「ことば」を書き残すということ
今から10年以上前、詩を書いていた時期があった。「書こう」と思って書くというより、言葉が降りてきたり、湧いてくる感覚に近くて、それをノートに書き留めたら、いくつか詩が生まれていたのだった。
でも、最初からそうだったわけじゃない。初めは確か「あいうえお作文」を書いて、言葉遊びを楽しんでいたのだ。すると不思議なもので、ただ道を歩いていても、一輪の花を見ても、言葉の方から私に近づいてくるような感覚が生まれるようになった。
私は次第に、その言葉を無視することができなくなり、ある一時期、たくさんの詩を書くことになったのだった。
久々に読み返すと、当時———20代後半、自然豊かなとある街で人生修行中だった頃の、自分の青くささや厳しいまなざし、背伸びする感じや孤独感などがありありと思い出され、恥ずかしくなる一方で、「今の私にこんな詩は書けないな」というものもたくさんあって、驚いた。
今日は不覚にも、自分が書いた一編の詩と再会し、涙がこぼれてしまった。泣いたのは久しぶりだった。それはまるで過去の私が、今日のこの日のために書いた詩のようでもあったからだ。
詩じゃなくても、日記でも散文でも、自分のために「ことば」を書き残すということ。それはいつの日か、未来の自分への素晴らしい贈り物になる。
私は今後、恥じらいを捨てて、過去の自分が書き残した詩をここに掲載していくつもりだ。新たな詩が生まれれば、それも書き留めていきたい。
誰かに見せるためではなく、自分のために書いた「ことば」が、私の手から離れて人の目に触れる時。読んでくれた人の心の中には、どんな思いが生まれるだろうか。
あなたの中に、何かもぞもぞとした心の声が生まれたら、ぜひそれを書き留めてみてほしい。未来のあなたが、きっとその「ことば」を待っているはずだから。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
過去からの手紙
過去から手紙が来ました
ほほえましく
ちょっぴり恥ずかしく
胸が痛く
想像したら泣けてきて
でも大丈夫だと
励ましてあげたい今があります
君は笑えていますか
あの頃のように
不器用だったけれど一生懸命だった
私たちを
今はただ
ぎゅっと抱きしめてあげたい
「過去からの手紙」2013.7.9
詩/Kim Mina
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?