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49.こころを逃がしてあげる、囚われてしまったこころを、逃がしてあげる方法。

「こころを逃がしてあげる」

世の中、あいかわらず『ありがとう』が挨拶用語になっていますね。

本当の「ありがとう」という言葉は、心にゆとりがないとなかなか言えるものではなく、心のバロメーターともいえるものが「ありがとう」です。

ありがとうって、『ありがたさを感じることができたとき』、心から「ありがとう」といえるものですね。
忙しさに日々追われ、頭の中がバタバタとしていたら、このありがたさを感知する能力が失われてしまいます。

しかし、どんな時でもこの「ありがとう」という言葉を言うことによって、『こころを逃がす』ことができることを知っていますか?

こころを逃がすというのは、囚われてしまっている心を一瞬でも解き放ち、『ありがたさを感知する』ことです。

日々、わたしたちは仕事や生活に追われ、家庭生活に追われ、付き合いに追われ、時間に追われています。すると、心のゆとりを失うのはもちろん、『ありがたさを感知する能力』までも失う恐れがあります。

そんな時、『心を逃がす』方法として、「ありがとう」という言葉を言ってみます。すると、自分はもちろん、「ありがとう」と言われた人までも幸せになります。

「ありがとう」と言う言葉は、『ありがたさを感知する』素敵な言葉です。

囚われている心を解放する『心を逃がす』言葉です。

でも、実際のありがとうは、世の中のありがたさから発する「ありがとう」という「こころ」が失われてしまっているような気がしますね。

ありがとうってね、喜びの言葉なんだよ!

「いらっしゃいませ、ありがとうございます!」「お電話ありがとうございます!」「お手紙、ありがとうございます」というように様々なところでこの「ありがとう」が挨拶用語のように使われていますが、事務的な商売的な「ありがとう」はマニアル用語のような気がして冷たく感じてしまいます。

「ありがとう」って言葉は、そんなに力を込めたり、大きな声で言う必要もなく、無理した笑顔よりも、小さな声でもいいから、「あ・り・が・と・う」って言えればそれだけで素晴らしいこと。それにね、本当のありがとうは心がにじみ出るもの。その反応は、相手がその言葉で喜んでくれれば成功のような気がします。ありがとうは、お互いの喜びの言葉ですもの。

これが、囚われてしまったこころを逃がしてあげることなんですね。

みんな、「あ・り・が・と・う!」


©Social YES Research Institute / CouCou

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「人間は二度生まれる、生命の木」

「人間は二度生まれる。
一度はこの世に生を受けて。
もう一度は人間となるために。」
        <ルソーの言葉>

「人間は二度誕生しなければならない。
一度は母親によって肉体の誕生を、
もう一度は宗教によって魂の誕生をとげねばならぬ。
この二度の誕生を経て、はじめて本当の人間になるのだ。」
        <トルストイの言葉>

毎年、蝉の声が聞こえる頃、体調が悪くなる。
今年の夏もまた厳しい・・。
年の初めに腎臓機能が悪くなり、入院生活から始まった、どうやら、病院通いの多い年になりそうだ。
現在も通院中だが、ネフローゼ症候群というのはなかなか手強い。多少良くなっているとはいえ、日々薬漬けの毎日を送っている。
体調が芳しくないため、もう一度他の病院で検査したところ、バセドウ病だと驚かされた。
数値が高く、すぐに手術かアイソトープ治療が必要だと警告された。症状は重い。
脈拍が常に130ほど。手が震えて文字が書けない。お腹が空く。髪の毛が抜ける。めまいがする。疲れやすく、いくら寝ても眠い。疲れが取れない。自分の力では立ち上がることがむずかしい。バセドウ病特有の症状で、筋力低下だと医師はいう。
(苦しいはずだ…。)
周期的な筋肉の麻痺で頬の周りが痺れて言葉が話しづらくなり、声が出にくくなっていた。
8月10日、17日、18日と連続で集中治療に入ることとなった。
アイソトープ治療は甲状腺に放射能物質を投入するため、一時的に被爆状態となる。
そのため5日間は他人に近づいてはならない。食べ物はヨード等を含む食品すべてが禁止された。
(実に、困ったものだ。)
もちろんトイレや風呂も制限される。
もともとネフローゼ症候群で食事制限をされているのに、さらなる食事制限となった。
今までは塩分を一日6グラム、1000キロカロリーという食事制限。和食中心の減塩醤油で塩分控えめの食生活だったが、和食の出汁にはヨードが入っているから、食べるものが無くなってしまうほど。アクエリアスなども海藻エキスが入っているため禁止だという。
饅頭など寒天が入っているものはすべてダメ。味噌汁、そば、うどんもダメ。
やむを得ず、ハンバーグなどの肉食でしばらく過ごした。
一日も早く元に戻れれば、という祈りにも似た日々。
しかし、やはりカロリーオーバーになる・・。
一番困ることは、手指の震え。文字を書いたりパソコンを打つことが出来ず、今年は本もまとめることができない。初めて一冊も世に出せない年となった。

私は病気になるたび一度死に、元気になって生まれ変わり、死んでは生まれ変わるという人生を繰り返しているのだと思う。
もう7回大病をしているので、7回目の新しい人生を送り直していることになる。

元気な人ほど我儘な人が多い。

元気な人ほど動けることの感謝が少ない。

元気な人ほど他人のことが気になる。

元気な人ほど二度、三度と人生が欲しいと願う。

病は人生のやり直し、生き直し、生まれ変わりのメッセージといえる。
元気で病気のない人は、その生まれ変わりの体験がないのだ。
つまり、生きていて良かった、生かされて良かった、という意識に欠けてしまうのだ。
だからこそ、「病のあるものは幸いなり」「多病息災」という言葉があるのかもしれない。

人生がもう一度あれば…そう願う人は多い。
もし人生が二度あったなら、もう三度あれば、もう四度、五度あったなら…と、さらに人は願い続けるのだろうか?

人生は一度だから楽しい。
一度きりの中で、二度も三度も生まれ変わる事ができるのが、人生なのだ。

やはり、人生には感謝しかない・・。


でも、生き方には二つあるらしい・・・。

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coucouです。みなさまごきげんよう!少しずつ読んでくれる人が増えてきました。とても嬉しく思います。

確かに人生は一回ぽっきりだけど、本当は何十回でも生きなおしができているような気がします。

先日、私の友達が65歳で結婚しました。奥様は59歳。なんと新人、新婚ほやほや、新婚生活、奥様は6つも年下、若い、素晴らしい。二人は新しいマンションで新生活。二人は初めての新共同生活、そして、初めての夜を過ごし、初めての朝を迎える。なんと新鮮なのでしょう。

同級生はみな羨ましそう。最後に笑うのはこの二人。

友人が祝辞を述べました。「頼むから子どもだけは作らないでほしい…」と。新郎新婦はすかさず答えました。「それは、あなたが考えることではなくて、神さまからの授かりもの、授かるように頑張ります!」

みな、笑顔と拍手喝采の渦。新郎新婦、いくつになつても、新しく始めることはすべて「新」となるのですね。何度でも生きなおしはできるものなのですね。新郎新婦は二人で泣き続けていました…。

いつまでも、いつまでも、幸せにね!


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