のぐみ

22歳 大学生です。いつか誰かにとっての居心地の良い居場所を作りたいと思っているのです…

のぐみ

22歳 大学生です。いつか誰かにとっての居心地の良い居場所を作りたいと思っているのですが、そんな自分自身が未だに本当の居場所を模索中です。

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  • 生きる糧

    私が壁にぶち当たった時、見返したくなるような言葉たちが詰まったnoteたちです。綺麗事じゃなく、著者の等身大の言葉から感じられる熱に支えられてます。

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思い出される人たち

九州の大雨の被害を報道で見るたび胸が痛む。 特に熊本県は、仲良くしてくれていた友人の出身地でその地域名と現場の様子が映し出されると、友人の顔が浮かぶ。 「山に囲まれた絵に描いたような田舎だけど、食べ物は美味しいし歴史深くて、暖かい町」だと、お酒を飲みながら話してくれた日の情景が思い出される。 「今度帰省する時、一緒について行かせてよ〜」なんて言いながら、訪れることはなく、連絡も取らなくなった。 というよりも、私が一方的に断ち切ったという方が正しい。 大学3年時に、摂食

    • 自死について考える

      著名人の訃報に心を痛める人が多いだろう。 私もその1人だ。 身内でもない、繋がりのない赤の他人であるのにこんなにも心を動かされるのは、その人の活躍ぶりを見て知っているからだろう。人ごととは思えないのだ。 「なぜ?」 これがその一報を聞いた人々の第一声であろう。 華やかな業界、たくさんのファン、溢れる才能、輝かしい経歴… それらからは、「死」という文字を連想できない。 しかし、それはその人の一部にすぎず、側面でしかないのだ。 私たちは、著名人をメディアで報じられる部

      • 日課を紐解く。 #noteフェス 1日目

        #noteフェス 1日目。 坂口恭平さんと有賀薫さんの組み合わせ。 テーマは『暮らしをクリエイトする』。 お二人のTwitterでの発信を見ていると、個人的に、このテーマには頷ける。  私は、お二人の共通点として “暮らしを暮らしづけるもの”=「日課」 があることだと思っている。 坂口さんは、「いのっちの電話」、パステル画、畑作業、執筆…が、その発信から読み取れる。有賀さんは、スープ作り、レシピ作り、など、食事と毎日向き合っていらっしゃることが伝わる。 「日課

        • 私は私で生きていきたい

          見た目で判断するのも判断されるのも心底嫌いである。 ブサイク、かわいい、太ってる、痩せてる。そんな外側の評価が大嫌いだ。 そんなことより、内側の心の優しさだったり、唯一無二の才能だったり、何かに詳しかったり、いきいきと生きていることを感じられる人の方が好きだ。 だけど、無意識のうちに「あの人は可愛いから」「あの人は美人だから」「スタイルがいいから」自分と他人の差の起点を外見のせいにする。 自分が自分らしく生きられないのは、自分が好きなように生きられないのは、劣った見た

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          27本

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          大人の居場所

          これは、地元新聞の記事である。 「酒飲み」が多いと言われている我が故郷だが、それを表すように"スナック数が全国5位"らしい。 スナックは、私の憧れの場所だった。両親は、知人にスナック経営者が多かったせいもあってか、休日には二人でよくお酒とおしゃべりを楽しみに行っていた。当時、未成年だった私は行くことはできなかったが、二人のお土産話を聞くのが好きだった。 「久々に同級生と会った!」「カラオケで昔流行った歌歌ったよ〜!」「たまたま居合わせた人と友達になった!」「あそこのあれ

          大人の居場所

          頂くということ

          小さい頃、お年玉をもらうことが苦手だった。お年玉をもらって嬉しくないわけではない。「頂く」過程が苦手だった。 新年の親戚の集まりで、久しぶりに会う縁のある幼い私に「お父さんお母さんには内緒よ」と言って、おじさん、おばさんがお小遣いを握らせてくれる。いいですいいですと、申し訳なさから拒否するも結局頂くことになる。 「内緒よ」と言われても、そういうわけにはいかない。両親にもらったことを報告すると「貰うべきじゃない!謝りに行きなさい!」と言われ、もう一度親と謝罪とお礼をしに行く

          頂くということ

          絶望から希望への兆し

          その日、私はまたドン底を味わっていた。 「私はやっぱり無価値なんだ」と、 「今回、採用を見送らせていただくことになりました。」と記されたメールを見て絶望していた。 今回は いささかの自信があったため、悔しいというより、受け入れられなかった悲しさがあった。 就活状況をゼミの先生に報告しなければならないので、何度目かの情けないメールを送った。何回も同じような暗い内容を送ることに申し訳なさを感じていた。 私は、先生のことをとても慕っている。先生とお話すると、モチベーションが

          絶望から希望への兆し

          20歳で赤ちゃん戻りした8月のあの日

          8月は、私が20歳の2年前に 摂食障害で初めて入院を経験した月だ。私にとってこの入院は、人生が振り出しに戻ったと同等の経験だった。 低体重と筋力低下によって、動かなくなった足腰。一日中ベッド上、車椅子生活。ハタチにしてオムツ。寝返りがうてないので、1人で寝ることもできない。まるで「赤ちゃん」に戻ったようだった。 物理的(身体的)な逆戻りもあったが、社会的にも同じことが言えた。看護師さんは、私に「赤ちゃん言葉」で接してくる。優しい声…というよりは、猫撫で声で、様子を伺ってく

          20歳で赤ちゃん戻りした8月のあの日

          本当の母を知った日

          私の母は、自分の過去を深くは話さない人。 私が母の過去について知っているのは、彼女は生まれてすぐに母親を亡くしており、父親に育てられたということ。貧しかったということは、よく言っている。20歳頃に1度目の結婚をし、男の子を1人産むが、数年後に離婚し、母1人で育て上げた。その子は既に成人しており、私は、再婚した私の父との間に生まれた2人目の子。 大まかにこれらのことは知っていた。 母の私への思い母は、私が小さい頃から しきりに、「私みたいな人生を歩んでほしくないから」「私

          本当の母を知った日

          外出自粛期間と引きこもり

           ※これは、私が緊急事態宣言解除直後の5月下旬に書き留めていた記事です。 外出自粛要請が解除された。この自粛期間を「非日常」と感じたか「日常」と感じたかによって、自粛以前の日々をどう過ごしたのかがわかると思う。  私は、情けないことに後者である。外出自粛期間も日常も変わらない。いわゆる「引きこもり」と言われるような日々を送ってきた。  「コロナ鬱」という言葉は、自粛期間を「非日常」と捉える人に当てはまる言葉だろう。社会と交わる機会が少なくなり、ストレスから塞ぎ込む。それ

          外出自粛期間と引きこもり

          7月感はどこにある?

          今年はなんだか、「7月感」が無い。 6月の延長という感じがする。それはなぜだろう。 言うまでもなく、コロナ禍の影響で季節の移りを感じ難くなっていることは一因である。また、大きく、多かった大雨の被害によって、梅雨を体感として引きずっているのもある。 しかし、私の中でもっと影響が強いのは、この時期になると毎年、色濃くなってくる「地元のお祭りの香り」である。 街は年に一度のその祭りに向け、煌めいていく。 テレビには、祭りで踊る踊りの練習風景が映し出される。チームに分かれて踊

          7月感はどこにある?

          当たり前じゃんこそ深い視点

          私は「それ当たり前じゃん」ということにハッとさせられる機会が多い。 重〜く、深〜く考えていたことを相談すると、ヒョイっと端的な答えや疑問が返ってきて、拍子抜けすることがある。 しかし、それは、解決に近くなることもあるが根本から考え直さなくてはならなくなるときもある。 例えば、私が高校3年生の時にあった、大学推薦入試の面接対策時のエピソード。 私はその大学を「地域活性化」について学びたくて志望した。 どのように活性化したいか…活性化するためにどの先生のどの講義でどんな

          当たり前じゃんこそ深い視点

          雑記

          私はなんのために生きているのだろうと思う。カッコよく生きたかった、人から羨ましがられる、憧れられる人間になりたかった。 秀でたものが欲しかった。誰かに認められたかった。誰かって誰?誰でもいい。実感がほしかった。 褒められたこともあった。嬉しいけど、きっと他の人にも言ってるんだろうな、私が褒めて欲しそうな顔したから優しさだろうなと思ってきた。 どんどん素直さがなくなってきた。素直じゃないくせに素直なふりをして、サッパリした性格じゃないのにサバザバしてるフリして生きてきた。

          ロザンの楽屋を覗いてます

          私はよく、芸人ロザンのお二人のYoutubeチャンネル「ロザンの楽屋」を見ています。 毎回テーマごとにお二人が、楽屋でトークをしてくださるのですが、今回は「自粛」について! ロザンのお二人の「自粛」への見解下記は、私なりのメモです。 ・宇治原さん 自粛とは何か? 芸能人が テレビに出ている、舞台に出ている場合、番組や劇場と契約している。そのとき、番組側、劇場側が降板させるべきでは?自分から降板する=自らの罰を自らで決めるのはどうなのか? 例えば…国会議員が不正行為する→

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          私的排外主義と物語

          感化されたことを自分のことに全て置き換えてしまうことは、今の私の悪い癖なのかもしれない。 群れたい、受け入れられたい、自分を説明できる物語が欲しい、が先にある。人は自由意志を信じたいから、自分の意思でこの思想を選んでいるということに固執するので、その奥にある乾いた欲求があったとしても認めることが難しい。もしかして”好き”で集まる集団でもよかったのかもしれない。 これは、為末大さんのnoteから引用したもの。 noteのタイトルは『排外主義と物語』。 群れたい、受け

          私的排外主義と物語

          鬱とスキンケア

          お久しぶりです。 鬱のノリちゃん、略して鬱ノリです。お前鬱なのか?ノッてんのか?どっちなんだよ!という怒号が聞こえてきそうですが躁鬱です。あながち名前も間違ってないですね。 以前の記事から更新するといいながら、だいぶ時が経っていることからわかるようにだいぶ鬱期間が長くなってしまい今日に至ります。 それでも徐々に回復してきたので記事を書こうと思います。 今日のテーマはタイトルからも分かるように「鬱とスキンケア」です。ァ?喧嘩売ってんのか?心身の状態が悪いのときにスキンケア

          鬱とスキンケア