![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/57356858/rectangle_large_type_2_a5595d15e44add4124836a6f80b2f0f4.jpg?width=800)
37.若い人たちよ、わたしほど人生を楽しく、幸せに生きているだろうか?
「人生の100年計画」
人生100年と聞くと、まさかと信じられないと言う人は多い。
しかし、現在100歳以上の高齢者と呼ばれる人が日本には3万6436人もいると言われています。
米国のバスター・マーティンさんは100歳でも現役の労働者。
「人生に仕事がなかったらこんなに退屈なものはない、仕事を引退などして家に収まってしまうようならば後残されるものは退屈なままこの世を去るだけ。こんな哀れな、悲しい人生はない。」
彼はこう英国のマスコミに答えた。
マーティンさんはロンドン南部の配管設備工の会社で働いている。
子ども17人、70人のひ孫がいる。97歳のとき周りに心配され一時期引退を考えたが、あまりに退屈で再出発を考えた。
現在も100歳の現役労働者だ。
マーティンさんは心が若い。心の持ち方が他の老人とは違います。それはいつまでも働きたい、仕事をしたいという気持ちが強いのです。
普通の人は「もう歳だから・・」「身体が言うことを利かないから・・」「もう自分には無理だから・・」とか「年寄りは静かに暮していればいい」とか。
世間でも、「もう歳なんだからみっともない」「静かにじっとして
ればいい」「その歳で・・」「その年齢でよくもまあ・・」と言われてしまいます。国だって高齢者の保護などど高齢者を差別し、最終的には排除しようとしています。
マーティンさんはそんな世間の言葉に耳を貸すこともなく、ただ日々「休日はゆっくり休み、いつもどおり朝起きて、いつもどおり過ごせることが幸せだ」といいます。
「年寄りだからこそ若い人に負けない。まだまだ色々なことができる。能力だってまだまだ負けない。わたしは問う、若い人たちよ、わたしほど人生を楽しく生きているだろうか。わたしほど仕事を楽しんでいるだろうか。わたしほど仕事に、生きることにこれほど感謝できているだろうか。若い人よ、わたしの歳にこれだけ充実した人生を送ることができるだろうか。」
この言葉は世界中の高齢者と呼ばれている人たちに語りかけるかのようにマーティンさんは労働者のひとりとしてチャレンジしているのかもしれない。
子どもたちだって子供扱いは嫌がる、年寄りだって年寄り扱いは嫌なものだ。
年寄りは年寄りと考えてはならない。行きたい所にはどんどん行って、やりたいことはどんどんやってやれ。
もう、自分は年寄りだからなんて考えてはならない。他人の言葉、他人の眼なども関係ない。本当に好きなことをすればいい。
人生は誰もが一度きりだという、一度きりなら今が本当のチャンスと呼べるかもしれない。70代、80代は一度しかない、そして90代も100代も一度しかない。まさに天高く馬肥ゆる秋と言えるかもしれません。
「やわらかな手」
あなたのやわらかな手は、
わたしの手を優しく握る。
まるで何かの合図を送るかのように、
まるで何かを伝えようとするかのように、
わたしの手を優しく握る。
あなたのやわらかな手は、
やがて、冷たくなり、動かなくなり、合図はなくなり、
ただ、わたしが握るだけになる。
わたしは、わたしからそっと握りながら合図を送る。
わたしは、わたしからそっと握りながら心を伝える。
あなたのやわらかな手は、
何も反応はないが、
誰よりもあたたかく、
誰よりも優しく、
誰よりも愛おしく感じる。
あなたのやわらかな手は、
涙を感じる、
寂しさを感じる、
無念さも感じる、
しかし、喜びをも感じる。
あなたのやわらかな手は、
ありがとうという、
楽しかったという、
嬉しかったという、
しあわせだったという、
わたしと出合えて良かったという。
そして、また逢おうという。
あなたのやわらかな手は、
何も反応はないが、
誰よりもあたたかく、
誰よりも優しく、
誰よりも愛おしく感じる。
わたしは、わたしだけにしかわからない、
あなたのやわらかな手を今でも鮮明に覚えている。
きっと、生涯忘れられない、
あなたからの最後の愛おしい想い出になるのでしょうか。
きっと、誰かわたしにも、
優しく手を握ってお話しをしてくれるのでしょうか。
coucouです。今日も読んでくれてありがとう!今回でnoteはじめて、30日目の新人です。
今日は、私の父の命日です。あまりの暑さに日傘を被りながらのお墓参りとなりました。そのお墓には父と母が眠っていますが、そこには父や母はいません。父や母が在るだけですが、相変わらず涙が止まりません。私は私の父や母のように生きれるのでしようか?父ゃ母のように最期の最後まで、私にしてくれたように、私の子どもたちに私は優しくし続けることができるのでしようか?
父と母とのお別れの柔らかな、とても優しく、穏やかな手をいつまでも忘れることができません。目を開けることもできず、言葉も話せず、身体も動かないのに、私の手を強く握ってくれたり、ゆるく優しく指を動かしてくれて私に話し続けてくれました。それは呼吸が止まるまで続きました。最後に、私に何を語り掛け、何を伝えたかったのでしょう?私にも伝えたいことがたくさんありました…。
私には、どうしても忘れられない素晴らしいトラウマなのでしようか?
みなさま、ごきげんよう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?