222.もう、死なないでください!
1.あなたなら、どうしますか?
ある日、初めて出会った女性からcoucouさんは、「もう、死なないでください…」突然言われました…。
あなただったら、どんな態度を取りますか?
coucouさんはまるで言葉になりません。
彼女は涙を浮かべています。coucouさんは、
どうしてら良いのか?悩んだ…。
「死なないで下さいね、決して・・・・・」
彼女がまたそういいました。
初対面の人からこんな言葉をかけられれば、さすがのcoucouさんもビックリ。もしかするとわたしの顔に死相でも現れているのだろうか、とおもわず考えてしまったくらい。
実は、coucouさんのこの出会いが後に二人が「内観法(内省)」との出会いでもあり学ぶきっかけとなった。
「どうして?わたしが死んじゃうの・・・・・」と返すcoucouさんに、
彼女は涙をためて握手を求め、また
「どうもありがとう、ゴメンなさい。でも決して死んだりしないで下さい」coucouさんは一瞬、何がなんだかわからず、さらに複雑な思い。
のちに、この言葉はcoucouさんにとって、生涯忘れられない言葉のひとつとなってしまった。
2.あれから10年後
それから10年後、coucouさんが追いつめられたとき、どうする手立てをも失ったとき、とても苦しくなったとき、この言葉が今でも自動的に蘇ってくる。
「ありがとう、決して死なないで・・・・・」と。
わたしたちには、誰にでも過去の経験や体験がある。10人いれば10人の異なる体験や経験があり、100人いれば100通りの人生観がそこにある。
その女性(48歳)は現在、会社を設立して都内でカウンセラーコンサルタントを自宅で開業している。
彼女のビジネスは、自分の過去の体験や経験を活かした活動を行い多くの人たちにアドバイスする仕事。
それは、彼女自身の体験や経験の中で、とても悲しかったこと、思い出したくないこと、嫌だったこと、辛かったことすべてを貴重な財産として活動している。
このカウンセルを受ける人は、別に治療を受けるわけではない。
つまり、亜希子さんの体験や経験の言葉が参考になり、ヒントになり、それが指針になる。
coucouさんと彼女の出会いは、10数年前にある研究所で偶然席が隣になったのがきっかけ。なぜかお互い自己紹介のないまま、突然、彼女からこんな言葉を発せられた。
「死なないで下さいね、決して・・・・・」
「ありがとう、決して死なないで・・・・・」
そして、その言葉の意味をのちに彼女からの話を聞いて、わたしは涙が止まらなくなってしまったことを思い出す。
3.思い出したくないこと、嫌だったこと、辛かったことすべてを貴重な財産
彼女は、こどもの頃から天涯孤独。しかし努力家で、こどもたちが大好き。苦労して、念願だった小学校の体育教師として生きる決心をする。
不思議なことに、多くのこどもたちから愛され慕われ、学校内では人気者の先生。どうしてかといえば、彼女のこどもの時代の淋しかった、悲しかった、溢れんばかりの体験が、すべてこの教育の場に活かすことができたからだ。つまり、こどもたちの心がわかる、無意識でも共感できる能力が備わっていた。
こどもたちとの会話、こどもたちの指導、まさに水を得た魚とはこんなことをいうのかも知れない。
そんな時、同じ小学校の国語教師との出会いで、彼女の人生はさらに大きく変わることになる。
その男性との大きな共通点は、互いにこどもたちが大好きで、その情熱には、同様の想いがあったこと。
彼は母一人、子一人の生活で、生まれた時から父を知らなかった。そして、母の精一杯の愛情に包まれながら、その母に恩返しを夢みていた。
それは、お嫁さんをもらって、早く孫をつくり、家族で楽しく生活すること。とても当り前で、平凡な夢かもしれないが、彼にとってはとても大きな夢。
こうして、長い間二人きりの生活をしてきた彼と、ひとりぼっちで生活してきた彼女は、お互いが理解し合うには自然のごとく結婚するまで時間はかからなかった。
彼女はとても嬉しかった。
この喜びはまるで言葉にできない、だって愛する夫という家族ができて、初めて自分に「お母さん」と呼べる人が出来たこと。
そのお母さんも、娘が出来たことを心から喜んでいた。
幸福の絶頂とは、こんなことを指すのかもしれない。
そして、さらに幸せが続々とおとずれる。
それは、待ちに待った赤ちゃんの誕生。
毎日、毎日、お腹に触れる夫。
お母さんも気ずかってくれて、大切にしてくれて、この時の喜びは今でも忘れられないと語る。
4.ひとときの幸せな生活…
体内の赤ちゃんはとても順調、学校のこどもたちとしばしの別れもつらいが、こどもたちの寄せ書きを病院のベットに飾っていた。
一番驚いたことは、夫の喜び様だったという。「赤ちゃんが出来たの・・・・・」といった時は、二人で泣いてしまったという。
学校が終われば、毎日病院に通ってくれる夫。
レントゲン検査によって女の子だとわかる。
二人で考えた名前は、「吉江(仮名)」。毎日、毎日、二人で吉江ちゃんに語りかける日々は続く。
しかし、ここから不幸が襲いかかってしまうことになった。
病院側から順調だといわれていたのに、母体の中で吉江ちゃんは突然死を迎えてしまう。
原因はわからない。
このときのショックは、母親になった人にしかわからないことかもしれないが、彼女は発狂寸前になってしまった。
大切な赤ちゃん、大切な命、夫も母も楽しみにしてくれている、わたしたちの大切な家族。
わたしの責任。
さらに、母体に危険があるため、しばらくこのままの状態で母体から出せないと医師にいわれる。
夫と母と三人で涙のお別れ、
「ゴメンなさい、ゴメンなさい、許して欲しい・・・・・」
「気にするな、まずお前が無事だったことだけでも感謝している。」
「亜希子(仮名)さん、あなたにはいつまでも息子とわたしがいる。だから、そんなに自分を責めないで欲しい・・・・・」
…彼女は、ふっと思った…。そうか、わたしには母と呼べる人と愛する夫がいると思った。
そして入院中、母と夫がちゃんと葬儀を行い、ベットの横に小さなお骨が置かれることになった。亜希子さんは、この母と夫のあたたかい、優しい言葉と励ましに命を救われ、心も正常にもどりつつあった。
5.あなたは何も悪くはない!
その後も母と夫は、毎日病院に通い続けるが、ある日、病院のそばで夫がトラックに跳ねられ事故死してしまう。(夫は彼女にお菓子を買っていた)
この状況下の苦悩は誰にも説明できない。
あまりにも信じられない話だからだ…。
彼女は、完全に半狂乱になってしまった。
しかし、その時母はいう。
「亜希子さんゴメンなさい。あなたは何も悪くはないのよ。ありがとう。息子はとても幸せだった、本当にありがとう。わたしもとても幸せ、だから二人で生きていこうね・・・・・」
そうか、わたしには母と呼べる人がいる。
わたしの愛した夫のお母さん、わたしのお母さん。
入院中、亜希子さんのベットの横には、赤ちやんと夫の骨壷が二つ置かれることとなった。
人は、ショックや衝撃が強すぎると現実が区別できなくなる場合も多い。母と二人で、これからの人生を幸せに暮らそうと誓った亜希子さんだったが、その後退院の前に、母が亡くなってしまい、入院中に三つのお骨が置かれることとなった。(心不全だったという)
6.どう生きればいいの?
「さて、これからどうすればいい。どう生きればいいの。これは神が与えた試練などと考えたくない。早くみんなのそばにいきたい・・・・・」この悲しみは誰にも理解できない、誰も救うことはできない。
もう何もない…。
そんな時、亜希子さんの友人(学校の先生)のすすめで、都心にある研究所を紹介されることとなる。
ここの所長は、亜希子さん以上の体験をしていて、内観法(内省)を教えてくれるという話で無理矢理につれてこられた。
この時の亜希子さんは、早く亡くなった家族の元に行こうと決心していたという。
まさに驚いたことに、この時、coucouさんが初めて彼女と出会ったのだった。
「もう死なないでね。決して・・・・・」この言葉は今でも忘れない。目の前の亜希子さん、目の前のcoucouさんとの偶然の出会い。
目の前で涙している亜希子さん。
不思議に思いつつ、今までのいきさつなどまるで知らないcoucouさん…。
7.死ぬんじゃあない、生きなさい、生き抜きなさい
後日、coucouさんは、その理由を聞かされた。
「あなたはわたしの主人にウリ二つのようにソックリで、わたしがビックリしてしまいました。夫が心の中で『死ぬんじゃあない、生きなさい、生き抜きなさい』といわれたような気がして、だから、あなたももう死なないでね、という言葉が出てしまったんです。どうか気を悪くしないで下さいね。」
さて、人生ってとても不思議なものですね。
こんな偶然なんてあるのでしょうか。
「でもね亜希子さん、coucouさんがあなたを救ったんじゃあなくて、coucouさんがあなたに救われたんですよ」とわたしが話すと、今度は亜希子さんが不思議そうな顔をした…。
これがキッカケとなり、coucouさんは彼女とともに内観法(内省)を学ぶことになる。では、この内観法(内省)のしくみとはなんだろう。
8.内観法(内省)
わたしたちは誰もが嫌な過去の体験や経験をもっている。
人生は一度きり、だからその人生を修復したり、直すことは不可能と一般には考える。そして、そのつらかった過去から目を背けようとする。
しかし、もしその人生を修復したり、修正することが可能だったらどうだろう。
彼女は、人生を正しく修正することができた一人。
それは、もう一度現実、事実を直視し、心の中にある誤り、罪悪感、苦しみ、悲しみと直接対決を図ることだった。
彼女は、この内観(内省)法によって自分の運命を拓くことになる。
内観とは内を観ると読む。
内省も反省ではなく、内を省みるという意味。
彼女はもう一度人生を一から省みる。
それは、自分の目の前に起こった現象のみにこだわるのではなく、もう一度考えて(イメージ)することから始まる。
彼女の内省は、大好きな夫との交際から結婚、そして新しい母、赤ちゃんの誕生。とてもうれしかったこと、とても悲しかったこと、つらかったこと、死にたくなったこと。
そのすべてをもう一度、第三者の自分の立場にたってイメージする。
赤ちゃんが亡くなった時の自分。
その時の夫の表情やしぐさ、そして自分が夫側に立ち自分を観てみる。
夫の気持になり自分を観てみる。
母の立場、気持になって自分を観てみる。
さらに、生れた赤ちゃんの立場、気持になって自分を観てみる。
(夫の目線から自分をみる、おなかの中にいるあかちゃんの目線から自分みる、慰めてくれた母の目線で自分の姿をみる、第三者となって自分に語りかける)
9.心の声が聞こえる
するとこんな声が聞こえてきたという。
「お母さん、そんなに悲しまないで」
「亜希子、ありがとう。いつまでも元気でいて欲しい」
「お前はわたしの娘、とても素晴らしい娘だよ」
あなたはわたし、わたしはあなた。
相手の考えや気持がイメージの世界であっても、自分のことをどう思っていたのか、どう愛されていたかがわかる。
そして今度は、もう一度自分にもどり、わが子、母、夫にそっと語りかける。
「ゴメンネ。あなた、吉江、お母さん。」
「ありがとう。思ってくれて、大切にしてくれて。本当にみんなで愛してくれてありがとう」このようにイメージの世界で、亜希子さんはさらに語り続ける。
吉江へ
「わずかな時間だったけどあなたの生命を感じさせてくれてとてもうれしかった。ずいぶんとお話ししたよね。おばあさんもお父さんもとても喜んでくれた。本当にありがとう。ゴメンネ」
主人へ
「いっしょになってくれてありがとう。元気づけてくれて、心から励ましてくれて、わたしを支えてくれてありがとう。そして、こんなに思っていてくれて、わたしはとても幸福だったよ。ありがとう。ゴメンネ」
母へ
「お母さん、わたしの本当のお母さん。お母さんと呼ばせていただいて本当にありがとう。今まで一番つらかったのはお母さんだった。みんなでわたしに幸福をくれた。ありがとう。ゴメンネ」
こうして、ひとつひとつの自分の考えや、思いをもう一度振り返り、今まで自分が思っていた現実や事実を見直す。
すると、その時に気づかなかったことが見えたり、わかったりする。
あの時、どうしてこう思っていたのだろう。
あの時、どうしてこう考えてしまったのだろう。
あの時、どうしてこう考えられなかったのだろう。
彼女はcoucouさんにこう答えました…。
「coucouさん、人生や運命って変えられないものだと思ってきましたが、わたしは変えられると思います。反省は言葉通りに、今度はくり返さないようにするというための考え方。内省というのは、もう一度、内を省みるといったように、なぜそう思ってしまったのかをもう一度ふり返り、原因を明確にしたり、自分が心から納得すること。(自己暗示ではない)相手の立場でモノを見たり、考えたり、そのひとつひとつの問題点に対して、正しく判断して、ありがとう(感謝)、ごめんね(詫びる)、そして、良かったね(祝福)することにより、わたしの人生は、わたしの運命は、まるで変わりました。」
今、彼女は、たったひとりで事業を起こし、自分の過去の体験や経験を最大限に活かし、この内観法(内省)を取り入れ幅広く活動しています。
こんなに凄い、こんなに素晴らしい、人生という知的財産権の活用ってあるでしょうか。
10.パンドラの箱
ここに、わたしたちの「パンドラの箱」があることがおわかりでしょうか。
「悪しき蔵より悪しきものを取り出し、良き蔵より良きものを取り出す」(ルカ伝六章四五)とは、イエスの言葉。
由来は、肉につつまれた魂を、ゼウスがパンドラに託して人間界にもたせてよこした、あのパンドラの箱。パンドラはギリシャ神話で、人間界に与えられた最初の女性。
「パンドラ」とは「一切の良きものを産み出す」という意味だが、彼女が人間界にもってきた箱の中には、あらゆる禍いが詰め込まれていたという。ある日、パンドラは箱のフタを開けてしまいます。
すると、禍いは世に満ち、そして箱の中には、「希望」「勇気」「安らぎ」が残ったという。
このようにパンドラの箱は、誰の内にもあるものですが、実は、このパンドラの箱の中に、わたしたちの無形の財産、人生という知的財産権が、深く深く、平等に眠っているのです。小さなことでクヨクヨ悩む人も、大きな失敗をしても明るく元気で生きている人もいます。
わたしたちは皆いずれ、別の世界に行く人間です。
せめて、この世界に何かしらお土産を残していくことを考えなければならないともいえます。だから、わたしたちの100通りの人生、物語、過去の体験や経験という人生の財産としてを活用して、残していってもいいかもしれない。
coucouさんは年末の病院の中で「もう、死なないで下さい!」という声が聞こえました。
そう、まだまだしたいこと、伝えたいこと、知らせたいことがたくさん残っている。このnote記事にはそんな思いが込めている。
そう、まだまだ死なないよ!と自分に声をかけた。
あれから数十年、彼女は現代でいうホームステイなのでしょうか?血縁のないおじいちゃん、おばあちゃんたちと暮らし始めていた。
家の中では「おかあさん」「おとうさん」という。おばあちゃんたちは本当の娘と暮らしているかのように彼女に甘えている。
そして、彼女は念願のこどもを引き取る(里親)こととなった。
彼女は、その子に「吉江」と名付けた。
まったくの血のつながらない家族だが、楽しい家庭が生まれた。
そうなんだね、本当の家族は血のつながりなど必要がないのだね。
coucouさんはあなたの夫になれるのでしようか…。
これは、まったくの実話です。
それでも前を向き続けるのですね。
coucouさんでした。
みなさま、ごきげんよう!
こんなにも長い話を読んでくれてありがとう!
あなたたちも、もう家族ですね、きっと。
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