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【長編小説】漂白剤社会 | 第二話・吃音

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  中学生の奈恵には、悩みがあった。

それは思春期の悩みでも、恋心の悩みでもない。将来の夢をどうするのか、進路をどうするのか、今後の人生に関わる大きな悩みだった。

悩みながら気付いたら、中学三年生になっていた。



 小学校の幼馴染とは自然と距離が離れ、私は、女子の友達が増えていた。その中でも、香苗ちゃんと、とても仲がよかった。

  ある学校の帰り道、私の悩みは、香苗ちゃんの一言で始まった。
「ねぇねぇ、進路どうするの? 函館のどこの高校に行くの?」

胸がどきっとした。

「うーん、まだ決めてない」
その場を取り繕うように急いで返事をする。

「でもさー、早く決めないと願書間に合わなくなるべ」
香苗ちゃんは、不安そうな顔を見せながら、大きな声で続けて言った。

「もしかして、本当に東京さ行くの?」

「それさ、お父さんに話した?」

私は黙って、顔を横に振った。
私の深刻そうな顔を見て、すこし心配した香苗ちゃんは、おどけてみせた。

「学校行くのが嫌なら結婚すればいっけさ、漁師のお嫁さんになるのも悪くないべ」

笑顔につられて私も笑った。



 私が住んでいた北海道の港町は、とても田舎で、コンビニは歩いて三十分にある一軒のみだ。

 大きな買い物をするときは、近くの街まで出かける。それが函館だった。
母と二人で買い物へ行く時の交通手段は、電車だ。

 私たちは電車、ではなく、汽車と呼んだ。
 函館に向かう汽車は町から一日、四本。下りも同じく四本しかない。一日に数本しかないのだから、時刻表はあってないようなものだ。さらに自宅から駅まで歩いて駅まで四十分かかるので、早歩きで駅に向かうのが常だった。

 高校も函館の学校に行くのが生徒の大半の進路であったが、稀に札幌に行く者もいて、札幌となると、それはもう大騒ぎだった。

「佐々木くん、札幌の高校にいくんだってさ、すごいべ」

「すごいな」

町中が噂をする。

東京に行くというのは、もはや夢物語のような話。だから私は、将来の夢を香苗ちゃんにしか話していなかった。

「東京へ行きたい」だなんて両親の耳に入ろうもんなら、きっと一悶着だ。それが、いちばん怖かった。

 

 ある日、私はお菓子を買おうとコンビニに寄った時、ふと雑誌が気になった。表紙のモデルに、目が釘付けになったのだ。

普段は興味ないのに、この日は、表紙の女性の凛とした眼ざしに心を奪われた。

こんなにも凛々しい立ち姿の写真を見たことがあっただろうか。
その姿が、目に焼き付いて離れなかった。

 恐るおそる、その雑誌を手に取った。その時、ふとひらめいた。
そうか、モデルになれば『言葉』を使わなくても、仕事ができるのか。

 言葉を使わなくても出来る仕事を探したい。そう思う大きな理由が、私にはあった。

大きなコンプレックスを抱えていた。私には吃音という障害があったのだ。

『吃音』という名称は知らなくても人とは違う、そう感じたのは、中学生になってからだった。


 中学時代は、自分の吃音障害を嫌でも毎日、感じるようになった。特に一番嫌だったのは国語の授業と、日直の担当だった。

 国語の授業では、順番に本読みを指定される。それが、とてつもなく苦痛だった。順番がまわってくる。もうすぐだ。そう思うと、いつも腹痛がした。

 吃音とは、言葉が上手く出てこない障害である。
百人にひとりが吃音を持っているとの報告もあるが、原因は解明されていない。程度の差はあれど、日常に支障をきたす人も多い障害であるにも関わらず治療法もなく、人々の認知もまだ十分に広がっていないのが現状だ。

 私が吃音を持っていて一番嫌なことは、それを指摘されることだった。指摘されても自分ではどうすることが出来ないからだ。

 ある国語の授業で、私は、指定された文章を読まなければいけないのに、言葉がでてこなかった。

読めないのではない。言葉が口から出てこないのだ。
どうしても最初の一文字が言えない。
まるで誰かにガムテープで口を塞がれたかのようだ。

 私が読み始められないでいると、そのうち、クラス中がザワザワし始める。そして教師は、聞いていなかったのか、と私に叱咤した。

「もう一度いいます。三行から読み始めてください」

「….はい」
私は、顔を真っ赤にしながら、小さく返事をした。

勢いをつけて最初の文字を発音すると、言葉がやっと出た。だが、出た言葉は、吃音で連発して出てしまったのだ。

「ああああああ、あ、あしたの道は」

そして言葉が、また止まってしまった。
すると間をあけず、クラス中に、どっと笑いが起こった。

「おい、奈恵。どうした」

体育が得意な佐々木くんが、笑いながら背中を叩いた。
さらに、皆が笑った。

教師は、やれやれ、という顔で諭すように、クラス中に言った。

「みんな静かに。静かにしてください」

「奈恵ちゃんはお母さんが外国の人です」

「すこし言葉が出来なくても、笑わないでください、わかりましたか?」

「はーい」
皆が笑いながら、手を挙げて返事をした。

教師は、悪気があって皆を諭したわけではないのはわかっていたが、私は馬鹿にされたような気持ちになって腹が立ち、そして悲しかった。

 私は言葉がこんなにも上手く話せないのか。どんどんコンプレックスになっていた。

言葉をなるだけ使わない仕事がしたい。モデルなら最低限のコミュニケーションだけで出来る仕事だと思った。



雑誌に映る、凛とした佇まいのモデルは、そんな私に勇気を与えてくれた。

「私も、こうなりたい」

そう思って、奈恵は、モデルという仕事を目指すことを決めたのだった。

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