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漫画「ルックバック」の修正は必要だったのか?エンタメ規制と想像力

エンターテインメントが好きで、素敵な作品を見て想ったこと、見知った良い言葉を忘れないように、と、noteを始めた。ただ、筆不精なもので、相当突き動かされた作品に出会った時だけ、自分のその時の気持ちの記録用に書くつもりだった。

まさか、おかしいと思った問題に声をあげるため、自分が文字を起こす日が来るとは思わなかった。

一つは、「小林賢太郎氏のオリンピック開会式ショーディレクター解任」。そして、もう一つが、この「藤本タツキ氏の『ルックバック』修正」だ。

小林氏の件はこちら。問題点を、客観的に順立てて整理してみた。

「ホロコーストをジョークに用いるのはいけない」は正しい。
しかし、その正しさの陰で、
「24歳の小林賢太郎と48歳の小林賢太郎を同列に非難する」愚かさが横行した。人間の20年間の成長を鑑みない想像力の欠如である。

小林氏が、自ら過ちを正し、「人を傷つけない笑い」を20年以上も体現し続け、寄付や復興支援をしてきたことが、一切精査されなかった。

結果、開会式では、動くピクトグラムなどを発案した小林氏のアイデアがそのまま使われ、彼の名前だけが消された。日本の「キャンセル・カルチャー」に、世界が呆れ、ユダヤ人が小林氏を擁護した。

それに続いて、この『ルックバック』修正である。修正内容については、Twitterでbefore/afterが拡散されている。

京アニの犯人を彷彿とさせる「誇大妄想の通り魔」を
誰でもいいから殺したかったという「被害妄想の通り魔」に変更した。

修正理由を、少年ジャンプ+編集部は、「作品内に不適切な表現があるとの指摘を読者の方からいただきました。熟慮の結果、作中の描写が偏見や差別の助長につながることは避けたいと考え、一部修正しました」と、記した。

漫画『ルックバック』は、クリエイターの性(さが)を映し出した、生臭い青春漫画だ。正直、問題の箇所の修正は、主人公たちの本質を損なうものではない。主人公たちにとって、起こるべくして起きた因縁の事件ではなく、偶発の事故に近いものだったからだ。ゆえに、作者・藤本タツキ氏も、修正を受け入れたのだろう。

しかし、だからこそ、規制すべきではなかったのではないか。これが前例になれば、今後、エンタメの規制が容易くなってしまう。
この件によって、今後、「京アニの事件が二度と起きないように、と願い、あえて事件をテーマにした創作物を出そうとしても、世に出す前に規制がかかってしまう」可能性が生まれてしまった、と言えないだろうか。
今後のエンタメ全体を見た時、危うい前例を作ってしまったかもしれない。

近頃思うのは、「受け手の、フィクションをフィクションとして認識する想像力が低下」しつつあるのだろうか、ということだ。もしくは、「作り手が、受け手の想像力を信じられなくなっている」のか…。
どうか、この先、京アニの事件をテーマに立ち上がるクリエイターが現れた時、編集者には、一緒に戦う気骨を見せてほしい。

今回のことで、エンターテインメントは腐らない。そう信じたい。



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