やひろ

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雑駁な思考のテキスト。あなたはどう思いますか?コメントで教えてください。東京都在住、1987年生まれ、会社員。ご連絡・ご依頼等はkvoldyahiro@gmail.comまで(詳細はプロフィールページ参照)。アイコンは@_oko_me_さんより。

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  • エッセイ

    そのとき考えていることを書いてます。

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    2万〜5万字程度の短編小説をまとめています。

  • 【小説】「きみはオフィーリアになれない」

    謎の魚「オフィーリア」をめぐる、現代社会を生きる3人の群像劇。

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    週イチ更新(予定)の、だらだらしゃべるラジオです。

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はじめまして、"やひろ"です

*本記事は、プロフィール用の記事です。(2023年8月3日更新) はじめまして。やひろと申します。 はじめてこのページをご覧になった方は、どういう人間なのか全くわからないと思いますし、すでに知っている、という方にとっても、活動範囲が広くなってきましたので、ちょっと整理も兼ねてあらためて自己紹介をしたいと思います。 (依頼事項の連絡先は下部に記載しております) 簡単なプロフィール1987年生まれ、男性、三重県出身の日本人、既婚者(2020年末入籍)。幼少期に米国在住経験

    • 「カスハラ」を取り締まる社会は本当にいい社会ですか?

      カスハラについて書かれた記事を読んだ。 カスハラというのは「カスタマーハラスメント」の略らしい。なんでもかんでもハラスメントにする風潮はここ10年ほどの傾向だと思うのだが、いよいよなんでもありになってきたな、と。 要は過激なクレーマーみたいな人を取り締まることが目的だと思うのだけれど、そんなものもハラスメントに含める時代なのか、と。もちろん暴力とか誹謗中傷みたいなものは罰せられるべきだと思うのだけれど、ちょっとおかしな人からの言動もハラスメントに含めるとなると、それはそれ

      • noteでコメント、していますか?

        フォロワーさんの「もつにこみ」さんが、書いた記事にあまりコメントがつかない、と嘆いている内容の記事を読んだ。 自分はコメントがつかないことを気にしたことはないけれど、気にする人もいるらしい、と少し新鮮だった。コメントがつくのは嬉しいことではあるけれど、それでモチベーションが左右されることはない。 あまり一方的に発信してもな、ということでコメント欄は開放しているし、コメントを頂くこと自体は歓迎なのだけれど、どちらかというと議論を深めていく目的でやっている側面が大きい。 変

        • どうぶつの森は理想社会なのか?

          ゲーム「どうぶつの森」において、なぜ労働や拝金主義がほのぼのと成立することができるのか、と分析した記事を読んだ。 僕自身は「どうぶつの森」をプレイしたことがないのだけれど、どういう作品なのかはなんとなく知っている。どうぶつたちと一緒に暮らしながら、いろいろなアクティビティをするゲームだと認識している。決められた目的があるわけではなく、個々人の遊び方に委ねられている自由な遊び方ができるゲーム。 この記事を読むと、お金の概念も存在しているようで、完全に現実とは異質のファンタジ

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        記事

          家を契約しました

          一年半ほど家を探していたのだけれど、やっと契約にこぎつけた。何回かこれまでの記事で書いたことはあるけれど、やっとか、という感じ。情報収集などの動き出しは昨年の年明けごろで、引っ越しは9月を予定しているので、トータルの活動期間は2年弱といったところか。 購入したのは新築ではなく、都内の中古物件である。東京での中古物件の購入というのは契約書に捺印するその瞬間まで、ほかの人に取られたりすることと隣り合わせなのだということがわかった。なので、全く安心はできなかったのだけれど、やっと

          家を契約しました

          なぜ「合理的で無駄のない人生はつまらない」と感じるのか?

          「合理的で無駄のない人生ほどつまらないものはない」という主旨の記事を読んだ。 その説明だとタイトルだけの情報しかないので何か補足しようかと思ったが、タイトルで言いたいことのほぼすべてが表現されていてすごいな、と思った。 まさに読んで字のごとくだが、合理的で無駄のない人生はつまらないと考えている人が書かれた記事で、「非合理的」で「無駄」だが「面白い」ことをしたい、と考えているらしい。 要は、日常がつまらないので刺激を求めている、ということのようだ。 * この記事の著者

          なぜ「合理的で無駄のない人生はつまらない」と感じるのか?

          セルフレジ、使ってますか?

          セルフレジの導入によって客数が減っている小売店がある、という主旨の記事を読んだ。 欧米ではセルフレジは客離れが起きるとして、撤退の動きも出ているらしい。記事のデータを見ると、セルフレジを導入した店舗では2%の客離れが起きているのだとか。 一番客離れが起きた店舗は5%減などらしいのだが、この数値だとどれぐらい異常なことなのか、業界の標準がわからないのでなんとも判断しようがないのだけれど(2%ぐらいなら誤差の範囲のような気もするが)データではそういうことになっているらしい。

          セルフレジ、使ってますか?

          「勝ち」にこだわると勝てないが、「勝ち」に執着しないと勝てない

          以前、将棋を通じて、「自分の気持ちを立て直す」ことをテーマに記事を書いた。 将棋を指すうえでは、自分が「負けた」ときに過度に落ち込んだり興奮したりすることなく、自分で気持ちを立て直すことが必要である。勝っているときは勝っているときで今度は「負けること」が怖くなってしまうものだが、それもなんとか経験を積んで克服していきたい、という内容だった。 ちょっと「勝ち」と「負け」にフォーカスした内容だったため、やや自分の普段の執筆傾向からは外れた内容だったかもしれない。 自分として

          「勝ち」にこだわると勝てないが、「勝ち」に執着しないと勝てない

          思考は「逆流」して精巧なものになる?

          このnoteでも何回か書いていることではあるけれど、文章を書くうえで一番大事なのは「推敲」だと思う。自分も一発でいい文章が書けることなどなく、とりあえず書いてしまってからあとで直す、というのが基本スタンスである。そもそも、一発でいい文章を書くことを目標にもしていない。 「まずとりあえず書いてしまう」というのが何より大事で、文章の体裁なんてすべて後回し。文章の体裁を整えることと思考を行うことは並行してはなかなかできないので、最初の「書く」段階では、何はともあれとりあえず出して

          思考は「逆流」して精巧なものになる?

          無意味なアウトプットも重要

          若いときの無意味なインプットが重要、という内容の記事を読んだ。 長期間、アウトプットし続けられる人は意外と少ない。ブログなどでも、結構頻繁に更新していた人が、あるときパタリと更新をやめてしまい、そのまま音信不通になってしまうことはよくある。 クリエイティブ系の職種の人でも、キャリアを重ねるごとにだんだんマンネリ化してしまい、アウトプットの精彩を欠くこともあるだろう。 そのようにアウトプットが切れてしまう人がいる一方で、ずっとハイレベルなアウトプットし続けられる人もいる。

          無意味なアウトプットも重要

          「ラジオ」に可能性はありますか?

          実業家のホリエモンがラジオ局を買収し、ラジオ局経営をしているという記事を読んだ。 これについて、自分は知らなかったのだけれど、わりと有名な話なのだろうか。ホリエモンはいろんな事業をやっているので、ラジオ局の経営をしたからといって別に驚きはないのだけれど、ロケット事業はかなりお金がかかるはずで、基本的に手持ちの資金はそちらに割いていると思っていた。 なので、(ホリエモン自身の資金かどうかはわからないが)どこかの会社を買収するという動きは少し驚いた。自由になるお金はそれほどな

          「ラジオ」に可能性はありますか?

          大人になってからはじまる趣味はありますか?

          趣味には子どもの頃からやっている趣味もあれば、大人になってからはじめる趣味もある。いまこれを読んでいる人が大人だとして、いまの趣味は子どもの頃からやっている趣味だろうか。あるいは、大人になってからやりはじめたものだろうか。 たとえば、大人になってから絵を描き始める、というのはちょっと不思議な感じがする。絵は子どもの頃から描くものだし(なんなら、子どものときのほうがやたらと描かされる)、子どものほうが描くきっかけが多いものだからだ。仮に大人になってから描き始めたとしたら、その

          大人になってからはじまる趣味はありますか?

          現代社会は、消費者に「タスクを押し付ける」ものが多すぎる

          いつものようにnoteを巡回し、あやめしさんの書いた以下のnoteを読んだ。 テレビ番組を録画しているらしいのだが、録画したものが溜まってしまい、かなり容量を圧迫してしまったのだとか。それで、もう絶対にすべてを見切ることはないと割り切り、思い切って録画したものを消してしまった、という話。 それで、「もったいない」といった感情よりも、「タスクを消化した」という気分になった、とのこと。これはかなり面白い感覚だな、と思った。もともとは自分が見たくて録画したはずなのに、それを全く

          現代社会は、消費者に「タスクを押し付ける」ものが多すぎる

          自分で気持ちを立てなおす訓練

          仕事が忙しかったので、しばらくあんまり将棋を指していなかった。しかし、指さないと一向に強くならないので、気は進まないけど指すか、ということでオンライン対局をやってみたのだが、立て続けに4局ぐらい負けた。当たり前の話かもしれないが、なんかへこんだ。 将棋を指すことでよくわかるのは、「負けるとへこむ」ということである。将棋は運の要素が全くないゲームで、しかも頭脳戦なので、負けると相手から「お前はアホか」と言われているような気分になる。普通のゲームよりも負けたときの屈辱感が大きい

          自分で気持ちを立てなおす訓練

          AI時代も、やはり「頭のいい人ほど有利」な世の中なのか?

          いまにはじまったことではないのだけれど、生成AIの精度があまりにも高くなったことによって、それを脅威に感じる人も増えた。そういったことはいつの世の中でもあることだと思うのだけれど、さすがにChatGPTレベルの生成AIがこのタイミングで出てくることは誰も予想できなかったんじゃないだろうか。 それまで、チャットボットというと、せいぜいSIriぐらいのレベルのものを思い浮かべる人が大半だったはず。最近の生成AIは急にレベルアップしてしまったので「もう人間、不要じゃん」というよう

          AI時代も、やはり「頭のいい人ほど有利」な世の中なのか?

          経済活動って、単なる「お金の移動」にすぎないのか?

          先日、noteを巡回していたら、フォローしている「りなる」さんが面白い視点の記事をアップしていた。お金と経済についての概念的な話だ。 なんとも壮大な話だし、答えをもっているわけでもないのだけれど、少しこれについて考えてみたい。 * まず、超素朴な話。たとえば、近所のパン屋で130円のパンを買うことを例に出している。このとき、パン屋は130円でパンを売り、こちらは130円でパンを買うわけだから、こちらにとっては130円のマイナスだけれど、パン屋にとっては130円のプラス

          経済活動って、単なる「お金の移動」にすぎないのか?