何度も録画を見直してしまいます。そして、皇后定子が亡くなった後に、光り輝いていた定子の姿(日記的章段と言われる部分)を書き継いだというのが、「光る君へ」が採用した解釈でした。
鎌倉時代初期に書かれた最古の文芸評論『無名草子』も、「定子さまがすばらしく最も輝いていて、帝のご寵愛を受けていらっしゃったことだけを、驚くほど見事に書きあらわして、関白殿〈道隆〉がお亡くなりになり、内大臣〈伊周〉が流罪になられたころの衰退のさまには、決して触れないというあたりの、すぐれた心遣い」(宮の、めでたく、盛りに、時めかせたまひしことばかりを、身の毛も立つばかり書き出でて、関白殿失せさせたまひ、内大臣うちのおとど流されたまひなどせしほどの衰へをば、かけても言ひ出でぬほどのいみじき心ばせ)と清少納言をほめています。
『枕草子』は一条天皇に献上され、皇后定子を偲ぶための愛読書となりました。
一条天皇と皇后定子と『源氏物語』
兄の伊周と弟の隆家を捕らえるために、検非違使が二条宮に乱入したとき、皇后定子は髪を切って出家しますが、その後ふたたび宮中の職の御曹司に住むことになってから、「光る君へ」では、一条天皇と皇后定子のラブシーンが、これでもか、これでもかとくりかえされました。これはあきらかに、『源氏物語』桐壺巻の、桐壺帝と桐壺更衣を意識していたと思われます。たとえば、桐壺巻のこのような個所。
帝は、非難する人々の目をはばかることもおできにならず、世の前例として語り継がれてしまいそうなご待遇である。上達部、殿上人なども、あってはならないことだと横目で見ながら、思わず顔をそむけたくなるほどのご寵愛ぶりである。
唐の国でも、このようなことが原因となって、世が乱れよくないことが起きたと、しだいに世間でも、にがにがしく人の悩みの種となって、楊貴妃の例まで引き合いに出すようになっていくので、桐壺更衣は、ひどくきまりが悪く、いたたまれないことも多いけれど、もったいないほどの帝のご寵愛を頼みに、宮仕えを続けておられた。
物語の力
『枕草子』は実話にもとづいたもの(もちろん脚色はあり)、『源氏物語』は創作された物語。
「光る君へ」の中の話ですが、一条天皇は創作された物語を読むことで、自分自身の経験を、ようやく客観視することができたのではないでしょうか。
『源氏物語』桐壺巻の冒頭部分「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに」は、これは当代〈つまり一条天皇の時代。西暦1000年ごろ〉のお話ではなくて、70~80年ぐらい前の宮中を舞台にしたお話ですよという宣言でもあります。
一条天皇のころには、お妃は女御(大臣や親王の娘)だけで、更衣(大納言や中納言の娘)はいませんでした。人数も、“あまた(おおぜい)”いませんでした。
また、一条天皇の時代に人気のあった長恨歌を引用しています。
つまり、あくまでも創作の物語として、帝とお妃の愛情物語が書かれています。実話ではなく、物語として読むことで、自分自身の感情を客観視できるというのは、現代の小説とも共通する、文学の良いところ。
授業でコミュニケーション論を担当しなくてはならなくなって、いろいろ勉強しましたが、NLPの「ポジションチェンジ」という考え方、物語や小説を読むときといっしょだなあ、などと思ったのでした。
ところで、『源氏物語』若紫巻には、源氏の君より8歳ぐらい年下の、若紫ちゃんが出てきます。一条天皇と彰子さまの年齢差がちょうどこれぐらい。これも意味がありそうですよね。
おまけ 映像作品と研究者の思考
わたくし、根っこの部分は研究者であり続けたいと思っていますが、《考えられることはすべて取り上げて検証しなければ納得できない、または納得させられない》というのが、研究者の性。(心の声:実はそれが楽しい)
一方、映像作品を作るとなると、設定したプロットに従って、取“捨捨捨捨捨捨捨捨”捨選択、いろいろな情報の9割は捨てて、1割を残すという感覚かな。
9割を捨てられてしまう研究者としては、チッと思うけれど、まあ映像作品はそういうものだと思えば、たしかにストーリーがシンプルになってわかりやすく、おもしろくなりますね。わかりやすさ第一。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?