平家物語の「舞台」を巡る旅① ~一ノ谷合戦~
「この人たちはなにをコーフンしてるのかな」ときっと思われているとおもうけど、「平家物語」の文章が心に浮かぶと、ただの景色がただものではない景色に変わって、きゃーきゃーと心が騒がしい。というわけで、行ってきました!平家物語の舞台となった場所を巡る旅。ぐるっとご案内します。
待ち合わせたのは山陽新幹線の新神戸駅。神戸と言えば、大輪田泊に福原京、経ケ島、行きたい場所はたくさんあれど、2泊3日で一ノ谷から壇ノ浦まで巡るので、それらはまた別の機会に。
A 平家物語の「坂落」の舞台~鉢伏山山頂へ
さあ、目指すは平家物語の「坂落」の舞台。木曾義仲と源頼朝が源氏同士でもめている間に、平家は水島合戦、室山合戦で源氏方に勝利、寿永二年(1183)の末には、都まで馬なら1日で行ける、摂津国に戻っていました。
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一の谷は北は山、南は海、口は狭(せば)くて奥広し。岸たかくして屏風をたてたるにことならず。北の山ぎはより南の海の遠浅まで、大石(たいせき)を重ねあげ、大木をきって逆茂木にひき、深き所には大船どもをそばだてて、垣楯にかき、城の面の高矢倉には、一人当千ときこゆる四国鎮西の兵者ども、甲冑弓箭を帯して、雲霞の如くに並み居たり。矢倉の下には、鞍置馬ども十重二十重にひったてたり。(略)高き所には赤旗おほくうちたてたれば、春風にふかれて天にひるがえるは、火炎の燃えあがるにことならず。(巻九 樋口被討罰)
平家は、生田森から一ノ谷まで東西に細長く延びる城郭を作って、源氏に勝って都に帰るぞと意気込んでいました。
上の写真では、右下に一の谷の城郭の木戸口があります。城郭が東の方に扇状に広がっていたということでしょうか。現在の景色に想像力を重ねると、たくさんの平家軍の赤い旗がゆれているのが見える!(かも)。
須磨浦公園山上遊園地展望台へ
鉢伏山の頂上付近にある展望台をめざして、山陽電車の須磨浦公園駅からロープ―ウエイに乗ります!
たしかに山が屏風のように迫っている。天然の要害です。この山があるので、背後からは攻めてこないと平家方の人々は油断したんだなあ。
ローブウエイを下りたら、カーレーダーという不思議な乗り物がありました。ゴトゴトゴトゴト‥‥。なんかさあ、カゴに詰め込まれて出荷される果物になった気分だねえ。
収穫してからちょっと時間が経っているけど(苦笑)。
気分は源義経
須磨浦公園山上遊園地の回転展望閣屋上展望台から麓を見渡すと、気分は源義経。
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御曹司、城郭はるかに見わたいておはしけるが、「馬ども落といてみむ」とて、鞍置馬を追ひおとす。或は足をうち折って、ころんで落つ。或は相違なく落ちてゆくもあり。鞍置馬三疋、越中前司が屋形のうへにおちついて、身ぶるひしてぞ立ったりける。御曹司これを見て、「馬どもはぬしぬしが心得ておとさうには損ずまじいぞ。くはおとせ。義経を手本にせよ」とて、まづ三十騎ばかり、まっさきかけて落とされけり。(巻九 坂落)
こんな崖を馬で下りるなんて、信じられないよ。越中前司の屋形はどのあたり?
山の中はこんな感じです。ここに源氏方の東国武士がいたのかと思うと、感慨深い。
平敦盛の墓のとなりに
ロープウエイで山から下りて、平敦盛のお墓に詣でます。この近くの海岸で敦盛は討たれました。
敦盛君!またあとで来るから、ちょっと待っててねと言って、お墓の隣にある、その名も「敦盛そば」というお店でお昼ご飯。
これは敦盛そば
これは源平そば。白が源氏で、赤が平家。どちらもおいしゅうございました。
敦盛のお墓にもう一度挨拶をして、次の目的地の須磨寺に向かいます。
一日目のコース
今回はA鉢伏山でおしまい。
つづきは、平家物語の「舞台」を巡る旅②「敦盛最期」「小宰相身投」編/平家物語の「舞台」を巡る旅➂「壇浦合戦」「先帝身投」編
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