196.ああ、人生ってまったくひどいものね!そのくせ、すばらしかったわ
ありふれた日常のなかにあるかげがいのない瞬間
わが町
わたしの名前はエミリー。
今日はわたしの12歳の誕生日。
町はあたり一面雪が積もり、道路は雪かきが始まり、わたしは本通りを歩いていた。
わたしは多くの仲間から反対されたが、今から14年前に戻ってみた。
まわりの景色は子どもの頃のまま。
朝日を浴び、輝きを増している、近所の白い屋根や赤い屋根が雪に埋もれ、懐かしい垣根。どれを見ても美しい。
わたしは私の生まれ育った自宅に向かうことにした。
「あ!わたしのママだ!ママが朝ごはんの支度をしている・・」
そう、14年前だから若き日のままのママとの再会。
「さあ、子どもたち。エミリー、ウオリ-起きなさい、時間ですよ!!」
ママは子どもたちに話しかける。
しかし、すくそばにいるエミリーに気づかない・・。
ママ、わたしはここよ!気づいて!
そう。ママは気づきません・・。
なぜなら12歳のエミリーがすでに、そこにいるからです。
今、それを見ているのは26歳のエミリーだからです。
「ああ、ママはなんて若々しいの!それに可愛らしい・・。ママがこんなに若い時があったなんて、信じられない・・」
そこにパパが帰ってきた。
「あなた、今日はエミリーの誕生日よ!忘れずに何か買ってきた?」
「うん、ここにある。どこかな、パパの娘は?パパの誕生日娘は?」
「ためだめ、今は声をかけないで?これから朝ごはんなんだから・・」
エミリーはこみ上げる想いと感動に包まれた・・。
「ああ、パパもママもなんて素敵なの?なんて若いの?わたしの知らないパパとママ。ああ、たまらない・・。あの若さに美しさ。いったい人はどうして年を取るのでしょう?ママ、わたしはここよ。大人になったのよ・・」
しかし、ママやパパにはエミリーの姿は見えません・・。
わたし何もかもが好き・・。ママもパパも大好き・・。」
ママは12歳のわたしに話しかける。
「これは、これはお嬢さん、お誕生日おめでとう、いつまでもお幸せに。」
もう、エミリーはただ呆然としていた。
ママやパパの仕草や動き、表情ひとつひとつの愛情、あたたかさを感じていた。ママやパパたちもわたしを心から愛していてくれた瞬間だったから。
エミリーは一生懸命に伝えようとした。
「ママ、わたしを見て、わたしを見つけて・・。一目でいいからしっかりとあたしを見てちょうだい。いいこと、ママ、14年たったのよ。あたしは死んだのよ。あなたには孫がいるのよ。ママ、あたしはジョージと結婚したわ。ウオリ-も死んだわ。あたしたちあんなに悲しんだじゃあない・・。覚えていないの?でもね、いまはほんのちょっとの間だけ一緒になれたの。だからねえ、どうか顔を見てちょうだい」
しかし、その声は届かない・・。
エミリーは死者なのだから・・。
「どこかな、パパの娘は?誕生日娘は?」
今度は、パパのあたたかな優しい顔が、声をかけてくる・・。
エミリーにはもう静止できない・・。
あまりにも嬉しくて、あまりにも愛されていて、あまりにも悲しくて、あまりにも辛くて、苦しくて・・。
涙がとめどもなく流れ、止まらない・・。
エミリーは後悔していた。
死者の仲間たちはみな反対していたことを。
反対した理由は、ほとんどの人が知らなくて良いことまで知ってしまい、感じてしまうから、それが愚かなことだと、反対していた。
そこでエミリーは「悲しい日」ではなく「幸せだった日」の12歳の誕生日の日を選んで戻ったのです。
しかし、エミリーにとって「幸せだった日」はもしかすると人生の中で一番嬉しく、一番悲しい時の再現だったのかもしれません。
何もない日常の日々、しかし、「何もない、と感じてしまう生きている時間」。何もない時間や時などはない。
「何かがある何もない時間や時」。生きているとわからなかったこと、気がつかなかったこと、見えなかったことを感じてしまったエミリーは、この場を早く去りたいと願った・・。
それはあまりにも素晴らしすぎた人生、幸せすぎた人生。
それを気付かない人間の人生・・。
エミリーは幼友達のジョージと幸せな結婚生活を送っていたが、産後の肥立ちが悪く、命を落としてしまう。
悲しみにくれるジョージ、父や母や多くの人々たち。
そんな彼らを、今は世の中のものでなくなった墓地の住人たちが見守っていた。
エミリーはその見守る「死者たち」と自分の葬式を見つめ、過去の幸せだった日々を思い出だしながら、自分にとって家族とは?人間とは?世界にとって何が大切なのか、ということに気づいていく。
この物語は、アメリカの劇作家、ソーントン・ワイルダーの三幕物の戯曲「わが町」という架空の町の物語です。
この作品は1938年に発表され、その年のピュリッツアー賞を受賞、その後も全世界で上演され続けており、2011年現在、ニューヨークでも日本でもロングラン公演が行われている。1940年には映画化されている。
泣きくずれるエミリーは最後にこう語る。
「全然わからなかったわ。あんなふうに時が過ぎていくのに、あたしたち気がつかなかったのね。さあ、連れて帰って下さい―丘の上へ―あたしのお墓へ。」
「でもその前に、待って!もう一目だけ。」
「さよなら、世のなかよ。さよなら―ママもパパも、さよなら。時計の音も・・。ママのヒマワリも。それからお料理もコーヒーも。アイロンのかけたてのドレスも。あったかいお風呂も・・夜眠って朝起きることも。ああ、この地上の世界って、あまりにも素晴らしすぎて、だれからも理解してもらえないのね。」
「人生というものを理解できる人間はいるのでしょうか―その一刻一刻を生きているときに?」
「いいや・・」狂言まわしは、そう答えた・・。
死者のある婦人はこう答えた。
「ああ、人生ってまったくひどいものね~
そのくせ、すばらしかったわ!」と。
coucouです、みなさん、ごきげんよう!
「ああ、人生ってまったくひどいものね~
そのくせ、すばらしかったわ!」と。
確かに、人生ってまったく酷いものですね。世の中はとても不平等ですし、差別、区別だらけ。
そして、誰もは不平不満だらけ!口を開けば人の悪口や批判だらけ。言葉の暴力、戦争や争い。
まだまだ続く567戦争。不安、心配、まだ見ぬ未来への怖れ、明日の心配。
でもね、それでも私たちは一生懸命に生きている証。
人生はまったく酷い、でも、人生ほど素晴らしいものはない。
もし、人生が素晴らしすぎたなら、人々は本当の不幸を味わうのかもしれません。
人生が素晴らしすぎないから、人生って素晴らしい、と思えるのですね。
あまりにも素晴らしすぎた人生、幸せすぎた人生。
人は本当のことが見えなくなる、そのことを知るために死があるのかもしれない…。
「わが町」はそんなことを伝えているのでしょうか?
今日も、最後まで読んでくれて
みんな~
ありがとう~
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