おばあちゃんの朝ごはん
国際結婚を機に海外へ移住して4年。その間、人の親となり、毎日家族のために料理をするようになった。だけど時に疲れたり、自分の味に飽きたりして、「誰かが作ってくれたご飯を食べたいなあ」と思うことがある。そんな時たびたび脳裏に浮かぶようになったのが、亡き祖母の朝ごはんだ。
こう書くと「まあ、料理上手のおばあちゃんがいらっしゃったのね」と思われるかもしれないが、祖母は自他共に認める料理下手で、いつも同じおかずばかり作って食べている人だった。しかも、私は祖母のことがあまり好きではなかった。
数年に一度祖母の家に泊まりに行くと、朝ごはんの献立は毎回見事に同じで、炊き立ての白ご飯に、ジャガイモとタマネギのお味噌汁。薄い卵焼きと、淡路産の味付け海苔。細長く切った水っぽいレタスの上にコーンとハムを乗せたサラダには、いつも胡麻ドレッシングがかかっていた。
祖母は食卓と台所を行ったり来たりしながら、これまた毎回「おばあちゃん料理下手やから、これしか作られへんねん。堪忍やで」とお決まりのように謝っていたけれど、今思えば私は、この朝ごはんをかなり気に入っていたのである。
歯のない祖父のために柔らかく炊いたご飯は、真っ白くツヤツヤでとても甘く、味付け海苔で巻いて食べるとどんどん食欲が湧いてきた。お味噌汁は雑味なくシンプルな味わいで、起き抜けの身体をゆっくりと目覚めさせてくれる。だし醤油で味付けした卵焼きはほど良い半熟加減で香ばしく、みずみずしいレタスは箸休めにぴったり。最後に熱い緑茶をすすったら、まるで温泉宿で一泊した後のような気分になったものだ。
「戦争のせいで私らの青春は真っ暗やったわ」
「おばあちゃん、あんたのひいばあちゃんが生きてる間は化粧もさせてもらわれへんかってんで」
5歳で母親を亡くし、大阪大空襲で家を焼け出され、戦争のために学業の機会を奪われ、結婚後は姑にひどくいびられたという祖母は、口を開けば何かと人生への不満や愚痴が多かった。そんな彼女のことを私はいつも残念に思っていたし、祖母から何かを教わりたいと思ったこともほとんどなかった。
でも、今なら素直に言える気がするのだ。
「おばあちゃんの朝ごはん、最高やったで。どうやったらあんなに美味しく作れるんか、ちゃんと教わっとけば良かったなあ」と。
(2021.6.21)