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資料集の魅力 『The Art of BIG HERO 6(ベイマックス)』


・設定資料集の魅力とは




 創作物の設定資料集を読むことが好きだ。
 作品世界への理解を更に深めるために。また、思い出深い物語を追体験するために。或いは、製作の経緯や関係者の心中を知るために。こうして俺の部屋の本棚は、一冊また一冊と、好きな映画・ゲーム等の設定資料集で埋まってしまうのであった。



 俺は紙媒体・電子書籍の双方を愛用しているが、資料集に関しては専ら紙媒体派を貫いている。紙の物質的な劣化を考慮すれば電子書籍に優位性があるが、“情報の重み”そして“持ってる感”(我ながら非常にチープな言葉だ…)に関しては、紙媒体の書籍に軍配が上がる。──そう、俺は大切な創作物の情報に対して、重みを感じていたいのかもしれない。



 そんな“重い情報”が詰まった魅惑的な設定資料集について語る本シリーズ記事。その第一回目に選ばせて頂くのは、『The Art of BIG HERO 6』──マシュマロボディの愛されキャラでお馴染みの映画:「ベイマックス」の設定資料集である。

・映画「ベイマックス」への愛情



 2014年に公開された、邦題「ベイマックス」こと「BIG HERO 6」(以下、「ベイマックス」と呼称を統一する)。今日では広く知れ渡っているため説明の必要は無いかもしれないが、「ベイマックス」は本来日本人だけで結成されたマイナーなマーベルヒーローアメコミを基にし、ディズニーが大幅に翻案・リメイクした映画作品である。方向性は全く異なるが、「ハワード・ザ・ダック 暗黒魔王の陰謀」(1986)や「ブレイド」(1998)等のような、“MCUの世界観と関わりのないマーベル映画”の括りに含めても良いのかもしれない。



 振り返ってみると、「シュガー・ラッシュ(2012)」「アナと雪の女王(2013)」「ベイマックス(2014)」「ズートピア(2016)」「モアナと伝説の海(2016)」…という五本もの大傑作を立て続けに繰り出していた2010年代初頭〜中期のディズニーは、「リトル・マーメイド(1989)」に始まる“ディズニー・ルネサンス”をも上回る黄金期を迎えていたのではないだろうか?
 上記の五本はいずれもメッセージ性・娯楽性に富む上に双方のバランスが取れた素晴らしい作品群であるが、その中でも…いや、数多あるディズニー/ピクサー作品中でもTOP3に入るほどに俺は「ベイマックス」という作品を愛しており、群を抜いた傑作とも考えている。



 本作は人間とロボットが織り成す脱力系コメディとしても、主人公が辛い過去(特に“復讐心”)を克服する過程を描くヒューマンドラマとしても、色とりどりのパワードスーツを着たキャラクター達が敵と戦う戦隊ヒーローアクションとしても、様々なテクノロジーに根差したガジェット・ロボットが活躍する近未来SFとしても、どの角度から観ても上質であり、俺のツボに刺さる作品だった。
 特に四つ目は“ロボット三原則”という単語を使わずにその要素(我が身を呈して人間を守り、“基本的には”人間に危害を加えられないベイマックス)を拾って活かしきっており、誠に見事という他ない。
 …そんな大傑作「ベイマックス」の設定資料集こそが、本稿で紹介する『The Art of BIG HERO 6』である。

・「ベイマックス」の世界はこうして産まれた──『The Art of BIG HERO 6』




 本書に記載されている情報は、主に二つに集約できる。
 まず、映画の舞台となる架空のアメリカ日系人街「サンフランソウキョウ」の風景や数々の小道具を作り込むための資料。そして、多くのキャラクター達のデザインを決定稿に落とし込むまでに描かれたアートワーク=試行錯誤の過程だ。



 まず前者については、日本とサンフランシスコのリアルな風景を融合させ、架空の世界=サンフランソウキョウへ落とし込むために撮影された、様々な日本の街並のロケハン写真が確認できる。日本在住で「ベイマックス」を観た方なら、洋画に頻出しがちな“インチキ日本”“謎アジア”感を取り除かれた、生っぽい日本感覚を味わうことができたはず。その感覚を得ることができたのは、間違いなくロケハンの賜物だろう。
 本書にはこうして産まれたサンフランソウキョウの街並のイメージイラストや、作中の背景として使われていた(と思わしき)ポスター、看板のデザインも収録されている。映画本編と見比べてみるのも乙かもしれない。



 そして、後者のキャラクター達の様々なデザイン案について。登場人物の人種案(特に“ハニーレモン”が難航したようだ)や数々の衣装案を、これでもかと拝むことができる。
 一例を挙げると、ベイマックスの強化スーツには鎧武者、ヒーローチームのスーツには忍者の意匠が取り入れられていたことが垣間見えて興味深い。最終的にはベイマックス=アイアンマン的、人間キャラクター=戦隊ヒーロー的なデザインに落ち着いたが、和風要素を更に強く推し出す案もあったことがよくわかる。
 なお、様々なアーティストによって描かれたコンセプトデザインの中には、「キルラキル」「プロメア」「ガンダム Gのレコンギスタ」等で知られるコヤマシゲト氏によるイラスト・設定案も掲載されている。ジャパニーズアニメのファンも必見と言えよう。



 こうしてページを捲っていくたびに、本作の世界観が多くのデザイナーの案を元に成立していたこと=“集合知”で成り立っていたことが良くわかる。ディズニー/ピクサーは脚本を合議制のディベートで書く“ストーリートラストシステム”を採用しているが、この手法もまた集合知の賜物だろう。優秀かつ天才的なクリエイターが一人いたとしても、これだけの超大作を作り上げることは不可能なのだから。

※ 「ベイマックス」製作時の脚本会議の模様は、「魔法の映画はこうして生まれる/ジョン・ラセターとディズニー・アニメーション」と題されたドキュメンタリー番組で確認することができる。NHKでも放映されていた。


 個人的な見所は、存在自体がボツとなり日の目を浴びることのなかった敵キャラクター集団の“FUJITAS”のデザイン。“GEISYA”と“YAKUZA”を併せたような印象の彼女達、日本風に呼ぶならば「藤田組」だろうか…?
 リーダーと思わしき和装の金髪少女は鉄球を手にしており、さながら「キル・ビル」に登場しそうな雰囲気を醸し出している。非常に可愛らしいキャラクターデザインなだけに、ボツにされた勿体無さも感じてしまう。
 いや、メインヴィランである“YOKAI=仮面の男”を巡るドラマを深く描くためには、彼女たちの活躍はおろか登場させる尺さえ無かったのだろう。仮にボツにならなかったとしたら、結果的に映画の完成度は落ちてしまったのかもしれない。創作には“引き算”が大切だ、という重い教訓が見てとれる。


・未だに読めないページ達




 …ここまで書いたくせに恥ずかしいが、本書を俺は全て読んでいない──否、読むことができない。うっかり洋書版を買ってしまったため、英語力がゼロな俺には、写真やイラストに添えられた文字列がさっぱり理解できないのだ。

こちらが和書版。画像はAmazonより引用。


こちらが俺が所持する洋書版。
価格がドルにて表記されている。この裏面を見れば洋書であることが明確なのだが…。



 何故このようなポカを仕出かしたのか…?それは某アニメ専門古書店のショーケースに展示されていた本書を、中身を確認せず“安い!掘り出し物発見!”とテンションが上がって購入してしまったため。ショーケース越しに見える表紙のオモテ面だけでは洋書と気付かなかったのである。
 全く、親に「ガンダム」と「ガンガル」のプラモデルを間違えられた子どもの心情を味わった気分だ(そんな人間いるのだろうか?)。洋書も和書も“本物”には違いない上に自分でしでかしたミスなので、この例えは適切でないかもしれないが…。



 いつか和書版を買おうとも思っているが、この出来事がどうにも思い出深いため、現状の洋書版でも満足してしまっており中々食指が動かない。“読めない本”であっても、妙に愛着が湧いてしまったのだ。たとえ和書版を買い直す日が来ようとも、自分への戒めとして、洋書版もずっと大切に保存しておくつもりだ。


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