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292.どうして、人の幸せに「良かったね」って素直に思えないのでしょう。

1.人の不幸は幸せの香り


 
「人の不幸は甘い蜜の味」こんな言葉があります。
世の中には劣等感のない人などいないのかもしれません。
テレビの影響なども強く反映しているように、最近の芸人は芸をしません。むしろいじめが芸になっています。

お笑い番組などもすべて人の不幸を売り物にして笑いを取っています。
一人の芸人をいじめ、笑い者にし、恥をかかせ、集団で笑います。

私はいくら生活のためだとはいえ、芸人が芸をせず、人をからかうという安易な手法で仕事をしている姿を見るととても悲しくなります。

いじめの本質がここにもあり、集団で弱い者たちを笑い者にします。
これを見ている視聴者たちも喜んでいる訳です。

また、ニュース番組や新聞、雑誌なども他人の不幸(恥部)などを暴き、まさに売らんがための商法です。
それを見て買う人たちにも問題があります。

週刊誌などは人の不幸探しです。
もしかして、日本人一億数千万人が劣等感の塊りなのでしょうか?

同僚の給料が自分より上であれば嘆き恨みます。
反対に、自分より少なければ勝ったと喜びます。

隣の家が建て直しをすれば悪い噂話をし、新車を購入するものがいれば妬み、不幸であることが美徳で、自分より不幸な人の話をすることで納得する人たちも多い世の中。

病気をすれば、私はあの人みたいな酷い病気でなくて良かったとか、災害で苦しむ人の姿を見て、自分はあんな場所で生活していなくて良かったとか・・。

飛行機事故があればニュース解説者が「日本人はおりませんでした・・」と伝え、日本人はほっとします。

人が死んでいるのですよ…
何かおかしいですね。

 
どうして、人の幸せに「良かったね」って素直に思えないのでしょう。
 
世の中全体が常に人の不幸と比べているようです。
 
人間はなんて残酷な動物なのでしょうか?
 
 

職場でいじめにあった場合【集めておくべき証拠】


2.いじめの作られ方


 
いじめられている事を話せない、
話してはいけない、という決まりを作ったのは誰なのでしょうか?

いじめられている事は話せない事なのですか?

それとも無駄な事なのでしょうか?

それともいじめの事を誰かに伝えると怖いから?
後でさらに嫌がらせをされるから?

でも、いじめを話されなくて都合の良い人たちは、あなたをいじめている人たちだけです。
いじめている人たちは、話されない事に安心しています。もし話されたら「チクった」「汚い」「弱虫」「ズルい」と言えるからです。


しかし、本当はいじめを話されて一番怖いのは、いじめている本人たちだという事を知る人は少ない。

もし、いじめられている人たちが堂々とその事を話せるようになったら、いじめは減るかもしれません。

彼らが一番怖い事なのですから。


私たちは「告げ口するのは良くない」という事を教わりましたね。
でも、それは間違いです。

告げ口する人がいないから、彼らは増長したのです。
どうして「告げ口」が悪い事なのでしょう?

いじめは自分だけの問題ではありません。多くの人が苦しんでいる問題です。
もしかすると、告げ口することが減った事で、
いじめ自体が増えている事だってあり得ます。

だから、いじめを話す事から始めるのです。
 
また、「助けを求めるのは恥ずかしい」という事も教わりました。
それも大きな間違いです。

助けを求めるのが恥ずかしい事ならば、誰かに助けを求められても、助けない、助けられない事になります。

ですから、堂々と助けを求めるのは悪い事ではなく、正しい選択のひとつなのです。その代り、助けを求められたら、その人の力になってあげて助けてあげれば良いのです。
それが互いを支え合う事になります。

 
「いじめは一人で解決するべき」、「大人になるためにはそのぐらい乗り越えられなければならない」、などと言う人も多くいるようですが、それも大きな間違いです。
現実には乗り越えられないから命を落とす子どもたちが後を絶ちません。
いじめは子どもたちだけではありません。
社会に出ている大人たちも同じです。

大人たちでもなかなか乗り越えられない現実なのです。

大人たちの中にも、誰にも相談できずに命を落とす人が多くいます。
いじめられ、踏みにじられた事を誰にも話さず、心の奥底に終い込んでおきたい、そう考えている人も多いようですが、話さないために自分以外の人まで同じようないじめで苦しめられているのです。


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※本日は、下記の5人のクリエイターさんたちのnoteをご紹介致します。
noteの世界も随分と言葉が乱れている気がします。
特に、コメント欄。コメント欄はそのクリエイターさんたちの作品の場です。本当の友だちのツィッターとかラインレベルの短文が目立ちます。
noteの記事もまるでツィッターのようなつぶやきだけの作品?も増えてきました。
それも表現なので人様の作品ですから何もいうことはありませんが、読む人不在の意味不明な言葉も目立ち始めました。
特定の誰かに送っているようにも見受けられますが、たくさんの人が見ているわけですから、自分の言葉にも作品としての重さもあるはずです。
単なるフォロー目当て、スキ目当てだけならばまるで意味が違います。

表現、「表現の自由」なる言葉が勝手に一人歩きしているようですが、「伝わる表現」「伝える表現」がこのnoteの世界で最も大切な気がします。伝わる人には伝わる、わからない人にはわからなくていい、と言う人はまさに「不自由なる独りよがりの表現」のような気がしています。
「自由なる表現」「表現の自由」は人を傷つける意味はどこにもありません。
この5人の素晴らしいクリエイターさんたちはnoteのバイブルになるかもしれません。ぜひ、お読みください。



18年前に小学校でいじめ受けた被害男性 当時担任らとの異例「面会」 初めて実現…不適切な対応に“怒り”【関西テレビ・newsランナー】

障がい者は「我慢せえよ!」名古屋城復元をめぐり“差別的発言”が波紋 河村市長出席で陳謝も|TBS NEWS DIG

河村たかし市長も陳謝…名古屋城復元のバリアフリー化巡る討論会で『障害者への差別発言』広がる波紋


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 ※本内容は、悪口、いじめ、誹謗・中傷を中心とした内容ですが、「著作権侵害」「著作者人格権侵害」「肖像権侵害」「プライバシー権」「パブリシティ権」「個人情報保護法」、その他「人格権」「人権」等に最終的にはつながるものばかりです。
特に、ツィッター、フェイスブック等のSNS全般、このnoteなども含まれるものです。断じて、許すことのできない犯罪です。
言葉によるいじめ、暴力など他人を著しく傷つける行為がウイルスのように広がっていく時代になりました。
同時に「なりすまし」「偽物」「フェイク」などの画像やメールなどが出回りまるでカオスの様相を帯びているネット社会。
また、皆様もご存知の通り「偽物メール」なども大量、いや無限に近く飛び回っています。
今や、銀行や郵便局の偽メール、アマゾンやメルカリ、国税庁の偽物請求メール、裁判所からの金品請求の偽メールが出回り、市や都からの偽物メールなど多くの人たちが、混乱しています。
さらに、「本物ぽい偽物」などは何とか見分けがつきますが、「偽物ぽい本物」などはまるで見分けられないという問題が生じています。



一番の被害者は、子どもたちです。それを確認できないお父さんやお母さんたちにも問題があり、子どもたちは何も知らないまま犯罪に手を染めてしまったり、人を傷つけてしまいます。ぜひ、お読みください。

本内容は、全国の都道府県、市町村、学校、NPО団体、中小企業、noteの皆様、クリエイター、個人の方々を対象としているものです。また、全国の職員研修での講演先のみなさまにもおすすめしています。
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