マガジンのカバー画像

#エッセイ 記事まとめ

1,141
noteに投稿されたエッセイをまとめていきます。
運営しているクリエイター

#ブログ

「先人から学ぶ」はもはや古い?

先日、なんとなくネットでアニメーターの現場ドキュメンタリーをみていた。その動画で取材を受けていた、現場の長である作画監督は60代のアニメーターだった。業界では結構有名な人らしい。 インタビューの中でさまざまな質問があったのだが、仕事のコツについての回答が印象的だった。現役でいられるコツは、という問いに対して、「若い人から技術を盗むことだ」という回答をしていた。 作画監督なので、他人の描いたアニメーションをチェックし、手直しすることがメインの仕事になるのだが、そのとき手直し

「真剣に」取り組んでいいですか?

プロゲーマーの梅原大吾が、ある日「格闘ゲームで勝てるようになったときのこと」を話していたことがある。ちょっと抽象的な話だったのだが、「『格闘ゲームでここまで真剣に取り組んでいいんだ』と気づいたから」というのだ。 最初に聞いたときは「?」だったのだけれど、最近、なんとなく言わんとすることがわかってきた。要は、「単なる遊び」だったら友達と楽しく対戦するだけだが、本格的に「研究」をしてもいいんだ、ということを言っているのだと思う。単なる「遊び」ではなく、格闘ゲームを「競技」として

なぜ「棍棒」が人気なのか?

ネットを巡回していると、たまたま「最近、こん棒が人気だ」という主旨の記事を発見した。 なかなかニュースとしては平和で面白く、都会生活に疲れた現代人はをこん棒を振りまわしたいという潜在的な欲求を持っている、という話はわかりやすい。なので、ひとつのほのぼのニュースかと思って読んでいた。 しかし、この記事を読んでしばらく経ってから思ったのは、こん棒というのは「わかりやすく人間の能力を向上させる道具」なのではないか、ということだ。人間が生み出した文明の叡智は、コンピューターやスマ

パンケーキと、愛。

わたしはこの大型連休中に絶対にパンケーキを焼くと心に決めていた。「絶対にパンケーキを焼くぞ」という意思を固めてから、連休に入った。4月30日の出勤中、わたしの頭の中はほとんどパンケーキで埋め尽くされていたといっても過言ではなかった。彼の家にメイプルシロップ(10年前にお土産でもらったもの)はあるとして、それとは別ではちみつも買った方がいいのだろうか。彼は嫌いだけれどわたしの好物であるホイップクリームは買うべきか、付け合わせのフルーツは何にしようか、など、わたしの中での「パンケ

そして、一人ではなんにもできない社会へ

ブログやnote、YouTubeなどで、「時間の有効活用」について語っている人は多い。「時間」が人間の持っているリソースのうち、増やすことができず誰しもが平等であることから最高に重要なものだとして、それを最大限に有効に活用するべきだ、と主張しているのだ。 最近読んだ記事では、「主婦がスーパーで10円安い牛乳を買うために遠いスーパーに行くのは本末転倒だ」ということを説いていた。安いスーパーに行くために移動をすると、10円以上のコストがかかるため、結局意味がないというのだ。

『明日、世界一周に行く』という人生

2020/9/24@八王子 『 人は幸福になるために生きているけど、幸福になるようにデザインされてない。』 って本で読んだ。 『 お金は鋳造された自由だ 』 とドストエフスキーは言った。 明日、世界一周に行くこの言葉が胸にあれば、生きていける。 人生の軸である。 歩くための背骨である。 " 明日、世界一周に行ける " 自分になるために、今日の自分がある。 自分になるために、今日の自分がある。 湯浅教の誕生である。 絶対的な教えがあれば、宗教は作れる。 教典は、『 幸

卵かけごはんと、書けない私

書けない…。 新型コロナウィルスの影響なのか、ほとんど仕事がなく、ヒマを持て余しているから、noteを書こうと思った。 だけど、書けない…。 思っていることをつれづれに書けばいいのだろうけれど、なんで書けないんだろう?? きっと、「うまく書こう」としているからじゃないだろうか。 以前なら、恋愛のこととか、飲み屋で聞いた話とか、仕事で思ったこととか、毎日のように書いていた。中には、結構どうでもいいこともある。 だけど、それすらも書けなくなった。 なぜなら、いまの私

音楽は誰のもの?

音楽を「聴く」ことが少なくなった。 いや、普通に生活していれば、音楽はそこかしこに溢れている。街を歩けば、コンビニでも流れているし、カフェや、ファーストフード店でも流れている。もちろん、家にいても、ずっと無音ということはない。 テレビでもなにかしらの音楽が流れているし(僕はテレビを見ないが)、YouTubeを開いても、なにかしらのBGMがある。僕はネットラジオをやっているけれど、その中でもいろんなBGMを鳴らしている。 自宅では、サブスクのシャッフル再生で、常にBGMが

料理が苦手だと主張する人は、なぜに料理が苦手なのかを深堀りした結果、レシピ解説に潜む落とし穴に気づいた。『デタラメだもの』

今日中に物語の発想を創出せねば締切に間に合わないやん、どうするのん、と思考をグルグルと巡らせていると、「そういえばなぜ、世の中には料理ができないと主張する人がいるのかしらん?」という疑問が芽生えてしまった。疑問が生じたからには、これを考え、煮詰めない手はない。 皆さん、インターネットというものをご存知だろうか。インターネットと呼ばれる世界にはたくさんの情報があるとされているが、言い換えてみればそれは、たくさんの先生が存在することを意味する。 試しに、「かぶと 折り方」と検

勇気を出してワンピースを買おうとしたら、「変態じゃん」と言われた話

「似合うと思います」 攻める水滴、跳ねる音。 洋服屋で、お世辞でも言われない。 なんでもいいから聴きたかった。揺れる、鮮鮮とした鼓膜。花束を抱えた、帰り道のよう。透き通った栞を見ていると、度々わたしたちは生きていた日を忘れてしまいそうになる。甘皮を丁寧に伝う、指先から注ぐ空模様を飲み干す——。毎日のように欲しいものへ手を伸ばす自分は、残酷なほど生きていると言えるだろう。 「今日も行くんですね」 ひとりで向かうと決めていた。 愛情のようなふくらみを持つ、ぬるい風に包

「いましかない」一時帰国のありがたさ。(1965文字)

 コロナ禍がいまだおさまることなく、上海に戻る目途も立たないままで、もうすぐ日本滞在も7か月目。 そんななか、初めて父と二人で飲みに行った。 居酒屋でのむこと自体、何年ぶりだろう。店内の消毒、換気、ソーシャルディスタンス対策は万全に取られているけれど、人が集い、気分よく酔い、笑顔で語らう。居酒屋という場所は以前と何も変わらない。  私はずっと父が苦手だった。 結婚して25歳で家をでるまで、実家でお世話になっていたけれど、話しやすい母と違い、しかめっ面で怒りっぽい父とはなかな

セクハラを会社で報告したら、つながった勇気のこと

「言わなければよかった」 "大丈夫"の境目がわからない。 つらく、苦しいことを体と心の中で馴染ませ、ごまかしている。いつまで経っても報連相がうまくできないわたしは、涙と手を繋ぎながら話している。誰かに寄り掛かってばかりだから、自分を"負担"と捉えてしまうのかもしれない。 頼ってもいいのかな。 頼ったら、迷惑なのかな。 聞きたくなかった言葉ほど、ぬるい風にのって律儀に届く。昔勤めていた会社で、わたしは疲弊していた。仕事に埋もれ、責任やプレッシャーにも押し潰されそうになっ

思い出される人たち

九州の大雨の被害を報道で見るたび胸が痛む。 特に熊本県は、仲良くしてくれていた友人の出身地でその地域名と現場の様子が映し出されると、友人の顔が浮かぶ。 「山に囲まれた絵に描いたような田舎だけど、食べ物は美味しいし歴史深くて、暖かい町」だと、お酒を飲みながら話してくれた日の情景が思い出される。 「今度帰省する時、一緒について行かせてよ〜」なんて言いながら、訪れることはなく、連絡も取らなくなった。 というよりも、私が一方的に断ち切ったという方が正しい。 大学3年時に、摂食

ゲイになったら、職場で自分が消えた

「おはようございます」 聞こえていないのかな。 不安になってもう一度挨拶を試みるが、やはり、届いていなそうである。というよりも、体を動かしても視界に入れてもらえていない、そんな気がする。 わたしは昔から声が小さい。 ガラス細工か、絹糸のようなものと自分に対しては言えない。ただ、「そうだったらいいのにな」と妄想をしたことは何度もある。天然を願い、涙が落ちたその場から、生まれ変わりたいと想う。 「男なら泣くな」「もっと男らしくしろ」と言われても、上手にはできなかった。む