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【長編小説】漂白剤社会 | 第三話・逮捕

 第二話 | このお話のマガジンはこちら | 第四話・十六歳

 「宮本、そろそろだ」
大きな体格をした男性刑事は、腕時計を見た。

「はい」
女性刑事の宮本 志津里は、息を飲んだ。

 東京都内だというのに、周りはとても静かだ。上を見上げると雲ひとつなく、晴天だった。

 『この日』のために、志津里たちは遠い地方から東京までやってきた。新幹線を使い、遠く、遠く離れた県からここまで来た。『この日』を迎えるまで、捜査には二年と言う月日が経過していた。

 志津里が乗っているワンボックスカーの横と後ろには、他にも刑事が数人いた。志津里以外、全員、男性刑事だ。ずっと待機していたので、外の気温は分からなかったが、車内はサウナのような熱気で暑かった。

 
 「よし、行くぞ」
 早朝、5時頃。大柄な男性刑事の合図で、車内のドアが開いた。

 一気に外の風が車内に入り込み、ポニーテールをしていた志津里の髪先がなびく。車内の熱気は、外へ逃げるように消えてなくなり、同時に少しひんやりとした空気が車内に流れ込む。その冷たい空気で、志津里はスーツの襟を正した。

 志津里と男性刑事は合わせて、六名。一気にマンションのエントランスに駆け込み、オートロックを開錠していく。朝早いからだろう、他の住人に会うことはなく、廊下はひっそりと静まり返っていた。
 小さなエレベーターに全員は乗れなかったので、先に、志津里を含めた三人が乗った。七階のボタンを押す。

「初めてだよな、緊張してるか?」
隣にいる同じ背丈の男性刑事が小さな声で言った。

「いえ、大丈夫です」
志津里は頷いたが、額と鼻先に汗をかいているのは自分でも分かっていた。

わたしは気持ちを強く持とうと、拳を握った。



 二回目のエレベーターが七階に到着した。
「よし全員、揃ってるな」
大柄な男性刑事は人数を確認した後、七〇一号室のドアを思いっきり叩いた。

バンバンバンバン!
ドアを叩く音。

ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン
激しく鳴るインターホン。

同時に大柄な男性刑事は、その体格に見合ったような大きな声で叫んだ。「ここ、開けて!」

 わたしは、そっと壁に耳を当てた。
生活音が聞こえる。どうやら彼女は、音に驚いて飛び起きたようだ。

犬が激しく吠える。まるで何かを察しているかのようだ。
同じ犬を飼っている者として、室内で、犬が怯えるように吠えている悲痛な鳴き声を聞くと、少しだけ胸が痛んだ。

 ほどなくして、彼女はチェーンをかけたまま玄関のドアを開けた。
玄関先には、わたしを含め、皆、スーツを着ている。その様子に驚いたのか、怯えるような声で彼女は言った。

「どなたですか?」

わたしと同じ背丈の男性刑事が答える。
「田崎 奈恵だな?」

「そうですけど」

「警察だ」

「え、どうしてですか?」
彼女は怯えているのと同時に、苛立っているようにも見えた。

「とにかく開けて」
同じく男性刑事も苛立っているようだ。

 彼女は、渋々、チェーンを外してドアを開けた。すると、今度は大柄な男性刑事が、即座にドアを押さえた。

そして、さっき玄関で受け答えしていた背の低い刑事が、手に持っていた紙を開き、彼女に見せるとこう言った。

「捜査令状でてるから」

彼女は見せられた紙を手に取り、まじまじと見つめた。
何が何だか分からない様子だ。

通常こういう時は、皆、察したような表情をする。でも、この時の彼女の瞳は確か怯えるような細い目つきをしていて、本当に何が何だか分からなかったのだと思う。

 

 次の瞬間、彼女の発言を待たずして、一斉にドドドドっと刑事たちが彼女の自宅に流れ込んだ。

 わたしはすぐに、捜査の邪魔にならないよう他の刑事と彼女を引き離して目の前に座り、鞄から簡易キットを取り出して、彼女へ唾液を入れるプラスチックの小さな筒を差し出した。

「新型コロナ感染の有無を確かめたいから、一応、検査してもらっていい?」

彼女はキットを、ぐいっと跳ねのけた。
「何で検査しなきゃいけないんですか!」

「ちょっと勝手に、そこ開けて見ないでよ!」

彼女は、捜査で部屋を見て回る刑事たちを糾弾した。

「私たちは刑事です、調べさせてもらってます」

「捜査令状出てるからね」
大柄な男性が穏やかに、でも厳しい口調で説明する。

 そこでわたしは改めて、彼女を落ち着かせる意味でも再度、名前を確認した。

「奈恵さんって呼んでいいかな?」

「いいですけど、どうしてこんな事されなきゃいけないんですか!」

彼女は何故、自分がこんなことをされているのか分からないと憤慨する。

「これ持っていきますか」
「スマホあるね」「これも持っていこう」

怒りと涙に満ちた彼女の瞳を尻目に、どんどん他の刑事たちが、意気揚々と物を触っていった。

わたしは、もう一度、声をかけた。
「ごめんね、感染の有無を確認したいから、ここに唾出してくれる?」

彼女も今度は大人しくなると、唐突な質問をしてきた。

「もしかして名誉棄損の被害のことですか?」

「ん?どういうこと?」
わたしは驚いて聞いてみた。

 つい先日、誹謗中傷や名誉棄損の被害を住まいの管轄の警察署に相談していたのだそうで、てっきり、その関係だと思ったみたいだ。

そんなはずはないだろう、わたしはこの状況を逃れたいがために頓珍漢なことを話しているのだと思った。捜査令状だって言われているのに、明らかにそれはおかしな発想だった。

ただ、彼女の手が小刻みに震えている様子から、本当にそうだと思っているのかもしれないと思った。

「何か困っていることでもあるの?」
そう質問すると、彼女は色々な被害に遭っている事を話し始めた。

「仕事も失って、お金もなくて。苦しいんです」

「被害に遭っているんです」

「助けて下さい!」

彼女の口から、どんどん言葉が溢れ出てくる。涙がポロポロこぼれていた。その様子を見ると、到底、彼女が嘘をついているように見えなかった。

わたしは静かに答えた。

「そうなんだね」
「でも今回は、その話じゃないの」

彼女は、その件で警察が来たわけじゃないと知って、とてもショックを受けた様子だった。


 「なんなんだ!」

 今度はドアを叩く音が聞こえ、突然、奥の部屋で寝ていた夫と思われる男性が激しく怒りながら、こちらの部屋に入って来た。

 夫は刑事達に問い詰めながら、説明を求めている。犬の吠える声が一段と大きくなった。待ってましたと言わんばかり、今度は細めの体型をした男性刑事が手招きすると、

「ちょっと、こっちで話し、いいですか?」
彼女の夫を玄関まで連れて行った。

どんな話をしたのかは分からない。彼女は相変わらず、泣いていた。

 

 キットを彼女へ渡すことに手間取っているわたしの様子を見ていた大柄の刑事が、ゆっくり話し始めた。

「ちょっと話を聞かせてもらいたいんや、近くの警察署まで来れる?」

彼女はすぐに質問を投げ返した。
「それは任意ですか?」

刑事は、少し驚いたような顔をしていた。
「任意だけど、出来れば来てほしいな」

彼女は、深呼吸をして答える。
「わかりました」

続けて、ひとつだけ刑事にお願いをした。

「行きます、でも、今わたしが受けている被害の話も聞いてほしいんです」

「お願いします」

顔つきは切実だった。

その場にいた男性刑事たちは、互いに顔を見合わせた。そして、大柄な刑事がこう答えた。

「わかった、話し聞くよ」

「あなたの話し聞くから。まずは、こっちから話しを聞かせて」

彼女は静かに頷いた。そして観念したかのような表情で、彼女は簡易キットに唾液を落とした。

 彼女は今、何を思っているだろうか。

不安と疑心暗鬼。
これで苦しんでいる被害のことが解決するかもしれないという気持ち。
それとも警察を恨めしく思っているだろうか。

志津里は何故か、奈恵の気持ちが気になって仕方なかった。

 

 彼女は服を着替えて、家を出る支度を始めた。

「もう準備はいい?」
志津里は静かに声をかけた。

 家を出る時、彼女は、ふっと後ろを振り向いて夫にこう告げた。
「すぐ帰ってくるから、大丈夫」

夫は彼女の泣きはらした顔を見て、苦しそうな瞳で、私たちを糾弾した。「どうして妻を連れて行くのか」

彼女は、夫のその様子を見ながら、それでも夫と犬の顔は見ず、ゆっくりと車に乗った。

「質問に答えたら、私の被害の話も聞いてくれる。そうですよね?」

奈恵は、発車前の車の中で愛想笑いをしながら、聞いてくる。

わたしは何も言わず、車のドアを閉じた。

もしかしたら奈恵は、その訴えている『被害』というのを警察が解決してくれて、すぐ帰ってこれるんだ、そう信じているのかもしれない。

 

 「午前、九時。詐欺の容疑により逮捕する」

 奈恵は車に乗って、近くの警察署に到着すると突然、宣告と同時に手錠をかけられた。

そうだ。
わたしたちは、初めから彼女の『被害』の話なんて、聞く気はなかったのだ。

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