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映画『アジアの天使』が導いてくれた出会い

 札幌で過ごした学生時代から、韓国に移住するまでの十数年。私の趣味は「映画館で映画を観ること」だった。ところが、韓国で妊娠・出産・育児を経験してきたこの4年。映画館にはたった3回しか足を運ぶことができなかった。

 最後に出かけたのは2年前だ。当時1歳になったばかりの息子を産後初めて夫に任せ、一人で韓国映画『82年生まれ、キム・ジヨン』を観に行った。

 物語の中盤、私の目から涙がこぼれ落ちそうになった時、遠くの方からすすり泣く声が聞こえてきた。薄明りの中、涙をぬぐう女性たちの姿が見えた。その日以来、この映画のタイトルを見ると思い出すのは、スクリーンの前で一緒に泣いた観客たちの後ろ姿だった。

 観た映画の内容は、時が経てばすぐに忘れてしまうたちなのに、一緒に観に行った人の横顔や、隣に座った人が食べていたお弁当の匂い。映画館から出た時に吐いた息の白さ…。そういう「映画以外の記憶」が私の中にはたくさん残っている。

 振り返ると、そんな思い出の断片が、私の人生を彩ってくれているような気がするのだ。だからやっぱり、映画は映画館で観る方が何倍も楽しい。観に行く前から、すでに物語は始まっているのだから。

 昨日、在宅の仕事が終わってすぐにカカオタクシーというアプリでタクシーを呼び、2年ぶりに映画館へと向かった。その前日、観たいと思っていた邦画が韓国で公開初日を迎えると知り、チケットを予約していたのだ。上映開始まであと30分。道が込んでいなければ15分ほどで到着する予定だった。

「そうですか、2年ぶりに…。公開初日に映画館まで行かれるとは、すごく観たい作品なんでしょうね。何という映画ですか?」

 タクシーの運転手さんにそう聞かれた時、私は韓国語の作品名をちゃんと覚えていなかったことを後悔した。もごもごと口ごもりながら、スマートフォンのどこかに保存されているはずの電子チケットを探したが、どうにも見つからない。

 このままスマホばかり見て何も答えなければ、運転手さんを無視した形になってしまう。焦った私は韓国語で「私、日本人なんですが…」と切り出し、「日韓の俳優が出演していて、日本人監督が撮影した映画が今日公開なんです」と告げた。

 運転手さんはぐっと背筋を伸ばして、ミラー越しにこちらを見やり「そうと聞かなければ日本の方だとわかりませんでしたよ」とほほ笑んだ。私はこの時、運転手さんとの会話が自然にフェードアウトしていくことを願っていた。なぜなら、相変わらず電子チケットの在りかを探すため、スマホを触るのに忙しかったし、運転手さんが日本のことを良く思っていない人だったら、日韓関係や政治について意見を求められるかもしれないし。

 やだやだ。もう余計な話はするまい。貝になりたい。ところが、車内に少しの沈黙が流れた後、運転手さんが突然こう言ったのだ。

「キキキリン」

「え?…ああ、樹木希林さんをご存じなんですか?女優の」

「はい。樹木希林が出演する映画は、ほとんんど観ましたよ」

 聞けば運転手さんは、樹木さんの言葉を集めた書籍を図書館で読んだことがきっかけで、彼女の出演作を全部観ようと思ったのだという。「樹木希林の考え方や生き方がとても素敵だと思いました」。運転手さんはハンドルを握り、まっすぐ前を見ながら話を続けた。

「彼女が出演し、カンヌ映画祭で賞を獲った『万引き家族』の監督…名前何でしたっけ?私、その監督の作品も好きでほとんど見ているんですよ」

 ああ、これはなんという展開…!私はうんうんと頷きながら、ここ何年も忘れてしまっていた、映画好きの血が騒ぎ出す感覚を思い出していた。もう貝になっている場合ではない。私は前のめりになって「是枝裕和監督です!」と答え、是枝監督は今年『ブローカー』という作品を韓国で撮影し、来年以降に公開予定であることを運転手さんに告げた。

 運転手さんは日本の小説もよく読んでいるそうで、「夏目漱石や芥川龍之介…それから、東野圭吾の作品は全部読みました。彼の作品はどれもおもしろいですが、特に『ナミヤ雑貨店の奇蹟』と、それ以前に出版された全作品が私は好きです」と教えてくれた。

「東野圭吾を読むようになったのは、息子のおかげなんです。息子が中学生の頃、机の上に『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を置いていて。彼がどんな本を読んでいるのかなと思い、私も読み始めました。同じ本を読めば一緒に話ができるでしょう?その本がすごくおもしろかったので、東野圭吾の作品を全部読むことにしたんですよ」

 子どもと同じ本を読もうだなんて、いいお父さんじゃないか…。私はすっかり、運転手さんのファンになっていた。これまで何十回と韓国でタクシーに乗ってきたけれど、こんな風に好きな映画や小説について語ってくれた人は初めてだった。

 ここ数年、観た映画や読んだ本について、誰かと直接語り合う機会を失っていた私は、運転手さんの話を聞いて水を得た魚になったような気分だった。だから調子に乗って、聞かれてもいないのに、今自分が韓国の作家チョン・セランが書いた小説『アンダー、サンダー、テンダー』を読み返していること。その小説に、今私たちが走っているこの街が描かれていること。数年前から日本では韓国文学ブームが続いていることなど、思いつくままに次々と話した。

 運転手さんはミラー越しに丁寧な相槌を打ちながら、前のめりな私の話を全部受け止めて聞いてくれた。「この街にはたくさんの作家さんが住んでいるんですよ」と言い、私が知らない作家の名前まで教えてくれた。

「日本と韓国は歴史的にはいろいろありましたが、文化的な交流が盛んなのは良いことですよね。私は、日本の映画や本をよく観たり読んだりしている方だと思います。日本の作品は多様性があって、私にはとってもおもしろく感じるんです」

 気がつけば、車はあっという間に映画館のある百貨店前に到着していた。映画を観に来たのに、このままずっと車の中で運転手さんと話していたい。そんな気さえしてしまうほど、タクシーから降りるのが名残惜しかった。

 別れ際、運転手さんはお薦めだという韓国作家の名前と好きな作品を教えてくれた。名前がちゃんと聞き取れなかったので、私のスマホで作家名を検索してもらった。

 私は「樹木希林さんが主演した『あん』という映画をご覧になりましたか?」と尋ねてみた。それは、樹木さんが亡くなる数年前に主演を務めた、私の大好きな作品だった。運転手さんは「ああ、実はこれだけ、まだ観てなかったんです」とおっしゃった。

 「この作品、ぜひ観てみてください。私はこれが樹木さんの代表作だと思っています」。私の言葉に笑顔で頷いた運転手さんは、さようならの代わりに「映画楽しんできてくださいね」と、送り出してくれた。

 タクシーを降りた後も、しばらく道端で電子チケットの在りかを探してスマホとにらめっこしていた私に、「アガッシ(お嬢さん)!映画館はこの百貨店の上にありますよ」と窓から叫んで教えてくれた運転手さん。私は映画館に着いてすぐ、カカオタクシーのアプリを開き、一度も書いたことがなかった運転手さんの評価欄に、こう記した。

「安全運転、配慮の心、親切心。韓国で何十回もタクシーに乗りましたが、一番良い運転手さんに出会えました。ありがとうございます」

 そんな出会いを経て、2年ぶりにたどり着いた映画館で、私は石井裕也監督の映画『アジアの天使』を鑑賞した。韓国語のタイトルは『당신은 믿지 않겠지만(あなたは信じないだろうけど)』。

 撮影はすべて韓国で行われ、オダギリジョー、池松壮亮、子役の男の子、“天使”以外は全員韓国人キャストだった。(下記のリンクを開くと予告編視聴可)

 映画の始まりはなんと、タクシーのシーンだった。空港からソウル市内へと向かう日本人親子を乗せたタクシーが、渋滞に巻き込まれている。映画館まで私を乗せてくれた運転手さんとは違い、映画の中の運転手さんは、行く手を阻む車に苛立ち、韓国語が通じない乗客に対しても、また苛立っていた。

 池松壮亮さんが演じる“妻を亡くした小説家”が、8歳になる息子を連れて、オダギリジョーさん演じる“ソウルに住む兄”を訪ねるシーンでは、韓国語がわからずとまどう親子の姿に、昔の自分が重なった。

 初めて韓国を旅した2006年。あの頃は、街中にあふれるハングルがイラストのように見え、韓国語を話すお店の人たちが怒っているように見えた。当時の私には、10数年後にタクシーの運転手さんと韓国語で映画や文学の話をする日が来るとは、想像もできなかっただろう。

 言葉で意思疎通ができないと、相手が何を考えているのかわからないので怖くなる。だけど、たったひと言でも通じると、それがきっかけで心の扉が開き、わかり合えたような気分になれることがある。映画の中ではオダギリジョー演ずる兄が、そのことを教えてくれる。韓国では「ビールください(맥주 주세요)」と「愛しています(사랑해요)」が話せたら大丈夫だ、と。

 何も重なり合うものがないと思っていた人との間に、小さな共通点を見つけた時。それもまた、通じ合えたような気になるものだ。タクシーの運転手さんと私が同じ本を読み、同じ映画を見ていたと知り、あっという間に打ち解けたように。

 この映画に登場する人たちもそうだった。彼らは大事なものを喪失していた。だけど、失った人にしかわからないこと。失った人だからこそわかることが、彼らの距離を縮めていった。

 登場人物の6人は、最初みんなバラバラに見えるのに、ソウルから韓国の東に位置する海沿いの街・江陵(カンヌン)まで共に移動するうちに、最後はひとつの家族に見えてくるほど不思議な変化を遂げる。韓国では血の結びつきがなくても、寝食を共にする人たちのことを「식구(シック/食口)」すなわち「家族」と呼ぶのだが、彼らの姿はまさに、その言葉がぴったりと当てはまるように思えた。

 何かの縁で同じ時を過ごすことになった人たちと、一緒に食事をし、ビールを飲み、知っている限りの言葉で会話する。同じものを見た、同じ経験をしてきた。そうやって何か共通点が生まれるたびに、「ただの通りすがりだった人」が「忘れられない人」に変わり、「他人」が広い意味での「家族」になっていく。

 それが天使の仕業なのかどうかはわからない。でも生きていると「自分の力ではない何かのはからいで、この人たちと出会ったのかもしれない」と、思う瞬間はないだろうか?

 客席には私ともう一人。前の方に白髪のご婦人が座っていた。たった2人だけの映画鑑賞。コロナ禍じゃなかったら、もう少したくさんの人と一緒に観られたかもしれない。物語の後半、江陵の砂浜に天使が登場した瞬間、私は吹き出しそうになってしまった。あのご婦人もそうだっただろうか。言葉を交わしてみたかった。

 いつの日か、映画館で観客同士が肩寄せ合って観られる日が戻ってきますように。そしてまた、いつかあのタクシーの運転手さんに出会えたら。今度はちゃんと、映画『アジアの天使』の韓国語タイトルと、心からの御礼を伝えたい。

 당신은 믿지 않겠지만(あなたは信じないだろうけど)、あなたの運転で2年ぶりに映画館を訪れたあの日は、私にとって一生忘れられない一日になりました。天使のように映画館まで導いてくださり、감사했습니다 (ありがとうございました)、と。

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