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【長編小説】漂白剤社会 | 第一話・悪夢

あらすじ

 奈恵(なえ)は、タレントの傍ら社会活動も行っており、人望が厚かった。次々雑誌や新聞を飾り、次世代のスターとなる。

 ある日、奈恵が詐欺事件で逮捕されたというニュースが報道され、世間は大騒ぎとなる。女性刑事の志津里(しずり)は、奈恵の事件を担当することになったが、志津里と奈恵には ”大きな共通点” があった。

 奈恵は何故、詐欺事件に手を染めたのか。
そして、志津里が伝える「私はあなたを助けに来た」その意味とは何か。
ブラックを排除した、ホワイトな社会こそ正義である。
ひとつの”シミ”さえ許さない。

 漂白剤に浸した社会が目指す日本の先には、一体何が残るのだろうか。


 わたしは気付いたら、ある駅の踏切にいた。
ボンヤリと前を見つめると、微かに横目で『小田急線』と書かれた木札が見えた。

右手には、犬と命を繋ぐ赤いリードが握られている。

犬は、これからどこに行くんだろう?不安な気持ちが溢れるような瞳で、まっすぐに、わたしを見つめていた。

リン、リン、リン… 段々と電車が近づいてくる。
電車の吐息が突風となって、前髪をかすった。

今だ! こぶしを握り、ぐっと右手に力を込めた、その瞬間、



「おい、起きろ、行くぞ」
同僚が取り調べに必要な書類の束をドサッと机に置いて、わたしは目が覚めた。

そうか、夢か。
汗はじっとりと首元にまとわりついている。




 ジリジリジリジリジリ…

 チャイムが鳴った。
それは留置所の起床を鳴らせる音だった。

「起きる時間です」

私は汗をかいたまま、留置担当官の声で目が覚めた。

崖の淵に立ったような絶望感。
私は、本当に最低なことをしてしまった。なんてことをしてしまったのか。

罪悪感と自分が許せない気持ちで、しばらく布団から起き上がれなかった。

「早く布団を片付けなさい」
留置担当官が、強く言った。

セミが鳴いている。でも、見得るのは音だけ。
太陽の光さえ、ここには届かない。


 私は、東京から遠く離れた地方の留置所にいた。二年前に犯した詐欺罪で逮捕されたのだ。

「八番、弁当です」
朝食の弁当が、小さな窓から渡される。
八番という番号は、私の『新しい名前』だった。

私は思い出していた。 
絶望と共に、様々な記憶が蘇る。

貧困生活や、闘病。そして、私自身がしてしまったこと。被害者の気持ち。

様々な想いでぐちゃぐちゃになりながら、朝食のご飯を一気にかきこんだ。泣いていたからか、弁当は、まったく味がしなかった。

「弁護士さん、どうする?」
留置担当官が、弁当を食べ終わった頃合いを見計らって、声をかけてきた。

私は、知り合いの弁護士を頼みたかった。

 一度だけ、当直の弁護士さんが来てくれたことがあったので、その人に、私選弁護士と国選弁護士、どちらの方が良いのかと聞いた。
国選弁護人では当たり外れがあるから私選の方が良い、と聞いたことがあるからだ。

でも、私に、私選弁護人を依頼するお金なんてなかった。

 仕方なく、小さな声で答えた。
 「国選弁護人でお願いします」



 留置所でやることはとても少ない。
朝、昼、夕方のご飯。そして週一回、約十分間のお風呂。それ以外は外に出られず、もちろん太陽を浴びることなんて出来ない。
一日のほぼ全てを、留置所の部屋にいるだけだ。
横に並んだ状態で部屋はあったが、一人ずつだったので他の人達の様子は分からなかった。
 私はその日、精神疾患の薬をもう数日も飲んでいなかったので、体調が悪かった。

「すみません」
か細い声で、近くにいた女性の留置担当官に声をかけた。

「どうしましたか?」

「まだ、お薬もらえませんか…..?」

「病院の診察の予約が取れていないの」

 私が毎日欠かさず飲まなければいけない精神疾患のお薬は、本当に必要なのかどうか、病院の診察が必要とのことだった。診察で必要と診断されれば、処方される。

「でも、もう体が限界なんです….どうか早めに受診させてください」

懇願すると、女性の留置担当官は「もう少し待って」と言い、時計をチラチラとみる。その日の午後は裁判所に出頭し、留置の正式な決定を聞く予定だった。

「もう行くけど、大丈夫?」
留置担当官は、私の顔色から少し心配した様子だった。


 奈恵は、うつ病とPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っている。

様々な原因があるのだが、その中でも一番大きいのは、元夫から受けた暴力だった。

 奈恵は、DV (ドメスティック・バイオレンス)に関する社会の在り方を変えたいと、タレント仕事の他にも、様々な社会活動をしてきた。

ニュースを見聞きして、DVや虐待の被害者の痛ましい気持ちを考えると、いつも胸が苦しくなった。


 私は被害者でありながらも、加害者になってしまった。
被害を受ける痛みは、分かっているはずではなかったか。
傷付けられた痛みは、自分が、一番分かっているはずではなかったか。
きっと私が犯してしまった犯罪の被害者も同じ思いを抱えているはずだ。

 更生とは何だろう。贖罪とは何だろう。被害者への償いを黙々と考える。留置所での生活は、ひたすら自分と向き合い、内省した。
それでも、被害者の心を傷付けた事実は消えない。

 自分の犯した罪の大きさと被害者の人を考えると、奈恵は、今こうして息をして生きているのさえ苦しかった。

 

 「八番、解錠!」
 今度は、男性の留置担当官が部屋の鍵を開けた。

その瞬間、胸の強い動悸と一緒に、手足が急に震え始めた。
運動した後のような心臓の鼓動。
私の顔は真っ青だった。

 顔に流れる汗が一気に噴き出したようになり、私は発作を起こした。
その、あまりの苦痛から私は倒れ込み、手足をバタバタさせながら、頭を床に打ち付けた。

「大丈夫ですか!しっかり!」
女性の留置担当官が、強く私の顔を両手で支えた。

男性の留置担当官が何か大きな声で叫んでいたが、何を言っていたのかは分からない。

 すぐに奥からバタバタと数人の留置官がやってきた。そして上司と思われる男性が大きな声で、その場にいた人を叱咤したのだけ覚えている。

「持病の薬は飲ませたのか!」

「飲んでいません!」

「どのくらい飲んでいないんだ!」

「わかりません!」

「なぜ、早く病院に連れて行かないのか!」

怒声が飛び交った。

 女性の留置担当官は、私の顔を支えながら体をさすり、不安を取り除こうとした。

「大丈夫、大丈夫、すぐに病院いけるから」

私は、身体が落ち着くまで数時間かかり、その日の予定は変更となった。



 あれからどのくらいの時間が経っただろうか。暗い留置所の部屋にそっと蛍光灯が付いた。

シーツのような薄い布団に包まり、横になっている私は、片目だけ閉じながら、初めて上京した時のことを思い出していた。

そもそも何故、奈恵は、芸能業という道を選んだのか。

それは中学校の話に遡る。


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