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農あるくらしの理想と現実 #23

このエッセイは、2017年、約4か月にわたり韓国の有機農家さん3軒で農業体験取材を行い、現地から発信していたものです。2018年以降に書いた関連エッセイも含めて、少しずつnoteに転載しています(一部加筆、修正あり)。

2020/08/18

 韓国では一昨日、やっと梅雨が終わった。1973年からの観測史上、54日間にわたる歴代最長の梅雨だったそうだ。8月ももう半分を過ぎたというのに、今頃になって蝉たちが大慌てで鳴いている。この梅雨の間、私は毎日午後になると「16時には雨がやみますように」と願っていた。保育園に通っている2歳前の息子を歩いて迎えに行かねばならなかったからだ。

 最初の頃はベビーカーで行き来していたものの、長雨のせいで乾く暇がなくなったベビーカーは、あっという間にカビまみれになってしまった。それで仕方なく傘をさし、抱っこ紐やヒップシートの力を借りながら、12キロを超える息子を抱いて雨の中家に帰る、という形で毎日を乗り切ってきた。

 普通に歩けば5分ほどの距離なのに、息子を抱いて歩く雨の道のりは、なんとまあ長く遠いこと。梅雨の合間に青空が顔を出した日は跳びあがるほど嬉しい反面、今度は強い日差しに焼きつけられ、歩いて数秒で全身から汗がにじみ出た。

 動きたい盛りで抱かれるのを嫌がる息子は、地面に足をつけると待ってましたとばかりに走り出し、水たまりの中へ飛び込んでいく。パシャパシャと水しぶきをあげるその横で、息子の背丈よりすっかり大きくなった田んぼの稲たちが、音を立て風に揺れていた。

 懐かしいにおいが鼻をかすめる。不意に小学生の頃歩いた田んぼのあぜ道を思い出し、日本の夏が恋しくなった。最後に帰省してからもう1年だ。花火、かき氷、夏祭り、プール、海水浴…。子どもの頃、当たり前のように享受していた日本の夏をこの先息子に経験させてあげることはできるだろうか?

梅雨の終わりに、1日だけ動物に会いに行った

 韓国に移住して早3年。朝から息子のおむつ替え、離乳食と大人の食事作り、遊び相手、寝かしつけ、おもちゃの片付け、必要品の買い出し、掃除・洗濯など、息子が生まれてから一日たりとも休みなく続くこの日常の中では、ベランダに植えたサンチュやニラの存在をすっかり忘れてしまうことが多々あった。

 留学生の時とは全く違う “結婚移民者“ かつ “人の親” としての韓国生活に慣れるまで思いのほか時間がかかり、農あるくらしを楽しむどころか、「子どもを育てながら都会で農あるくらしなんて、自ら苦労をしょい込むようなものだわ」と感じることも多くなってしまったのである。それは例えば、こんな時に。

 月に1回ほど夫の実家を訪ねると、農業を営む義両親からタマネギ、ニンニク、トマト、キュウリ、ナス、唐辛子、豆など、季節の野菜を大量にいただいて帰ってくる。これはとてもありがたいことなのだが、近所におすそ分けをしても冷蔵庫に入りきらないので、傷む前にすぐさま調理し、食べるなり冷凍保存するなりしなければならなかった。

 トマトはカットし、煮詰めてトマトソースを作り冷凍。ニンニクは皮をすべてむき、ニンニク潰しで叩いてペースト状にして冷凍。大量にもらいすぎて保管場所に困った豆は、毎日お米と一緒に炊飯器で炊いたり、一気に茹でてスープにしたり。「ああ、これこそ夢見ていた暮らしだわ」とうっとりしたいところだが、実際は「誰か代わりにやってくれ〜!」と泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 なぜなら、私のそばにはいつも、一筋縄ではいかない息子の存在があったからだ。彼は私が台所に立っていると、あげてもあげても食べ物を欲しがって泣き叫ぶので、とにかく仕事がはかどらない。3か月前、息子を保育園に入れるまでは育児をしながら台所に立つことが毎日苦痛でならなかった。保育園に入れたところで夕食の準備中に泣き叫ぶのは同じことなので、料理は今でも苦行なのだが…。

義両親の農園で採れたヨルムを浴室で洗う、の図

 数か月前には、こんなこともあった。突然夫が実家からヨルム(若大根)と魚醤や塩を大量に持ち帰ってきたのだ。「ヨルムキムチを漬けてごらん」という、お義母さんからの突然のミッションだった。その時、週末2日間一人で子どもの面倒を見続け、疲れてぐったりしていた私は、日曜の18時に持ち込まれた大量のヨルム(しかも土付き!)を前に言葉を失った。

 翌日は朝から夫に文句たらたら。「キムチなんて一人で漬けたことないし!しかもこんな大量の土付きヨルム、うちのどこで洗うのよ〜!今日は少しでも身体を休めたかったのに、これじゃあ全然休めないじゃない。何で断ってくれなかったの?」と。そう言ったところで、全自動でキムチが完成するわけではなく…。結局、半べそをかきながら一人で渋々ヨルムキムチを漬けたのだった。

【追記】
このヨルムキムチ作りについてInstagramに投稿したところ、友人知人が笑っておもしろがってくれたので、疲れてすさんでいた心がかなり癒されました。当時書いた文章をこちらに転載します。

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2020年5月26日投稿
『初めての迷走キムチ作りとNiziproject マコちゃんのチーズインハンバーグ』

 週末、子どもをひとりで36時間見続けて、1歳半の活発男児とのステイホームに限界を感じたとき、夫が実家から大量の大根葉、粗塩、カタクチイワシの魚醤などを持ち帰ってきた。時は日曜の夜18時。「ヨルムキムチ(大根葉のキムチ)を漬けてみて」という義母からの突然のミッションに、しばし言葉を失う。とりあえず寝て、体力を回復。
 農園で見ればたいしたことのない量でも、小さなわが家で見ると結構な量。台所でチマチマ洗えないので、浴槽に入れたら、半分の高さまであるやないか〜!1つひとつきれいに洗って泥を落とし、塩漬けすること1時間。その間にヤンニョム(たれ)を作ろうとしたのだが、分量がさっぱりわからない。ニンニク、ショウガ、唐辛子粉、梅エキス、魚醤、砂糖、塩、水で溶いた小麦粉(これも超適当に作ってしまった)など、最低限必要そうな材料を混ぜ合わせてみたら雰囲気はオッケー、でも味は何かが足りない。
 洗って水切りした大根葉、タマネギ、ニラ、돌나물(ツルマンネングサ)とヤンニョムを混ぜ合わせたらヤンニョムが足りなくなって、慌てて追加で作る始末。でも、そこまでは想定内。想定外だったのは、なぜ今日それを着てしまったのか数時間前の私に問いたい、白地のシャツの残念な姿だった。真っ赤な点々があちこちに。
 …というわけで、人がやっているのを見て手伝うのと、自分がひとりで全部やるのは全く違うんだなと改めて実感。あまりに疲れて、もう絶対家ではキムチを漬けたくないと一瞬思ってしまったけど、味見したら、記念すべき初キムチがちょっと愛おしく思えたのだった。

 週末から3日間休みなしで働いた自分を癒すため、夜は精肉店で牛肉ミンチを買ってチーズインハンバーグを作ることにした。先日あるオーディション番組で、歌手デビューを目指している日本人の女の子が、同じチームになった仲間に手作りハンバーグをふるまっていて、それがとてもおいしそうだったからだ。
 その番組とは、敬愛する韓国の音楽プロデューサーで歌手のJ.Y.Parkと、日本のソニーミュージックが共同で開催しているオーディション「Niziproject 」。Hulu で全編、日テレの「スッキリ」「虹のかけ橋」でカット版、YouTube でも全世界に公開されている。
 ハンバーグを作っていたマコちゃんは、3年間JYPの練習生として韓国で努力を重ねてきた19歳。他にも、世界中で活躍できるアーティストを目指し、韓国で6か月間のレッスンを受け頑張っている10代の女の子たちがたくさん登場し、その姿に毎回胸が熱くなる。
 何よりJ.Y.Parkの人を見る目と、厳しくも愛のあるアドバイスの数々に驚かされ、学ぶことが多い。ただ売れるアーティストを目指すのではなく、「誰もが特別な存在」であり「何のために生きるのかを考えて欲しい」と常に問うJ.Y.Park。私が語るより、一度番組を見てもらえれば、きっと多くの人が彼の言葉に励まされたり、気づかされたりすることだろう。彼はただの餅ゴリラ(J.Y.Parkの愛称)ではない!
 と、Niziproject に思いを馳せながら焼きたてハンバーグを頬張っていたら、義母からキムチを漬けたのかと確認の電話が。「次来るとき少し持ってきてって、お義父さんが言ってるよ」って、これはもしやミョヌリ(嫁)としての試験か何かだったんですか?! 「もう家では漬けたくないです」 とは言えず、「味は期待しないでください」としょんぼり言うのがやっとだったミョヌリ3年目。
 キムチ作りもある意味芸術というか、積み重ねとセンスの融合だから、もうちょっと子育てに余裕が出てきたら何度も作ってみて、20年後くらいにはJ.Y.Parkが一口食べた瞬間「来てください」ってキューブをくれる(←Niziprojectの一場面)、そんなキムチが作れたらいいな!

なんとか完成したヨルムキムチ

 お義父さん、お義母さん、そしてお義父さんが丹精込めて育てたヨルムたちよ。文句ばっかり言って本当にごめんなさい。でもこれが農あるくらしを夢見ていたはずの、今の私の現実なのですよ。すっかり疲れきった私の今一番の願い事は、「毎日誰かにおいしいご飯を作ってもらいたい」ということなのですよ!

 世の中に「電子レンジでチンするだけ」とか「このタレを混ぜるだけ」という商品が溢れているその理由が、今ならすごくよくわかる。5年前に「農あるくらしがしたい」と思ってからは、そういうものを極力使わず、できるだけ手作りしようとしてきたけれど、子どもが生まれて思った。食事の支度がストレスになるくらいなら、出来合いのものをどんどん利用したらいいのだと。

 しかし、問題が1つあった。もしここが日本ならば、私は週に何度もスーパーでお惣菜を買ったり、レトルト食品や冷凍食品を活用したり、料理キットの宅配サービス等も利用していたと思う。

 でも、ここは韓国。当たり前だが日本のお惣菜が買えるスーパーは近くにも遠くにもない。心と身体が弱った時に食べたくなる日本の懐かしい味は、結局自分で作るか、日本食レストランや居酒屋を訪ねていくしかないのだが、「子連れで外食」というのは結構ハードルが高く、頻繁には無理だった。

 というわけで外食も、韓国のお惣菜やレトルト食品などをうまく利用することもできず、弱音を吐きながら、時に楽しみも見出しながら、今日まで料理を作り続けてきたのだった。

 ただ、息子のご飯に関しては、生後11か月になり食欲が増えだした頃から、週に3日、離乳食の出前を利用することにした。あるとき偶然、上の階に住む家族が離乳食の出前を利用していることを知り、同じ会社に配達をお願いしてみたのだ。材料はほぼ国産かつ有機農で、夜に作ったものを早朝に届けてくれる。これには本当に助けられた。

【追記】
 これを書いてから3年以上経った今は、息子も5歳になってだいぶ落ち着き、私も韓国での生活に慣れ、上手に手抜きできるようになった。例えば、日本食レストランや居酒屋を経営する人たちが仕入れ先として使っているマートで、コロッケなどの冷凍食品を購入したり、「うずらの卵の醤油煮」など息子も食べられる韓国のお惣菜をいくつかネットで購入して冷蔵庫に常備したり。忙しい時、疲れている時はレトルトカレーやインスタントラーメンにも頼ったり。自分が作る料理の味に飽き飽きした時は、週に何度か外食も楽しんでいる。

 移住後の韓国生活を振り返ってみると「半農半ライター」とは名ばかりなもので、行動範囲が極端に狭まり、自分のために使える時間も圧倒的に減ってしまった。“やりたかったこと”はいつしか、“面倒なこと”に変わり、自由な時間が少しでも生まれれば身体を休ませたかった。農あるくらしに憧れていた昔の自分が、知らない他人にすら見えてしまう瞬間もあった。

 その事実に軽いショックを受けていたこの夏、突然一通のメールが届いた。私と同じ時期に韓国へ移住し、同じ時期に1人目の子どもを産み、この夏2人目を出産したばかりという日本人女性の方からだった。そこには「minaさんの農業体験の文章を読み、韓国の地方に対する認識が全く変わりました」と書かれてあった。とても嬉しかった。私が自分のために積み重ねてきたことが、誰かにとって役立つ何かに変わったことを教えていただいた瞬間だった。

 さかのぼって今年3月にも、ある日突然一通のメールが届き、大いに励まされたことがあった。東南アジアで日本語教師として働く日本人女性で、学生時代から韓国語を独学し、韓国料理にも深い関心を持っているという方だった。偶然私の文章を目にしたという彼女は「韓国の生活を感じられること、おいしいものがおいしそうに書かれていること、異国での苦労や幸せ、などなど、とても好きになりました」と書いてくださっていた。「これは初めから読まないともったいない」と思い農業体験の記録だけでなく、私が留学中に始めたブログの記事まで全部さかのぼって読んでくださったという。

 こんな風に「半農の暮らしも書くことも、もう諦めたほうがいいのかな」と弱気になるたび、今まで書き残した文章を読んでくださった方から励まされることが続いたのは、とても不思議でありがたいことだった。連絡をくださったみなさんには心の底から感謝している。

 だからこうして今日もおむつを何度も換えながら、息子が機嫌よく遊んでいるのを横目で見ながら、時に袖を引っ張られながら。家族が寝静まった後に寝る間を惜しんででも、私は時間を作り出し、やる気を出し、今この瞬間の葛藤を書き残しておきたいと思ったのだ。

農園から届いた旬の小包み。第1回目は白菜、シレギ(乾燥させた大根葉)、ヨルムなど数種類の野菜が入っていた 

 最後に、今は夢見ていた農あるくらしとはほど遠い現実を生きているものの、今年4月からは週に1度、農家さんの畑から「제철꾸러미(旬の小包み)」が届くようになり、その時ばかりは心をときめかせている。

 旬の小包みの送り主は、3年前の農業体験取材でお世話になった農園「백화골 푸른밥상ー100flowers farm」だ。4月初めに申し込み、一括入金すると、5〜11月まで毎週1回採れたての有機野菜を届けてもらえる。マートではお目にかかれないペパーミントの花が届いた時には、お湯を注いでお茶を味わった。おいしい食べ方を記したお便り付きなので、初めてみる野菜も勇気を出して「食べてみよう」という気になる。これはすごく楽しい。そしておいしい!

 6月には、江原道の有機トマト農家さん「그래도팜(クレドファーム)」が丹精込めて作ったミニトマトも2度注文させてもらった。この農家さんは今年から新しくエアルームトマトも栽培し始めた。エアルームとは在来種や伝統野菜などと同義で、エアルームトマトは色も形も大きさも様々だ。今年は義両親からいただいたトマトがまだ消費しきれず、エアルームトマトまで注文できなかったが、来年こそは一度味わってみたい

 「農あるくらし」を夢見て半農半ライターと名乗り始めた私が、国際結婚を機に韓国へ移住し、妊娠・出産・子育てを通して、今どう暮らしているのか?もっともっと書きたいことは山ほどあるけれど、数時間後、お腹を空かせた息子に叩き起こされ一日が始まる予定なので、今日はこのへんで。

 メッセージをくださったみなさん、本当にありがとうございました。みなさんからの温かい言葉を胸に、この先にあるものを信じて、今自分にできることを地道にやっていこうと思います。未来にどこかで必ず会いましょうね!

義両親の家の庭に咲いていた蓮の花

▲エッセイ『韓国で農業体験 〜有機農家さんと暮らして〜』 順次公開中

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